師父は明るい目を私に下さった
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文/上海の大法弟子

 【明慧日本2022年2月27日】私は若い時、腕時計工場で勤務していて、組み立ての仕事をしていました。腕時計の部品はどれも小さく精密です。仕事している間ずっと、長時間拡大鏡をかけていると、目の具合が非常に悪くなったので、拡大鏡を使わず、自分の目に頼って仕事をしていました。一日終わると、目がとても疲れました。おそらく目を使いすぎたのが原因だと思いますが、50歳の頃、私は白内障になり、以前よりもかなり目が悪くなりました。その後、56歳の時、私は直腸癌を患って、血便が半年以上続き、身体は衰弱して手術をすることができない事態になっていました。

 幸いなことに私は病気になったことで、法輪大法を修煉することになりました。

 しばらく修煉すると、師父は私のために目を正常に戻して下さいました。目の中にムギのとげが入ったように痛く、また痒くて、終日ずっと涙を流していました。ある時いつもどおり涙を流していると、私の白内障は良くなり、目は正常になっていました! 慈悲なる師父に感謝いたします!

 60歳を過ぎた時、目にしたものがぼんやりしてきたので、老眼鏡を買いに行きました。最初は150度の老眼鏡を買ったのですが、徐々に進んで、70歳になった時には、老眼鏡の度数は480度になっていました。家の中にいても、いろいろと忙しく、どんな事をしてもすべて老眼鏡を使わなければならないので、家のあっちこっちに老眼鏡を用意しておくことにしました。多い時には恐らく6個の老眼鏡が家にの中にあり、それでも、まだ足りなくて、時には仕事に行く時も、鞄の中に老眼鏡を入れるのを忘れると、仕事にならないのです。私は老眼鏡を手放なすことができない人になりました。このような情況はずっと73歳まで続きました。

 集団学法する時に、私より年齢の高い何人かの同修が老眼鏡をかけていないのを見て、私は同修と自分の差を見つけ、とても恥ずかしく思い、心の中で悲しくなりました。 この時、「私はもう老眼鏡を使いたくない」と思いました。 そこで私は師父に尋ねました、「師父、弟子はもう老眼鏡をかけたくありません、なんと不便なのでしょう。これから私はもう老眼鏡をかけません、どうか弟子の業を取り除き、私の目が見えるように調整していただけませんか。そして必ず、『轉法輪』を3回通読しますので、私の目を正常の状態にしていただけないでしょうか」と師父に求めました。

 老眼鏡を手放すことが出来ない私は突然、老眼鏡をかけないで『轉法輪』を読み始めました。すべての文字がはっきり見えないので、なんと難しいことでしょう! 「師父は必ず私を助けてくださる」と信じて、私は老眼鏡を使わないこと堅持し、「ひたすら『轉法輪』を読んで、同修のように老眼鏡をかけないで『轉法輪』を読むことができるようになります!」と考え、このようにして、1カ月以上の期間で私は3回『轉法輪』を読み終えました。3回目を読んでいる時、既に字は、はっきり見えるようになり、4回目を読んだ時には、目が明るくなりました(訳注:よく見える)。

 眼鏡なしで『轉法輪』を読むことは、最初は非常に困難でした。 私はずっと師父のお教えについて考えていました。最後に、皆さんに一言お送りします。今後の修煉の過程で、もしあなたがとても耐え難いと感じた時、我慢しきれないと感じた時、この言葉を思い出して下さい。どんな言葉でしょうか? それは師父が説かれた「忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる」[1]です。私はこの「忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる」を絶えず暗唱する中で堅持してきましたので、いくら困難な事に遭遇しても、私は決して途中でやめずに、堅持し続けるでしょう。

 今、私は81歳になって、小さいサイズの『轉法輪』さえ読むことができるようになりました。師父が明るい(訳注:よく見える)目を私に下さったのです。

 慈悲で偉大な師父に感謝します! 師父に合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/9/438662.html)
 
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