忘れがたい貴重な同修たち(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年6月28日】私が22年間の修煉過程の中で体験し、大法を実証した話はとても多くあります。これらの話に関係する人は、一度だけ会ったことがある人もいれば、彼女たちの名前の多くを私はずっと知らないままです。しかし、彼女たちのことは今でも忘れられません。これらの話の一つ一つは、まるで真珠のように私の記憶の深い所でばらばらになったまま、光輝いています。私はそのうちのほんの一部分を取り上げ、一連の真珠にして皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。

 1999年7月、邪党の首魁である江沢民はすべての弾圧の機器を始動させ、恐怖を与える勢いの中デマを流布し、法輪大法及び大法の師父を非難し、無実の人を罪に陥れました。多くの大法弟子は政府が真相を理解していないのだと思い、みな善に向けて心を修め、身体が健康になった体験や政府に対し、真実の状況を伝えています。また大法の素晴らしさと師父の潔白を実証しました。多くの大法修煉者が続々と、平和的な請願のために北京へ向かいました。大法のために公正に話をしようと思っていただけでした。心の中で「法輪大法は素晴らしい!」「真善忍は素晴らしい!」と呟いていました。しかし、このような善良な人々を待っていたのは、弾圧、拷問、刑務所、ひいては行方不明などでした。大法弟子は本省の役人や会社の上司を巻き添えにしたくないと思い、住所氏名を言いませんでした。それにより、今までとても生き生きと生活していた人が、戸籍を失い、公安のデータベースの中で凍り付くような整理番号の人となったのです。

 2000年6月、私と妹は大法の平和的な陳情をするために北京へ向かい、北京郊外の十里渠収容所で不当に拘禁されました。女性警官によって無理やり裸の身体検査をさせられ、着ていた衣服を剥ぎ取られ、すべて取り上げられてしまいました。刑務所は私達にいかなる生活用品も売ってはくれず、刑務所の中には布団さえなく、環境はきわめて厳しいものでした。北京に行った大法弟子はとても多く、私がいた刑務所の中は6人分のベッドが一列に並べられており、その中に20人ほどの大法弟子がいっぱいに押し込まれていました。これらの修煉者はとても善良で、他人のことを思いやって行動します。人が多いのにベッドが少ないため、みなは冷たいタイルの床に頭を擦り付けて寝たり、トイレの臭気が発している傍で寝たり、木のベッドを他の人に譲ったりしていました。ある同修は毎晩壁に寄りかかって座りこんで寝ており、他の同修が寝る時に足が伸ばせるようにしてあげました。

 悪意を持った警官は、わざと刑務所の中の網戸を持ち去ったため、夜間の電灯の灯りによって引き寄せられた蚊は更に増えました。近郊地区の蚊は大きくて毒があり、同修達はみな蚊に刺されて全身の皮膚が腫れ上がり、睡眠中に赤く膨れたところを爪で引っ掻いたため出血していました。ある小柄な太った古い同修は毎晩少ししか眠れず、みんなが安眠できるように、率先して自分の服を使って蚊を追い出していました。また、別の古い同修は自分の白いベストを切り裂いて、みんなにタオル代わりに使わせていました。2ロールしかないトイレットペーパーをみなで節約しながら使っていました。なぜなら、新しいトイレットペーパーがいつ手に入るか分からないからです。このような状況の中でも善に向けて心を修煉し、動揺することはありませんでした。一緒に法を暗記し、煉功し、互いに励まし合い、みんなは穏やかで落ち着いていました。

 1.人を叩く警官のために涙を流す古い同修

 ある古い同修は背が高く、肌は白く赤みが差していました。彼女が修煉する前に、多くの重い疾患があったとは誰も思わないでしょう。もし彼女がすでに72歳だと言わなければ、私には60歳位にしか見えませんでした。その同修はひどく訛っていて、真剣に聞かなければ彼女が何を言いたいのか分かりません。ある日、その同修は不当な取り調べで呼び出されて戻って来た時、目が真っ赤になっていて、明らかに泣いていました。みなはとても心配し、殴られたのかと彼女に聞きました。このようなことはしょっちゅう起きているからです。その同修はちょっと頷き、その経過を話し始めました。若い警察官はその同修にどこから来たのかと聞いたので、同修は自らの経験を話し、修煉した後、病気が全て改善し、真・善・忍に照らして良い人になり、最後に家庭が睦まじくなったことなどを警官に話しました。その後「私は住所や氏名をあなたに教えることはできません。もし話せば、私達が住んでいる場所のお役人が免職されてしまうからです。彼らがその役職を得るのは容易いことではありません。彼らを巻き添えにして失職させるわけにはいきません」と言いました。しかし、その警官はちっとも聞き入れようとせず、同修を拳で殴り、足で蹴り始めました。同修はその警官の憎々し気な様子を見て、彼をとても可哀想に思い、泣きながら「私はすでに70歳を超えていてあなたのお母さんよりも歳上です。あなたはこんなことをしてはだめですよ。こんなふうに修煉する人を殴ったり、罵ったりすると、業を造るのですよ。将来地獄に落ちて、償わなくちゃならなくなったら、この先どうするのですか?」と話したそうです。みんなはその同修が話したことを聞いた後、ため息をつくと同時に、同修の金のような善良さに敬服しました!

