転んだら立ち上がり 生命は大法の中で昇華する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月13日】私は北方の田舎で生まれ、家族の中では末っ子でした。小さい頃から勉強が好きで、その後、大学に合格し、大学院にも進学しました。周りから見れば、私はとても順調に進んでいました。しかし、自分は人生が楽しいと感じたことはありませんでした。小学校3年生の時、関節痛を患い、膝は曲げられないほど腫れあがり、10本の指も腫れあがりました。

 大学に入った後、北西に面している寮に住んでいたので、冬になると壁がいつも湿っていて、関節痛が再発しました。受験と重なった大学4年生の冬には、靴の紐が結べないほど足が腫れ上がり、毎日痛み止めの注射に頼っていました。 椅子から立ち上がるたびに数分かかり、試験のプレッシャーと体の痛みで私は崩れる寸前でした。

 大学院に入ってからは、皆と同じ寮に住んでいる時、お互いに自分にとって不利であると思う人は排斥したりして、そして常に利益の前での選択に葛藤し、それは現実的なものでした。「人は何のために生きているのだろう? 人生の意義とは何か? なぜトラブルがそんなに多いのか?」等とよく考えていました。

 ある日、誰かが私に法輪功のチラシを手渡して、「学んでみませんか」と声をかけました。そして、1998年11月に法輪大法の修煉を始めました。

 同級生がドアをバタンと閉めても気にしなくなった

 寮には4人の女の子がいたのですが、そのうちの1人は気性が荒く、いつも他人と口論していました。その時、彼女がまた切れるのではないかと恐れて、寮に戻るのが特に嫌でした。そのため、一日中に教室や図書館で本を読み、寮に戻るのは寝る時だけでした。修煉し始めてから、毎晩、同修の寮に行って学法しました。

 師父はこのように説かれています。「どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです。われわれはすでに数え切れないほど多くの業力を消してあげました」[1]。「修煉するにあたって、具体的なトラブルに対処する時、誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか?」[1]

 師父の法を学んだ後、私は一瞬にして考えが開きました。その日、法を学んだ後、寮に戻った瞬間、その女の子がまたかんしゃくを起こして、ドアをバタンと閉めたのですが、私は全く気にせず、ほっとした気持ちになりました。

 それ以来、私は毎日にこにこして、どんな事でもできる限り努力しますが、結果は自然に任せていました。すると、気持ちが軽快になり幸せを感じました。

 師父は一から修煉するように悟らせて下さった

 それから数カ月後、邪悪な中国共産党(以下、中共)が法輪大法を迫害し始めました。私は法を深く学んでいなかったので、すぐに混乱してしまい、どうすればいいか分かりませんでした。徐々に自分の内心を隠し、時間が経つにつれ、物質的な社会の中で流れに身を任せ、次第に大法から離れていきました。しかし、心の底では大法から離れることはできないと思っていました。

 あっという間に10年以上が経ち、私は仕事で成功し、家も車も買いました。しかし、役職が上がるにつれ、ストレスがたまり、頚椎症を発症してしまいました。仕事の時は会社の社長と収益のことを交渉したり、部下にも利益の話をしたりして、お金のことばかり考えていたようです。

 ある年、何回も同じ夢を見ました。夢の中でいつも試験を受けたのですが、小学生の問題もできなかったことに気づきました。最初は、真剣に考えていませんでしたが、同じ夢を繰り返しているうちに、「これは師父がそろそろ試験だ、と悟らせて下さっているのではないか」と、ふと思いました。さらにその年は、仕事でかつてないほどのプレッシャーを感じました。そして、人生についての疑問が再び思い出されました。

 その後、師父は常人を通して、「真相を理解すべきだ」と再び促して下さいました。それから、ネットの封鎖を突破するソフトを入手し、真相を知ることができました。邪悪な中共による十数年間にわたる虚の宣伝の真実が、一気に明らかになりました。引き続き、師父のすべての説法をダウンロードしました。 読んだ後、私は泣きました。とても悲しく泣きました。人生の10年以上も無駄にしたことを悔しく感じました。

 転んでまた立ち上がる

 その後、自分で真相資料を作り始めました。当時の私はそれほど恐れていないので、毎日真相資料を印刷して住宅地で配布しました。法を深く学んでいなかったので、自分の多くの執着心に気づいておらず、仕事をする心や負けず嫌いの心を持って行いました。

 数カ月後、私は連行され、洗脳班に送られました。恐怖の高圧のもとで、私は大きく転びました。ある日の夜、エレベーターから一直線に落ちてきた夢を見ました。そして、夢の中で私は再び這って前進し始めていました。

 洗脳班から帰ってきた私は、まず仕事を失いました。続いて、住民委員会の役員と派出所の警官らに監視され、同僚や友人との連絡も取れなくなりました。それは実際の刑務所から、実在しない刑務所に入所しているのと同じで、家を出ると必ず後をつけられ、常に恐怖に襲われていました。

 また、全ての大法書籍とパソコンが押収されました。元々持っている携帯電話に師父の説法録音がありましたが、誤って消してしまいました。師父が私を認めているかどうかわからず、長い間泣いていました。

 その後、私は新しいパソコンを購入し、師父の説法をダウンロードしようとしました。しかし、以前のネットを破るソフトが使えなくなり、私は絶望的な状態に陥りました。それから一番古いソフトから順番に試していき、ようやくうまくいくものを見つけました。やっと師父の説法をダウンロードすることができました。

 私は羨ましがられるシニアホワイトカラーから、中共に迫害され今の状況になって、心理的なギャップが大きすぎました。現実から、これからは平穏な生活ができないことが分かりました。また、修煉を続けていくことの難しさをより一層実感しました。しばらくの間、心を静めて学法しようと思いました。私は落ち着いて、昼間は家族に料理を作り、家事を済まして、残りの時間は法を勉強していました。1年以上法を学んでいるうちに、だんだんと心が落ち着いてきました。

