深く根付いた常人の観念を取り除く
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年9月15日】先日、友人の紹介で、ある顧客が自分の家と両親の家に加熱プレートを据え付けたいとのことで、まずは両親の家からと言われました。価格によって質も変わると伝えたら、良いものが欲しいと言われました。その後、様々なことを要求してきました。まず、彼女(顧客)の両親の家のベッドのサイズを大きくするのを手伝ってほしいということ、そして、小雨の中、まず彼女の友人のところに行って木材を取りに行き、3階に住んでいる両親の家まで、たくさんのものを担いで階段を登らなければなりません。私は午後2時くらいから夕方6時まで工事をしました。使い方も彼女の両親に教え、そのほかにも彼女の母の手伝いなどもしました。

 翌日、その顧客から、友人が使っている物より、加熱プレートが熱くなく、質が良くないと電話をもらいました(つまり、私がよくないものを使って彼女のお金をだまし取ったという意味です)。私はその友人が使っているのは安いもので加熱は確かに早いが、彼女の両親の家に取り付けたのは炭素繊維でできた質の良いもので、マイナスイオンを発し、体にも良いと説明しました。さらに熱くしたいなら調整できると伝えたら、彼女は何時頃仕事が終わるのかと私に聞いたので、午後、仕事が終わったらすぐに行くと答えました。

 午後、雨の中、彼女の友人のところに行って木材を選び、また、彼女は4階に住んでおり、道具を4階まで運びました。彼女は、ドアを開けて、何も言わず、修理中のベッドをどのように調整するかを聞いても無視されました。この時、常人の観念が沸き上がってきました。こんな簡単な修理では大したお金にもならないし、その上、雨の中、重たい木材を何度も運ばなければならないし、確かに大した仕事ではないが、内容が面倒なため、誰もやりたがらない。友人の紹介だからやってあげているのに、なんて悪い態度なんだとイライラや文句、不満など、次から次へと沸き上がってきました。

 このままやめようかと思ったその時、ふと師父の説法を思い出しました。「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[1] 私のこの心理はまさに師父が説かれた悪者ではないでしょうか。修煉者として、偶然は存在しません。常人と同じようになってはいけないのです。

 内に向けて探してみると、褒め言葉を聞きたがるという名誉を求める心理、争いたがる闘争心、嫉妬心、これほど手伝ってあげているのに悪い対応されて不満に思う恨み、報いを求める心理などが見つかりました。師父は「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」[2」「この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[2]と説かれました。さらに内に向けて探したところ、これらの思想観念は深く根付いており、私の喜怒哀楽を左右しています。主に自分を守るときにあらわれてくるので、「私」であり、後天的に形成された常人の理なのです。

 師父は「皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」[3]と説かれました。

 法理に基づいて執着心を見つけたので、何事もなかったように作業に集中しました。そして、すぐに、彼女も笑顔になり、あれこれ話し始めました。このようにベッドのサイズ調整も依頼してくる人は多いかと聞かれたので、友人の紹介で、私の妻の姉とも知り合いなのでやってあげているが、通常ならめんどくさがって誰もやりたがらず、大工に依頼してもらっていると答えました。

 常人の仕事の中で、心性の向上につながることによく遭います。時には個人の損得を重視して心性を守れていません。師父は「功が伸びない根本的な原因は、「修・煉」の二文字の中で、人々がその煉しか重視せず、修をおろそかにしていることにあります。あなたは外に向かって求めても、何も得られません」[2]と説かれました。私個人の悟りでは、「煉」というのも煉功のことだけではないと思います。例えば、私も毎日学法しているけれど、心を修めることを重視しておらず、悪い観念も削除しないので、境界を高めなければ、次元も向上しません。従って、大法のさらなる含意も理解できないのです。今後は境界の向上を重視し、常に他人のことを先に考える習慣を身に着けることで、より早く向上できるのです。

 師父は「皆さんもご存じのように、羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています」[2]と説かれました。私はまだまだその次元には届いていません!

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」
 [2]李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3]李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/25/426132.html)
 
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