文/中国東北の大法弟子
【明慧日本2022年6月17日】1999年、私が『轉法輪』を一回読み終えたばかりの時、法輪功に対する迫害が始まり、私の知っている修煉者はほぼ全員逮捕されました。環境を失った私は修煉を中止しましたが、真・善・忍の道理は心に深く根を下ろしていたので、日常生活の中で、私は大法の要求に従って行っていました。結婚して子供を持った2005年のある日、以前の同修と会い同修は私に『轉法輪』を貸してくれ、修煉の再開を励ましてくれました。その日から、私はまた大法の修煉に戻って来ました。
「どれだけの好運があって、このような良い嫁にめぐりあったのか」
私たちは結婚した後に夫の両親と同居しています。夫の両親は農村出身で年金が無く、十数年来、ずっと私たち夫婦と一緒に暮らしています。私は収入のない両親を見下したことがなく、生活の中でずっと真・善・忍に従って自分の言動を導いています。法輪大法は心の狭い私を他人のために考えることができる人間に変え、如何に夫の両親に親切にし、如何にトラブルを解消するかを教えて下さいました。
義父母と同じ屋根の下で生活していれば、小さいトラブルが起きかねません。ある日、舅が怒って、鍋の蓋を強く投げつけました。「自分のどこが間違って舅を怒らせたのか。トラブルが起きる時、内に向けて自分の不足を探すことを師父は教えてくださっているので、舅の立場に立って善意を持って舅の気持ちを理解しなければなりません。舅が言いたいことを言わずにいると、体に良くない」と思いました。舅が冷静になってから私は、「お父さん、私はまだ若いので、私のすることが気にいらなければ許してください。私はお父さんとお母さんを実の両親のように思っているので、不満があれば心に留めないで、なんでも言ってください。間違っているところは直します」と言うと、舅は微笑みました。
時々、姑が遠回しに私を叱っても、私は気にしません。怒りっぽい姑を変えることはできないので、真・善・忍の基準で自分に要求し心性を向上させ、善意を持って姑に接するしかありません。
姑は年をとっているので、時々わざと私を困らせたりします。ある日の昼食に姑が玉子スープを飲みたいと言うので、スープを作ると姑は「とろみをつけすぎ」と言いました。もう一杯を作り直して姑に持って行くと、今度は「とろみが足りない」と言いました。実はその時私は用事があって出かけたいのですが、姑が高齢なので、姑のことを第一に考えなければならないと思って、にこにこして3杯目を作りました。3杯目の玉子スープを姑の前に出すと、姑はまた「やはりとろみのつけすぎ」と言いました。私は全然心を動ぜずに「では、また作り直します」と言うと、姑は遠慮して、どうしても私に作り直させませんでした。
娘が2、3歳の時、舅の部屋で急に泣き出して、舅が怒って私と子供を部屋から追い出したことがあります。子供を抱いた私を舅が後ろから私を押し出しても、私は怒りませんでした。その場にいた夫のおばは大きな声で「2人は年をとっていて、よく病気もするし、嫁はあなたたちのために服も洗い、部屋も片付けて、食事も作っている。今どきこんなに義理の両親に孝行する嫁がどこにいるの。いい加減にしなさい。ほかの嫁だったら、とっくに喧嘩を売っているわよ」と言いました。
私は修煉者で、このようなことが起こったのは偶然ではありません。義父母は私の向上を助けてくれているのです、彼らに感謝すべきだと思うと、ますます心が広くなりました。
十数年来、義理の両親の日常用品はほとんど私が買ってあげたものです。2人は何回も入院していますが、すべて私たちが入院費を払い、一番多い時は一回の入院で1万元(約16万円)がかかりました。舅や姑が入院すると、私は毎日美味しい食事を作って病院に持っていきました。舅が先に亡くなり、姑は亡くなった時80歳を超えていました。
親戚はみな姑に「どれだけの好運があって、このような良い嫁にめぐりあったのか」と言い、また私に「よくやったね」と褒めてくれました。私は正直に「大法を学んでいなければ、私にもできない」と答えました。
夫の娘を可愛がる
夫は離婚歴があり、娘の親権は前妻にあります。夫は養育費を負担しないと言っていました。私たちは結婚した後、夫に「離婚は大人同士の問題で、子どもは何も悪くありません。養育費は払うべきで、父親としての義務も果たさなければなりません」と勧めたら、夫はとても感動しました。
