文/サンフランシスコの大法弟子
【明慧日本2021年9月21日】私は、サンフランシスコのベイエリアで働くソフトウェアエンジニアです。私の経歴について少しお話したいと思います。
アメリカへの移住
私はインド北部のとても小さな村の出身で、2007年に家族でアメリカに移住しました。私の両親は、幼い頃から教育の重要性を説いていました。私は友達と遊ぶことも許されず、何よりも学ぶこと、学校が優先されました。私はとても真面目で勤勉な生徒でした。両親は、私たちがより良い生活を送れるようにと、アメリカへの移住を決意しました。
新しい国には多くのチャンスがありましたが、同時に課題もありました。両親は仕事を見つけるのに苦労しました。それまで一度も働いたことのなかった母が、いきなり9時から5時までの仕事に就くことになったのです。インドで母は車に15分以上乗ると車酔いしてしまうことがありましたが、今度は自分で車を運転して仕事に行かなければなりませんでした。それでも両親は、家族を養うために一生懸命働き、どんな仕事でも引き受けてくれました。私や兄弟の苦労も計り知れないものがありました。私は英語がほとんど話せず、友達もいませんでした。しかし、両親が毎日苦労している姿を見ていると、私も頑張ろうと思いました。放課後や昼休みを利用して勉強をしていました。30分で終わるはずの課題を、何時間もかけてやり遂げたのです。忍耐力があったからこそ、私は学校で生き残ることができただけでなく、成長することができたのです。8年生のときには英語を全く話せない子供だったのに、5年後には500人以上のクラスで2番目に高い成績を収めて高校を卒業しました。そして、カリフォルニア大学デービス校に入学し、コンピューターサイエンスを学びました。
大学でのチャレンジ
大学への進学は、私にとってアメリカへの移住以上に大きなステップでした。親元を離れて暮らすのは初めてのことでした。また、自分自身や自分の感情との初めての出会いでもありました。私はすぐに、学校で優秀な成績を収めるだけでは不十分であることを学びました。両親の助けを借りずに、料理の作り方、時間の使い方、さらには気持ちをコントロールすることを学ばなければなりませんでした。誰もいない部屋に一人でいることは、私にとって初めての経験でした。たまに参加する社会的なイベントでは、多くの友人ができましたが、その後はとても寂しい思いをすることが多かったのです。友達がいなくなると、また虚無感に襲われます。そんなときは、母が、「悲しみや怠け心を忘れて、仕事をしなさい」と言っていたのを思い出し乗り切っていました。その時思ったのは、お金が無いからかなということでした。大学卒業後に良い仕事が見つかれば、この混乱と悲しみは解消されると自分に言い聞かせました。両親が教えてくれた教育的価値観のおかげで、私は苦しい日々を乗り越え、コンピューターサイエンスの学位を取得し、シリコンバレーでとても良い仕事に就くことができました。
高収入の仕事は喜びをもたらさない
仕事に就くと、さまざまなメリットがありました。ようやく両親を助けることができ、これまでの努力に報いることができました。欲しい服が買えたり、いい車に乗れたり......。- 喜びをもたらしてくれると思っていたのです。しかし、私はまたしても間違っていました。悲しみと空虚感はまだ残っていました。
それどころか、あさ9時から5時までの繰り返しの仕事をしているうちに、さらに悪化していきました。仕事中も、家族や友人と一緒にいるときも、かなりぼんやりしている自分がいました。非常につらい日もあり、朝、ベッドから出るのも大変でした。そんな精神的な負担を抱えながら、夜になるとSNSで僧侶や居士がスピリチュアリティや瞑想について語っている動画をよく見ていました。彼らは、文字通り何も持っていないのに、とても幸せで充実していました。私は多くのものを持っていましたが、自分が空っぽになったように感じていました。私がその会社で働き続けたのは、高収入を得て家族を助けることができたからです。
ある動画では、コンピューターエンジニアが、中国に行って僧侶になろうと決心したことを話していました。彼は、瞑想を通じて発見した心の幸せについて、お金や高価なものを所有することで感じたことのない幸せを語っていました。彼の話にとても共感した私は、同じことをしようと考えました。しかし、私には私を大切にしてくれる素晴らしい家族がいるので、そのようなことはできませんでした。中国に行くにしても、どこに行けばいいのか。どの場所が一番いいのか、どのグループが一番いいのか。何もかもわからないのです。結局、私の人生は一度きりで、仕事や人生をかけて得たものを失うリスクを冒してまで、本当に欲しいものが手に入るのでしょうか?
