文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年3月24日】私は幸運にも1996年に法輪大法と縁を結び、半年間修煉した後、あらゆる病気が消え、心身ともに健康な状態になりました。私は71歳ですが、地獄から私を救い出し、さらに修煉を向上させてくださったのは、慈悲深い偉大なる師父です。
20年以上の修煉の中で、私は多くの困難や曲折を経験し、信仰を守るために拘留所、洗脳班、労働教養所による再教育、刑務所などに連行され、迫害されました。私は、嘘に惑わされ、大きなプレッシャーと恐怖の下で、大きな間違いを犯し、修煉の道で、何度も転びましたが、何度も立ち上がり、前へ進み続けました。それは、慈悲深い偉大な師父が私を見放さず、見守り啓蒙してくださっているからであり、俗世に迷い込んだ私を目覚めさせたのは法輪大法の法理であり、真・善・忍という宇宙の特性が私の血に溶け込んだからです。
残酷な迫害は、私を落ち込ませるどころか、やがて全人類を滅ぼすことを究極の目的とする悪党の本性をはっきりと見させることになったのです。旧勢力は、私の修煉への意志を破壊しようとしていることがはっきりわかりました。大法は宇宙の救済であり、大法弟子は自分をよく修めてこそ、衆生を救うという使命を果たすことができると理解しました。
本物の金になる
刑務所を出てから、私は日記にこう綴りました。「霜は銀髪と黄金の秋をもたらし、災いは痛みと崇高さをもたらす」。 ある日、頭の中に「金子進 沙子出」の文字が浮かびました。本物の金に育てたいのなら、試練の中で自分を育て続けなければなりません。快適な普通の人になりたいのなら、修煉をあきらめなければなりません。 ずっと私が心に思い描くのは、「修煉を永遠にあきらめない」という文字です。 そのため「本物の金になる」ことは私の唯一の選択肢です。
師父は「魔の妨害があってこそ、最後まで修煉できるかどうか、本当に道を悟れるかどうか、妨害に動ぜずにいられるかどうか、この法門を堅持できるかどうかがはっきり分かります。『荒波は砂を洗う』という言葉がありますが、修煉はまさにそうで、最後に残ったものこそ真の黄金です」[1]と説かれました。
その後、私はスムーズに大法弟子がすべき三つのことをこなし、友人、親戚、同級生、同僚、縁のある人に法輪功迫害の実態を伝え、三退を助言し、心からの九文字と大法の福音を伝え、多くの人が三退をし、心からの九文字を覚えてくれました。90代のおばあさんも、悪の共産党組織を退き、良い未来を選ぶことに同意しました。 真摯に九文字の言葉を唱え、94歳で静かに息を引き取りましたが、これはおばあさんが修めた福であると人々は言います。その頃は比較的ゆったりと修煉する日々でした。
中共は2017年に「19大」(第19回人民代表大会)を開催して以来、大法弟子に対するいわゆる「ノックドア行動」を開始し、ほぼすべての大法弟子が程度の差こそあれ邪魔をされており、私もその一人でした。私は、警察官から「まだ法輪功を修煉しているのか」と聞かれ、「しています」とはっきり答え、そして、大法修煉で心身ともに恩恵を受けたという事実も伝えました。私は、20年以上も法輪功を修煉しているので、堂々と正直に言えばいいと思いました。その他の無理な要求には協力しないのです。
それ以来、いわゆる敏感な日になると、警察がやってきて、非常に態度が悪くて、時には悪口や攻撃的な言葉も交えて、私たちに嫌がらせをするようになりました。 そして真相をちゃんと伝えられなくなり、発正念も効かず、何度も苦しめられました。この間、90代の父の持病が重くなり、この世を去りました。娘も病気になり、しかも一つの病だけではなく、またほかにもトラブルが続出し、大変苦しい思いをすることになったのです。
道を塞ぐカマキリ
娘がじんましんになり、ショック状態になったことがありました。 ある日、娘の体や顔、さらに口の周りに赤い発疹が出たのですが、戸惑ったのは、発疹がしばらく出て、また止まっての繰り返しで、私の心は引き裂かれるように揺れました。
娘がソファに座って話をしているとき、ふと唇の上に緑色のものがいるのに気づき、よく見ると小さなカマキリでした。 娘に話すと、娘は慌てて手で小さなカマキリを床に払い落とし、私はそれを拾い上げて窓から投げ捨てました。
カマキリはどこから来たのか? 娘自身が何も感じないなんて! 私は心の中で考え込み、やがて、カマキリは弟子に「道を塞いでいる」ことを戒めるためかもしれない、と思い至りました。警察の「ノックドア行動も、娘のじんましんも、すべて旧勢力が私の心を弄び、意志をすり減らし、修煉をあきらめさせようと仕組んだことだったのです。師父はそのまま逆手にとり、魔難の中で大法弟子を成就させ、大法の力を発揮させられたのです。魔は一尺高ければ、道は千万倍高くなり、決して魔が道より高くなることはありえない」と心から実感しました。
私は、学法を強化し、内に向けて探し、自分の正念を強め、各種の難の中で露呈した多くの執着心を見つけました。身内に対する執着心は、特に、長年にわたる悪党による大法弟子への迫害の中で、両親から引き離されて、心身的ダメージを受けた娘に対する非常に重い愛情であり、恐怖心は、長年の迫害によるトラウマが消えず、怨恨の心は、長年迫害を受けて生じた警察への恨みの念、そして、党文化の思想による極端な行動で物事を行うことなどが見いだされました。
しかし、私自身が大法弟子として、真・善・忍の基準に従って自分を要求し、慈悲心を修めなければならないのです。上記のそれらの執着心、党文化の思考、概念、行動をすべて修め、無くす必要があります。警察官も救われるべき命であり、その背後にいる悪しき共産主義の霊や腐った悪霊こそを根絶しなければいけないのです。
法理が明晰になり、心も落ち着き、娘も元気になり、警察の態度も次第に変わりました。ある警察官は「私たちも来たくない、人にはそれぞれ志があるので、良いと思えば家でやるのもいいと思います」と言うようになったのです。また、環境も良い方向に変化しています。「内に向け探す」は、師父が私たち弟子に与えられた、大法で修煉するための法器、宝なのです。
執筆中に気づいたのですが、本当に前進の道を邪魔していたのは、自己防衛、利己的、執着的な心だったのです。
転換
難を乗り越えたあの夏には、娘と2人で景色のきれいな公園に行き、娘がボートで蓮を楽しみたいと言い出し、タイミングよく出発しました。電動ボートに乗り、蓮池の中を高速で進み、蓮の花と青い空と白い雲が同時に水面に映し出され、とてもきれいでした。
帰りはスカルボートに乗る観光客がいっぱいで、娘と観光客は楽しそうに蓮を楽しんだり写真を撮ったりして、ボートはゆっくりと進んでいました。水面に映る蓮の花を見て、とても感慨深かったです。
今後の残り少ない修煉の日々に、私は師と法を信じ、大法弟子の使命を忘れず、勇気と勤勉さを持ち、より多くの衆生を救います。そして、圓満し、師父と一緒に本当の家に帰りたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』