毎年の旧正月に夫の前妻は娘を連れて地元の実家に帰省しています。夫が知らせを受けて前妻の実家に娘を迎えに行きます。私は娘さんに年玉をあげたり、洋服を買ってあげたりして、自分の子供のように可愛がりました。娘さんが大学を卒業するまで学費を私と夫はずっと援助しました。
この娘は私ととても親しく、私は彼女に法輪功の真相を伝えて、「三退」もしてもらいました。それから、彼女がどこへ行っても私は心配しません。「三退」もして「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」も覚えているから、どこへ行ってもウイルスから逃れて身を守ることができると思います。
師父は私たち親子3人の命を救ってくださった
修煉してから、私の身にも不思議な奇跡が起きました。以前は、平屋に住んでいる人が多く、冬は石炭を燃やして温かくしています。熟睡中に一家ごと一酸化炭素中毒になることは珍しくありません。ある真冬の朝、子供がまだ小さかった頃、私は起きた時に突然目まいがして、何が起こったのか分かりませんが、ひどく吐きました。その時、2人の子供も目が覚めて、起き上がろうとしましたが、立つことができず、よろよろとして泣き出しました。あっ、これはきっと一酸化炭素中毒だ! 昨夜、寝る前にストーブに石炭を詰め込みすぎて、ストーブに詰まって、不完全燃焼したのだと思いました。私は心の中で師父に「助けてください」とお願いし、子供たちに「法輪大法は素晴らしい」と唱えさせました。
子供たちは小さい時から私について学法し、『洪吟』を暗記し、大法の法理も分かっています。私が声をかけると、子供たちはすぐに「法輪大法は素晴らしい」と唱え、10分ほど唱えていたら、体調が正常に戻り、喋ったり笑ったり、何事もなかったようになり、私の体も正常になりました。
事後、少し怖くなりました。一酸化炭素中毒になったら、普通は人を昏睡させますが、私と子供たちは自分で目を覚ますことができて、しかもこんなにも早く回復しました。きっと師父が私たち親子3人の命を救って下さったと思います。
「法輪大法は素晴らしい」を唱えると、本当に奇跡が起きる
子供たちが小さい時に風邪を引いたり、熱が出たりすると、私は子供と一緒に「法輪大法は素晴らしい」と誠心誠意に唱え、毎回すぐ転機を迎えることができました。
ある日の深夜、息子が急に熱を出して、苦しくて泣き続けました。夫は焦って、病院に連れて行こうと言いました。私は息子に「法輪大法は素晴らしい」を唱えさせてと言うと、夫は「無駄だ」と言って、病院へ行こうと言い続けていました。私は「お金がかからない方法があるのに、なぜ使わないの。この方法で子供はきっと良くなるから、考え直して」と言うと、夫は黙りました。私と息子が一緒に「法輪大法は素晴らしい」を唱えていると、しばらくして息子は眠ってしまい、熱も下がりました。
ある日、息子は学校で同級生に蹴られて、額に玉子ほど大きなこぶができましたが、息子は同級生に対して一言の文句も言わず、小さな手でこぶを触って、痛くないと言いました。その子の保護者に会っても、私はその子を責めませんでした。担任の先生は私の態度を見て、「この親子は、本当に良い人だね」と、ほっとしていました。
またある日、同級生の一人が棒で息子の顔に10センチほどの傷を負わせました。先生がその子の親に知らせたら、親は私に電話をかけてきました。私は「心配しなくて大丈夫ですよ、きっとすぐ治るから」と言いました。傷が治ったあと、顔に10センチほどの跡が残りました。その子の親は息子を整形医院に連れて行くと言ったのですが、彼女に経済的負担をかけたくないため、私は断りました。誠心誠意に「法輪大法は素晴らしい」を唱えると奇跡が起きると信じて、息子と一緒に唱えました。
今、顔の傷跡は小さくなってきて、よく見ないと分からないほどです。このようなことが起きても、息子とその同級生は依然として親友でいます。このことを知った保護者はみな「あなたは本当に良い人だ」と敬服しました。法輪大法を修煉していなければ、私はその同級生を許すことができず、息子も私について大法を学んでいなければ、それほど広い心を持っていないと思います。法輪大法が伝え出されて30周年の際に、再び偉大な師父に感謝したいと思います。