文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2025年5月4日】昨日は一日、無駄に忙しくしてしまったことを本当に後悔しています。最近、ある中国製作のアニメ映画が各国で大ヒット上演されましたが、映画が表現した美学や価値観はとても歪んだもので、孫娘にそれを見てほしくありませんでした。数日前、息子が孫娘を連れてそのアニメ映画を見に行きたいと言ったのを聞いて、止めても息子は聞かないので、私はご飯を作らないと言って息子を阻止しようとしました。その後、3日が経ち、息子は私と一言も交わさなくなっています。
昨日の朝、道理を並べたメッセージを息子に送ると、予想外に息子から「人が幼稚でくだらないことをする時、最も良い対応方法は無視することです。そうでなければ、その人と同じレベルに引き下げられます」という返事が来ました。私はすぐに言い返すと、息子は「話し相手がいなくて寂しいと思うなら、もっと本を読んでください」と返答しました。私は直ちにこの2日間、私に同情してくれた同修との交流のスクリーンショットを息子に送りました。それ以降、息子は返事もしてきませんでした。
アメリカの副大統領のような高貴な人物でさえ、質素な服に着替えて母親が働く工場を訪れ、小さなレストランで母親と一緒に昼食をすることができるのに、息子は私をこんなにも低く見ているのか、と考えました。もともと、アメリカに来たのは息子が私に頼んだ結果で、子供の面倒を見てほしいと言ってきて、私が断ると、息子は自殺すると言いました。アメリカに来て9年、8回もの引っ越しを手伝い、疲れ果てました。家事はすべて私が引き受け、孫娘を育てました。それなのに、私をこんなにも軽蔑して、息子の目に私はまるで使用人以下で、一銭の価値もない人間になっています。
そう考えれば考えるほど心の平静を失い、息子の親不孝を全部書き出して暴露しようと思いました。午後ずっと書き続けて、夜9時の発正念の時も、書くことを考えていました。
発正念を終えて突然、『精進要旨「はっきりと目覚めよ」』の中の言葉を思い出しました。「仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです」
突然、私は目を覚ました。今日一日、私は一体何をしていたのだろう、過去10年間の苦労や努力をすべて振り返り、息子の親不孝な行為を暴露しようとし、まるで常人レベルではありませんか。そこで、一日かけて書いた原稿を一文字残さず全て削除しました。心が晴れやかになり、体も軽くなったように感じました。
そして、ある新しい修煉者が言った言葉を思い出しました。「嫉妬心よ、お前を捨てます」と。彼女に比べて、恥ずかしくなりました。毎日「内に向けて探す」とか「自分自身を修める」とかを口にしていますが、着実に修煉していません。試練は厳しいもので、一歩間違えば、そのことにおいて合格できる修煉者ではなくなります。気を抜くと、つい外に目を向けてしまいがちで、自分を「苦労人」や「不幸な女」と思い込んでしまいます。まさに自分で自分の足を引っ張って、また息子を責めるなんて。
師父のお教えに感謝します。大法の基準があるおかげで、私は自己中心的な考えや私利私欲とは何であるかを深く理解できました。法に照らして、私は自分の嫉妬心を認識しました。
このことを通じて、息子と孫娘の言動は全て、私の執着心が引き起こしたものだとはっきり分かりました。私の不平不満、怒り、息子と孫娘を見下す心などは全部、彼らの言動を通じて映画のように私に見せていました。考え方が変わると恨みも消えて、これからは息子や孫娘の不足を探すことは二度としないと誓いました。
息子がネットで私のために買った2台のスマートフォン、アップルとサムスンが今日届きました。真相を伝えるプロジェクトに使用する予定です。息子はまた現在使用中の私の携帯のデータを新しい携帯に転送してくれました。
夕方、孫娘が学校から帰ってきて、笑顔で私の所に来て、学校で描いた絵と作った紙工芸品を見せてくれました。そして、「なぜ私たちのために食事を作ってくれるの?」と聞いてきたので、私は「あなたたちを愛しているからよ」と答えました。孫娘はとても驚きました。私はまた、「あなたたちが私の言うことに従わなくてもいいけど、私は師父の言葉に従って、誰に対しても愛を持って接するのよ」と言いました。孫娘はそれを聞いて、チョコレートのお菓子を持ってきて、私の口に入れてくれました。私は心まで甘く感じました。