【明慧日本2022年3月13日】(北京市=明慧記者)法輪功学習者・李文棟さん(以下、学習者)(55)は、1985年に北京大学法学部を卒業し、北京のある国有企業の取締役、会社の弁護士を務めたことがある。2001年、李さんは連行され、毒薬を注射されたことによって記憶を失い、骨と皮ばかりにやせこけ、半身不随で寝たきりになった。長年の苦難の末、2020年6月3日に亡くなった。
李さんの妻・邵岩さんは、北京農業大学で教鞭をとっていた大学院生である。 当時、李さん夫妻は北京市海淀区に住んでおり、2人とも黒龍江省佳木斯市の出身だった。邵さんは不当に労働教養を強いられ、佳木斯市と北京市の警官による嫌がらせ、肉体的、精神的にも大きなダメージを受け、2006年12月31日に亡くなった。享年40歳。
放浪生活を余儀なくされる
1999年7.20以降、李さんと邵さんは他の多くの学習者と同様に、自宅電話の監視、家近辺での待ち伏せ、尾行、嫌がらせなどの迫害を受けた。 そのため、李さんと邵さんは放浪生活を余儀なくされた。
不当に連行され、薬物を注射される
放浪生活8カ月後の2001年8月末、李さんと邵さんは海南で連行された。その後、北京海淀支局に移送され、不当に拘禁された。邵さんは1年6カ月の労働教養を強いられ、北京女子労働教養所に拘禁された。
拷問の再現:詳細不明な薬物を注射される |
李さんはひどい迫害を受けた後、ある警官が「あいつを廃人にさせる」と言った。その後、李さんは神経を破壊する薬物を注射された。以来、記憶を失い、話すことができず、人が分からなくなり、歩くこともできず、命の危険にさらされていた。
警官らは責任を負うことを恐れ、骨と皮ばかりに痩せこけた李さんを実家の佳木斯市に連れ帰らざるを得なかった。
学習者を薬物迫害する黒い巣、海淀区病院を思い出す
帰宅したばかり頃の李さんは、毎晩のように恐怖の声をあげていた。また、李さんが半身不随で寝たきりになったにもかかわらず、佳木斯市向陽公安支局建設派出所の警官らは何度も嫌がらせに来ていたため、李さんの父親は耐え切れず、悲しみと怒りの中で亡くなった。
二重の打撃を受け、体調が悪化した母親(70代)は、毎日李さんの世話をしていた。
北京女子労働教養所で迫害された、妻・邵さんは極度に衰弱し、生命の危険に晒されたが、労働教養所側は解放するどころか、邵さんに大量の薬物を注射した。
2002年末、邵さんは不当な労働教養期間が満了となり、釈放された。当時、極度に衰弱していた邵さんは北京に戻らず、佳木斯の実家に戻り、夫・李さんを看病した。
邵さんは毎日、記憶を失い、歩けなくなった李さんに法輪功の書籍を読み聞かせた。李さんは次第に人が分かるようになり、体調もある程度回復した。学法と煉功を続けているうちに、李さんは二本の松葉杖で歩けるようになり、その後、一本杖で歩くようになった。だんだんと、階段を上れるようになり、記憶も一部回復した。
一部の記憶を回復した李さんは、次のことを話した。「北京市海淀区の病院で、とても広い部屋に、白いシーツに覆われて、何も意識せず、ただ息をひそめて動かない人がたくさん横たわっていた。自分もその中の一人だった。白衣を着た男たちが見回りをしていて、白衣の中に警察の制服を着た人がいた。海淀区病院は学習者に対する薬物迫害の黒い巣だった」
北京女子労働教養所で迫害され、極度に衰弱した邵さんは、長い間、健康な状態には戻らなかった。同時に、北京市と佳木斯市の警官による嫌がらせが絶えなかったため、邵さんは肉体的にも精神的にも大きなダメージを受け、2006年12月31日にこの世を去った。
長年連れ添った妻を失い、学法の環境も失った李さんは、一本杖で外を歩ける状態から、徐々に寝たきりになり歩けなくなった。
2020年6月3日、李さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。