業力と疫病(2)
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文/周清瀾   (前号に続く)

 【明慧日本2021年10月26日】明慧ネット上に掲載した「再び疫病神が見えた」の文章の中に、「初めて疫病神を見たのは、2020年2月下旬のある晩、疫病神が疫病を撒き散らし、そして帰る時、私はまた来ると言った」と書かれています。

   疫病神は何故疫病を広げるのでしょうか?

 前号によって、人が良くないことを行ったら、病気になったり、災難にあったりします。役人であれば天を怒らせると、無意識にしても、その役人が管理している所の民衆も災難にあいます。今、流行っている新型コロナウイルスは、天からの、世の人々への警告ではないでしょうか?

 道教の陳摶(ちんたん:五代十国から北宋にかけての道士。しばしば仙人と見なされる)は『心相篇』の中で「瘟亡不由运数、罵地咒天(疫病によって死亡するのは、人の運に関わらず、天を罵って、地を罵ったことでもたらされたのです)」と書いています。中国古代の有名な医書『名医叙病論』の中に「世人不終耆寿、咸多夭殁者、皆由不自愛惜、忿争尽意、邀名射利、聚毒攻神……(世の人は長生きできない、そして短命であることについて、多くは、自分を大切せず、思うままに争ったり、名利を求め、毒を集め、人の元神を攻撃…)」と書いてあります。

 つまり、人は私利私欲を満足させるため、名利を求め、天や地、また神様に恥をかかせるのが、短命や、病気、疫病、或いは死に至る根本的な原因です。

 明慧ネットに掲載した文章『中共を認識した人々が相次いで「三退」』の中に、ある村の委員会の幹部のことが書かれています。その幹部は、学習者が配布した真相資料を燃やしてから、手の震えが止まらず、ご飯茶碗やコップを持ち上げることができなくなりました。学習者は、「あなたの手で悪事を働き、人々が真相を理解して救われるのを妨害したことは非常に大きな罪になります。これは天からあなたへの警告で、再び行ったら大きな災いがあなたを待っているかもしれません」と話しました。その幹部は真相を理解した後、悪事を行わなくなり、手の震えが止まりました。

 中国には「人心に一念が生じれば、天地の必ず知るところとなり、善悪に報いがなければ、乾坤は不公平である」ということわざがあります。

 法輪功は佛家の上乗の修煉大法です。1992年から中国の長春市から伝えだされました。「真・善・忍」に基づいて修煉し、五式の緩やかな功法があります。僅か数年間で、億以上の人が修煉し、心身ともに健康を得て、社会道徳が向上しました。1999年7月、中国共産党と江沢民は法輪功が多くの人に好まれることに嫉妬して、法輪功への迫害を行い、億以上の修煉者に、「肉体を消滅させ、経済を断ち切らせ、名誉を毀損させる」という絶滅させる政策を実施しました。四千人以上の人が死に至るまで迫害されたことが確認されています。数え切れない修煉者が刑務所の中で拷問を受け、毒薬を注射され、灌食され、更に生きたまま臓器を取り出されました。この迫害はすでに22年間も続いており、今もまだ続いています。

 古代中国には、「三つの川の水を乱しても、修煉者の心を妨害してはいけない」という言い伝えがあります。神様を怒らせることや、佛を敬わないこと、或いは修煉者への迫害を行うことは、天の大きさほどの罪を犯すことになり、自分が苦しみを嘗めるだけでなく、家族も巻き添いに会います。鄭州大学の哲学教授呂鴻儒は、河南省テレビ局の番組の中で、法輪大法を誹謗中傷しました。2003年8月、呂鴻儒は父親を弔うため、車で、家族4人を連れて実家へ帰る途中に、トラックと衝突し、孫一人だけが生き残り、他の4人はすべてその場で死亡しました。

