【明慧日本2022年5月30日】(山西省=明慧記者)山西省大同市の法輪功学習者・牛蘭雲さん(59)は3月28日の早朝、借家の窓からロープで落下した後、警官らに不当に連行された。当日の夜8時頃、牛さんの家族は「葬儀場に行き遺体を確認して欲しい」と知らされた。わずか14時間で、健康だった身内が帰らぬ人間となり、家族は悲しみに暮れた。
牛さんは1998年4月に法輪功を学び始め、まもなく長年苦しんでいた産後冷え症が消えた。同時に「真・善・忍」の教えに導かれた下で、牛さんは道徳を高め、寛容な心で人に接し、家族との関係を改善し、心を込めて自力で生活できない姑の面倒を見ていた。法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法だが、1999年以来中国共産党によって迫害されている。
1999年7月、江沢民集団が法輪功への迫害を開始して以来、牛さんは2回にわたって労働教養を強いられたことがあり、何度も拷問を受け、断食の期間中に灌食され、薬物を与えられたことによって、危篤状態に陥った。
牛蘭雲さんが連行され、死に至った経緯
2020年、牛さんとほかの数人の学習者が、尾行していた警官により連行された。新型コロナウイルスが蔓延しているため、警官はその当日に、牛さんを釈放したが、「後日また連行する」と言った。
2021年の正月6日から、大同市公安局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)、新華通り派出所の警官らは、牛さんと家族に対して絶え間なく嫌がらせと脅迫を働いていた。そのため、牛さんは家を離れるしかなく、同市の西韓嶺恒安区に部屋を借りた。
2022年3月28日の朝6時頃、階下の目撃者は、牛さんが窓を開け、ロープで3階から降りた時に、突然ロープが切れ、地面に落ちたが、立ち上がって目撃者の方に歩いてきた。目撃者は「救急車を呼びましょうか」と声をかけたが、牛さんは「大丈夫です」と答えた。やがて救急車が到着し、牛さんは断固として救急車に乗らず、誰かが牛さんを救急車に引き込もうとした時、パトカーが走ってきた。警官らは横暴な態度で牛さんをパトカーに押し込んで発車したという。
その直後、警官は牛さんの大家を連行した。そして牛さんの部屋のドアを開けさせると、台所に混ぜたばかりの小麦粉の生地を発見し、牛さんがロープで窓から降りる前に、朝食を準備していたことがわかった。では、どのような緊急事態で、牛さんは必死に逃げようとしたのか。
同日の夜8時、警官は家族に牛さんの死を知らせたが、14時間の間に、大同市公安局国保の警官らは、牛さんに一体何をしたのか。
かつて二度にわたって労働教養を強いられた
2000年11月、牛さんは法輪功の無実を訴えるために北京へ陳情に行ったが、北京で連行され、翌日、地元に連れ戻され、大同市第二留置場に拘束された。
2001年1月、牛さんは山西女子労働教養所に拘禁された。ある日、煉功したという理由で、牛さんはスタンガンで電気ショックを与えられ、両手がひどく腫れ上がった。また、牛さんは断食で迫害に抗議したとして、5人の受刑者に頭を地面に押しつけられ、鉄の棒で口をこじ開けられ、乱暴に灌食された。また、食事の中に薬物を投入されたため、牛さんは気が狂いそうになった。
拷問のイメージ図:不明な薬物を注がれる |
2005年の春、牛さんは迫害の実態を人々に伝えたとして、再び大同市第二留置場に拘禁された。70日間様々な拷問を受けた末、牛さんは非常に痩せこけて、体重が35キロまでに落ちてしまった。