人生のターニングポイント
2019年、新しい職場で働き始めた私は、法輪大法の修煉者と出会いました。彼もエンジニアでしたが、別のチームで働いていました。最初は交流がありませんでしたが、数週間ずっと彼を観察しました。
彼は私と同じようなエンジニアの仕事をしていましたが、なぜかいつも冷静で落ち着いていました。年配の男性ではなく、30代の若者のようでした。私は1日を過ごすのに3杯のコーヒーが必要な時もありますが、彼がコーヒーを飲んでいるのを見たことがありません。たまにお茶を飲むことはあっても、他の社員のようにストレスを感じてキッチンにコーヒーを飲みに行く姿を見たことがありませんでした。
ある日の昼休み、私は彼にこう尋ねました。「一日中コンピューターの前に座っていて、どうして自分を保つことができるんですか?」と尋ねました。彼は座禅をしていることを話してくれました。それは法輪大法というものでした。その修煉法はとても優れていて、導入されてから数年のうちに何百万人もの人が修煉を始めたと話していました。
法輪大法の修煉者は、とても親切で知恵に満ちた話をしてくれたので、私の心は彼の言葉をすべて信用しました。法輪大法の修煉者は、私に修煉法を教えてくれると言ってくれました。私たちは昼食を食べる前の15分間、煉功を始めました。
最初にやったときは、確かにとてもすっきりした気分になりました。すぐに効果があったのは、食欲が出てきたことです。椅子に座って一日中考え事をしていると、食欲がわかず、無理に食べようとすることがよくありました。食欲が出てきただけでも、煉功を続けてみようという気になりました。穏やかな煉功なので、仕事に戻っても疲れを感じませんでした。それどころか、煉功をするたびに、その日の調子が良くなるのを感じました。短期間で法輪功の五式の功法を習得し、自分でも自信を持ってできるようになりました。
当初の目的は、ただ五式の功法を学ぶことでしたが、その効果を目の当たりにして、もっと学びたいと思わずにはいられませんでした。そこで私は、修煉者にもっと何かあるのかと尋ねました。彼は、法輪大法は体だけではなく、心の修行でもあると言いました。また、健康に関しては心が大きな役割を果たしており、体は心に従うものだと言いました。さらに理解を深めるために、法輪大法の主要な書籍『轉法輪』を読むことを勧められました。
山や寺に行かなくてもいい修行法を探す
私は『轉法輪』を購入しました。読んでみると、大きな安心感があり、多くの疑問や迷いが解消された気がしました。霊性開発とは何かをよりよく理解することができました。それは、山に行ってすべてを捨てることではなく、自分の心の性質を改善し、良い人間になることでした。私は何も捨てる必要はありませんでした。仕事で優れた業績を上げ、良き家庭人であり、真の友人であり、善良な人間であることで、精神的に向上することができたのです。
法輪大法の教えである「真・善・忍」を日常生活に取り入れることで、私の幸福感に大きな変化がもたらされました。職場や普段の生活での多くの葛藤を軽く見ることができ、優しさと寛容さを持って接することを学びました。嫌がらせをする人に対してネガティブな考えを抱くのではなく、自分に言い聞かせるようにしました。「もしかしたら、彼は十分な睡眠をとっていないのかもしれないし、家庭で難しい状況に対処しているのかもしれない。個人的に受け止めるべきではなく、むしろ優しくしてあげよう」。ネガティブな種を心の中に留めておかず、すぐに排除することで、マイナス思考のスパイラルに陥らず、結果的に自分の健康を損ねることもなくなりました。
多めに学法し、功法を定期的に行えば行うほど、心も体もどんどん軽くなっていきました。仕事での集中力も格段にアップしました。高い給料をもらっているのに、自分は半分しか努力していないのは美徳ではないことを学びました。私は自分の仕事を本当に真面目にやらなければなりません。
毎日学法の大切さ、素晴らしさを実感
また、週に一度、地元のエポックタイムス社の新聞配達を手伝うようになりました。コンピューターの仕事から解放され、大法のプロジェクトに貢献することができました。また、他の修煉者と一緒に法輪大法の教えを直接読み、彼らから学ぶことができたのも良い機会でした。私が学んだことの一つは、毎日、法を読むことの重要性です。
私は初めて『轉法輪』を手にしたときから大法を非常に貴重なものとして捉えていましたが、週に一度か隔週でしか読んでいませんでした。しかし、他の修煉者が何度も法を学んでいるのを見て、私もそうしたいと思うようになりました。
最初は、毎日同じ内容を読んで何の得があるのかと思っていましたが、自分でも始めてみると、その理由が分かってきました。法を定期的に勉強すればするほど、意識に定着し、意志の力が強まっていきました。週に一度の読書も効果的でしたが、週がどんどん開くにつれて他の概念で考え、思考が曇り、思いやりや寛容さが足りなくなることがよくありました。表面的には怒りを抑えたり、悪いことを言わないようにしていても、内心ではその思いが煮えたぎっていることが多かったのです。
師父はこう説かれています。
「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[1]
毎日、法を学んでいると、修煉者のように我慢する力が湧いてきます。
また、私は車の運転中に、主流の音楽ではなく、師父の講義の録音を聴くようになりました。音楽はそれほど問題ではないと思っていましたが、よく考えてみると、それが私を法から遠ざけていることに気づきました。また、ジムで運動することにも強いこだわりがありました。これは私の長年の趣味であり、一日の仕事の後に自分の感情を処理するための場所でした。しかし、これはとても時間がかかり、疲れるので、法の勉強や運動をする時間が十分に取れない理由になっていました。週末だけ大法の煉功をして、その他の日はほとんど2、3時間ジムに通っていました。しかし、より多くの本を読んでいくうちに、法がいかに貴重で、その美しさは私の想像を遙かに超えていると理解したことで、私は幸せな気持ちでこの執着を手放すことができました。
この数週間、私はほぼ毎日煉功をしています。煉功中は額や頭頂部に多くの感覚があり、第二式、第四式の功法の後に手を重ねると、下腹部に何か回転するような感覚があります。今まで苦労したのは、結跏趺坐の足の組み方です。長年のウェイトトレーニングで足が太くなり、お尻が張っているのです。しかし、これは自分の業だと思い、毎日の煉功でこの課題を克服しようと努力しています。早くこの障碍を克服して、より穏やかな状態に到達したいと思っています。
最後に、私たちを正しい希望の道へと導いてくださった師父の慈悲に感謝したいと思います。また、いつも耳を傾け、一緒に読み、助け支えてくれる修煉者の皆さんにも感謝したいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「忍とは何か」