 呂鴻儒は、自分の罪で何故家族が巻き込まれたのでしょう? 清の時代の学者紀昀は、「人の罪が自分の命で返済できない時、家族を巻き込むことになる」と言いました。呂鴻儒はテレビ番組で法輪大法を誹謗中傷したことで、たくさんの人が彼の話を聞いて、大法を敬わない罪を犯しました。それらの罪はすべて呂鴻儒が背負わなければいけません。徳を積んで善縁を修めることで、初めて子々孫々に福を残すことになります。

 『疫病神が見えた(1)』の文章の中に、疫病神は大法弟子に、「20年以上の間、大法弟子は世の人々に真相を伝えてきましたが、どのくらいの人が真相を聞き入れなかったのでしょうか? あなたが各家に送った真相の福音を大切にする人がどのくらいいたのでしょうか? 本当に非常に長い時間が経ちました。世の人々は良し悪しの分別もせずに、人心が動物のようになり、赤い魔に追随して業力が急増したため、伝染病を招きました」と言いました。

 中国清代の政治家曽国藩(そうこくはん)は、「善良な人は徳を重んじ、天が吉祥を彼に賜る。悪人は災いを植えて、子孫に災難が残る」と話したことがあります。

   疫病は目がある

 中国古代には、「一日善を行い、福がまだ来ていないが、災いは既に遠く離れた。一日悪事を働き、災いがまだ来てないが、福が既に離れた」ということわざがあります。

 湖北省女子刑務所の中で多くの人が疫病に感染して、すべての人がホテルに移送されました。刑務所は法輪功学習者に個別管理を行い、つまり2人の受刑者が1人の学習者を厳しく監視して迫害を実施していました。法輪功学習者を監視する受刑者2人がすべて感染したので、また新しい2人の受刑者に変えましたが、その新しい2人も感染しました。しかし、法輪功学習者は無事でした。今回来た監視者は、法輪功学習者を迫害する勇気がなくなり、迫害を実施せず、疫病にも感染しませんでした。

 中国古人はよく「禍福に門なし、ただ人の自ら招くのみ善悪の報いが影のように、身の隣にある」と言っていました。

 明慧ネットに、「民衆:この所に天災や人災が少ない」の文章を掲載しました。この文章によって、ある法輪功学習者は市場である女性に真相を伝え、三退を勧めました。その女性は「私も、家族もすべて三退しました。ここは天災や人災がやはり少ないですね」と言いました。

 この学習者はまたある男性に「三退」を勧めると、その男性もすでに三退したと答えました。学習者は「ここは天災や人災が少ないということに気づいていますか? 周りの県や市がある程度の武漢肺炎が流行っているのに、ここだけはないですね」と言うと、その男性は「そうですね」と答えた。学習者はまた「恐らくここは、三退した人が多くて、法輪大法が素晴らしいということが知っている人が多いからでしょう」と言うと、その男性は頷いて「確かにそうです」と答えました。

 何故三退したら平安を保つことができるのでしょうか? 前に話した鳳仙郡の物語には、鳳仙郡の郡候が罪を犯して、その罪が普通の民衆も巻き添えにしました。中国共産党は法輪功を迫害して、その罪が中国の一般庶民をも巻き添えにすることになります。三退したら、中国共産党と一線を画します、中国共産党が自分自身の罪のため悪の応報にあう時、その人は関係ないということを示し、その人が応報のリストの中に存在しないということです。もちろん、これは法輪功を弾圧することに参与してない人を指しています。もし、法輪功への弾圧をしたり、或いは法輪功を敬わまない人、或いは法輪功学習者を罵ったことがある人、或いは法輪功の書籍や真相資料を壊した人であれば、三退以外、鳳仙郡の郡候のように、心込めて法輪功に自分の過ちを懴悔して、そしてこれから法輪功への迫害することを参与しないで、法輪功学習者を手伝い、悔い改め過ちを償うなら、初めて災難を乗り越えることができます。もし乗り越えることが出来なければ、もっと大きな天罰が待っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/12/429337.html)
 
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