利益に対する執着心を手放す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年3月6日】私の亡き両親は、私と兄弟に遺産を残してくれました。この問題を処理する際に、私は非常に寛大に行動し、より多くの遺産を兄弟にあげました。

 利益に対する執着が完全になくなったと思ったからです。しかし、最近の出来事で、隠れた執着があることがわかりました。

 私はショップで働いており、他店からの仕入れが必要になることがよくあります。そこで、自転車を購入しました。時々、同僚が声をかけて、その自転車を借りていきました。しかし、しばらくすると、彼らは何も言わずに勝手に自転車を持って行き、公共交通機関として扱うようになりました。

 最初は気にも留めなかったのですが、カゴに重いものを入れて壊してしまう人がいることがわかりました。中には、自転車を持って行って返さない人もいて、私が探すことになりました。酷使したため、自転車にも不具合が出始めました。結局お金を払って修理してもらうことになりました。

 2年後、私の自転車は古くなり、汚れ、乗りにくくなっていました。結局、新しいのを買って、古いのは処分しました。

 このことを経験してきましたから、私の利益に対する執着心が生じて来ました。私は新しい自転車には錠前をつけました。いつも私の自転車に乗っていた同僚は、錠前を見て、不機嫌になりました。

 私のことをよく知っている人からは「錠前を外したらどうですか?」と言われました。数日後、雨に打たれて錆びた鍵が開かなくなり、結局、錠前を切ってしまいました。

 これは明らかに執着を捨てろという啓発なのですが、私は利益への執着を捨てきれなかったのです。新しい同僚から自転車用の別の錠前を渡されましたが、使いにくく、たまに錠前がかからないことがありました。そのため、鍵は挿したままにしておきました。

 その鍵がなくなるまで、そう時間はかかりませんでした。「誰が私の鍵を持ち出したのですか?」、私は会社のフロントに怒鳴りました。

 誰も答えず、私の次の反応を待っているようでした。私は長年大法を修煉しているので、心性は悪くなく、不愉快ではありましたが、怒ることはなかったのです。私は別の錠前を買いましたが、鍵を鍵穴に入れることができませんでした。その時、これは私の利益に対する執着を取り除くべきのだと完全に理解しました。

 どうすれば鍵を開けられるかと考えましたが、鍵を外すことにしました。この執着を捨てたら、何も悪いことは起きなかったのです。みんな、私の自転車に乗り続け、大切にするようになりました。その自転車は紛失することもなく、良好な状態です。

 この出来事があったとき、私は少し不思議な気持ちになりました。なぜ、亡き両親から譲り受けた遺産は手放せるのに、自転車だけは手放せないのだろうか? 利益に対する執着はなくなりましたが、片付けなければならないものが残っていたのだと思いました。

 多くの同修が同じような境遇にあるのではないでしょうか。実は、何でもないことなのです。どんなことが起きても、それが良いことだと理解していれば、取り除くことができるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/22/432653.html)
 
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