 その後、母が病気になり、他の家族はみな仕事があるので、私は母の世話をすることになりました。私は母の体をきれいに拭いたり、足を洗ったりして、夜、地面で寝台を作り、母のベッドの横で寝ていました。病院の人たちは母に「いい娘だね 」と言ってくれました。

 私は家族の中の末っ子で、兄と姉たちは皆私の信念を理解しません。私は何も言わず、黙々と最善を尽くし、行動で大法を実証し、自分を着実に修めていました。母が自分の身回りのことができるようになったとき、私は家に戻り、一からやり直そうと思いました。

 玄関外のカメラと立ち向かう

 家に戻って、しばらく仕事がなかったので、家で法の勉強をしていました。 ある日、外で何かを取り付けているようなガチャガチャという音が聞こえました。覗いてみると、玄関の外でカメラが設置され私を24時間監視していました。 再び恐怖に襲われ、どうしたらいいかわからなくなり、誰にも相談できなかったし、私自身も強い正念を持っていませんでした。

 明慧ネットの交流文章を読みましたが、実際の対処法が書かれていません。しかし、毎日カメラの下で生活することは、実に耐えられないものでした。どうしたらよいのでしょうか? 考えても良いアイディアは出てきませんでした。

 ふと、知り合いの弁護士のことを思い出し、自分がまだ諦めずに修煉していることを伝えたくて相談しました。そして、法的に解決策があるかどうかを確認しました。彼は私にいくつかのアドバイスをしてくれたので、私もネット上から法律の条文をダウンロードしました。

 私はまず、不動産会社を訪ねましたが、不動産会社は「解決できない」と答えました。私は彼らに、「私はここの住民であり、不動産の所有者として、誰が住民の権利を侵害しているのかを調査する義務があります」と伝えました。彼らは私が折れていないのを見て、すぐに住民委員会に連絡して、カメラを設置した理由の説明を求めました。住民委員会の関係者も説明に来る勇気がありませんでした。

 仕方なく、不動産会社の担当は私を住民委員会に連れて行きました。私は「どの法律に基づいて、私の玄関の前にカメラを設置したのですか? すぐに外してください。あなたたちは取り外さなければ、私が取り外します」と言いました。家に帰ってから、すぐカメラを取り除きました。その後、誰も説明に来なかったので、カメラの迫害が解体されました。

 実は、最初に不動産会社に行ったとき、急に頭が真っ白になりました。でも、せっかく来たので、後に引き下がってはいけないと思って、伝えたいことを言いました。その結果、言えば言うほど正念が強くなりました。師父の説法「人類の歴史は人間になることを最終目的としているのではなく、人類の歴史は邪悪がはびこる楽園でもありません。人類の歴史は法を正すために造られたのであって、大法弟子だけがここで光り輝くことができるのです」[2] を思い出した時、力が溢れるようになりました。

 マネージャー「宝石を拾った」

 その後、私は仕事を見つけました。この仕事は私にとって非常に難度が高く、自分の知らない分野のことばかりでした。当時、私は40代前半でしたが、新しい分野で一から仕事をするというのは、普通の人にはなかなかできないことです。自分もこの仕事ができるかどうか不安でしたが、師父が按排して下さったのだから、頑張ればいいと思いました。

 2週間後には、プロジェクトの流れとデザインのアイディアについて基本的な理解ができました。それをプロジェクトのマネージャーに説明すると、マネージャーは「とても素晴らしいです。他の人は使うことができても理解できないことがあります」と言いました。1カ月後には、基本モデルが出来上がりました。これは、経験のある人にとっても速いスピードです。プロジェクトのマネージャーは他のメンバーに、「本当に宝石(私のこと)を拾ってきました」と言いました。

 設計の全過程は7カ月かかりました。知恵が尽きたと思ったときに、突然霊感が湧いてきました。実際には、大法が私の知恵を開いて下さらなければ、完成させるのは非常に困難だと思います。師父がいつも見ておられるので、本当に幸せです。

 揺るぎなく修煉の道を歩む

 この数年間、私は基本的に監視と嫌がらせのもとで生活しています。数年前、洗脳班から帰ってきたばかりの私は、常に監視される環境の中で、恐怖と抑圧によって非常に神経質になり、制服を着た人を見るだけでも恐怖を感じ、普通の生活ができなくなったことを覚えています。いつも「逃げる」という感じがして、時には怖くて電気をつける勇気がなく、電話にも出られず、さらには、怖くて家に帰れず一晩中車の中で寝ることもありました。

 1年以上の学法を経て、普通に生活ができるようになりました。その後、邪党の「第19回大会」の時、18人が3組に分かれて私を監視し、自分はどこへ行っても尾行されました。毎回、師父の法と正念を頼りにして乗り越えました。

 今では敏感日になると、彼らはやはり待ち伏せに来ますが、私は友達のように、恐れずに真摯に接することができるようになりました。以前、私はよく左右を見ながら歩いていましたが、今では、一歩一歩がしっかりとしていて、風が吹いても雨が降っても揺るぎないと感じています。

 5年間の修煉の歴程を振り返ってみると、本当に感無量です。誰の助けも借りずに、大法を学ぶことを通して様々な迫害に直面することができました。それは、師父は常に弟子を見守り、悟らせて下さっているからです。そうでなければ、私は今日まで行うことをができなかったのです。

 ここまで書いて、私はすでに顔一面に涙が溢れています。師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「二〇〇五年ヨーロッパ法会へ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/29/434018.html)
 
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