 2. 3日間歩いて北京へ行き、法を実証した同修

 刑務所の中に浅黒く日焼けした同修がいました。私が出会ったばかりの時、彼女はやつれていて、手で胸部を押さえて、とても痛そうな様子でした。彼女は天安門広場で警官に殴られ、肋骨を蹴られて怪我をしました。胸部の痛みはすでに何日も続いていました。この同修は30歳未満くらいで、浙江省の辺りの訛りがあり、着ていた衣服は露天で売っているような最も安っぽいものでした。身体には長年肉体労働をしていた痕跡があり、生活はかなり苦しいはずです。その後、彼女と言葉を交わすようになって、私の推測は正しかったことが分かりました。彼女は最寄りの駅に行くまで数十里の山道を歩かなければならず、お金がなかったため、80元あまりのお金を借りて、自分で作った携帯用の食糧を持って、山奥から出て来ました。そして、たった80元では北京まで行くことはとうていできないため、北京方面へ80元で行ける所までの切符を買いました。下車した後、ろくに食べることもできずに3日間歩きつづけて、ついに天安門広場を見つけました。「法輪大法は正法です! 法輪大法は素晴らしい!」彼女は人々にこのことを伝えるためだけに北京にやって来たのでした。

 この同修の大法や師父に対する敬虔さと固く信じる心は私を感動させました!

 3.どんなに怖くても住所や氏名を言わない同修

 ある若い同修はいつも私と一緒にいました。彼女は南方から来た女性で、繊細で物静かな女子高生のように私には見えました。しかし、彼女には2歳になったばかりの子供がいました。私は彼女に「お子さんに会いたいでしょう?」と聞くと、彼女はちょっと頷きました。彼女は私に「私は度胸がないから、正念をもっている同修と一緒にいたいのです。私にも正念が出るように」と言いました。私は彼女に「度胸がないのに、どうして北京まで来たのですか?」と聞きました。彼女は「私は来るべきだと思ったので来ました」と言いました。

 同修たちは絶食して、邪悪で不当な拘禁に抵抗することを決めました。(先にやって来た同修が私達に教えてくれたことは、数日前の灌食の時、ある女性の同修が気管にチューブを差し込まれて、その場で窒息して亡くなったそうです)抗議のための絶食から4日目に私達は野蛮な灌食を受けました。灌食の部屋の両側には2つの鉄製のベッドが並べられており、ベッドの手すりには人を固定させるための手錠が4つ架けられていました。数人の男性の犯罪者が側で虎視眈々と、鼻から灌食させる用意をしています。(ゴム製のチューブを鼻から入れて食道を通して胃に流し入れるのです)私にチューブを突き挿す時、私は心の中でずっと念じていました。「あなたには挿し込めない。挿し込めない」結果的に彼らは一回一回挿し込もうとしますが、なかなかできないため別の人がやって来ては挿し込もうとします。長い時間かけて代わる代わる行いましたが、どうしても挿し込むことができませんでした。私は次第に煩わしくなり、心の中で、「いつになったら挿し込めるのだろう。挿し込むことはできるのだろうか」この一念でチューブがするっと入っていきました。どうすべきか分からない気持ちで、憂鬱な気分になりました。不覚にも「ああ...」と大声で叫んでいました。後で私が悟ったことは、もしその時「私にチューブを挿し入れることを許さない!」と思っていたなら、チューブを入れることはできなかったかもしれません。

 同修たちの所へ戻った後、私は若い同修の薄いピンク色のTシャツの上に大きな足跡が付いているのを見ました。彼女は私に「私はあなたの後ろにいましたが、あなたが灌食の部屋で悲鳴をあげたのが聞こえて、どうなったのか分からなかったのでとても恐かったのです。私の順番がやって来て『私はすでにご飯を食べたので灌食する必要はありません』と、白衣を着た人に言うと『食べていても灌食はするんだ!』その後、その人は『怖いのか』と聞いたので『怖いです』と言ったら、『どこから来たんだ』と聞きました。『私は、言いません!』と言ったら、その人が私を踏みつけたのです」と話しました。

 私の叫び声が同修にそんなに大きな恐怖のストレスを与えていたとは思いもよらず、とても恥じ入りました。同修の心は純粋で水晶のように澄み切っていたのです。

 数日後、私は職場の上司によって探され、故郷に連れ戻された後、不当に拘禁されました。故郷の警察は北京の警察に3千元の罰金を払ったので、私は自分の省には、北京に陳情に行った人のリストに名前が載っていません。なぜなら、当時江沢民は、陳情した大法弟子が多いのはどの省であるかを調べさせ、その省の役人を解雇するようにと命令を下しました。ですから当時、各省や市はみな、「北京駐在の役人」によって3千元から5千元ほど支払って、北京警察の手中にある、陳情に行った大法弟子のリストから外すよう買い戻していたのです。北京警察はこれにより莫大な資産を築きました。これが、北京警察が大法弟子の氏名や住所を、力の限りを尽くして尋問する理由です。しかし、当地の警察は、この費用を大法弟子に転嫁しました。数万元ものお金を巻き上げられた大法弟子もいました。それらの長期的な尋問で住所や氏名を言わない大法弟子は、次から次へと大きなトラックで運ばれました。数年後には生体臓器狩りという、この地球上で前代未聞の血生臭い罪悪が明るみになった後、トラックで運ばれたそれらの大法弟子は隔離され、秘密の集中キャンプ、或いは地下の病院に監禁され、中国共産党の生体臓器狩りのドナーとなり、無実の罪が晴れないまま被害者となったのではないかと私は推測しています。

 20年以上過ぎて、私はもうそれらの同修に会うこともなく、彼女たちの消息を知りません。その時の同修のことを思い出すたび、彼女たちが依然として健在で修煉し、正しい道で人を救っていますように、と心からお祈りしています。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/16/437190.html)
 
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