【慶祝513】「90年以上生きてこの日を待っていた」
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 文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2022年11月22日】私は1996年に大法の修煉を始めました。現在は退職した教師で、困難で紆余曲折ながらも20年以上、修煉の道をつまずきながら歩んできました。私自身、至らない点が多々あり、師父の慈悲なる済度に合わせる顔がありません。しかし、師父の広大な救い済度のご恩の下、迷い、地獄に落とされた私は新たな人生の目標を見つけました。そして、大法によって自らを清め、人に褒めたたえられる善良な人間になる努力を続けています。

 第23回世界法輪大法デーと法輪大法があまねく伝えられて30周年に際して、私の家庭での修煉で体験したいくつかの小さな物語を、一方では大法の超常さと偉大さを実証するために、他方では師父への限りない感謝の気持ちを表すために書きたいと思います。

 見知らぬ人が義母に「こちらはあなたの娘さんですか?」と尋ねた

 2003年頃、農村に住んでいた70代の義父が癌で亡くなり、60代の義母はショックで痴呆になり、血圧が高く、失神することもあったので、長男はあえて義母を一人暮らしさせず、母親(訳注:義母)を同居させました。しかし、長男の妻とうまくいかず、義母は自分の家に戻って一人暮らしをすることになりました。末っ子も「親が生きている間は親孝行はせず、親が死んでも葬儀を行わない」と言うので、義母は何の希望も持てませんでした。

 この状況を知った私と夫(義母の次男)は、義母を我が家に呼び寄せました。すると、多くの人が私のことを馬鹿だと言い、さらに、ある人は「長男は義母と意見が合わず衝突するので彼女を住まわせたくなく、あなたは何も言わずに彼らの希望通りに彼女を連れてきて、これから、ずっとあなたのところにいて、あなたはどうするのですか!」と言いました。ある人は「息子が3人もいて、交代で一緒に暮らせるのだから、このように要求するのは無理な話ではありませんか」と言いました。

 他の人がどんなに私に対して義憤を抱いても、私には自分なりの考えがありました。私は「もちろん交代で一緒に暮らすのはいいことですが、私に要望があれば説明してもらえるし、それに条件が揃っているのに、お年寄り(訳注:義母)が順番に息子たちの家に住んで、いい暮らしができるのでしょうか?」と言いました。

 私は「私は修煉者であり、師父は、真・善・忍に従って行動するようにと私たちに教えており、もし私が断ったとしたら、私も彼らと同じになってしまいます。そしたら私はどうやって修煉者を名乗ればいいのでしょうか?」と言いました。

 義母に喜んでもらおうと、夕食後に一緒に散歩に行くこともあったのですが、見知らぬお年寄りに出会うと、必ず挨拶をして義母に「こちらはあなたの娘さんですか?」と声をかけました。義母は「いいえ、息子の嫁です」と言いました。人々は「あなたはとてもお幸せですね」と義母を称賛しました。

 時々、義母をお風呂に連れて行くと、人に「こちらはあなたの娘さんですか?」と聞かれました。義母はやはり「いいえ、息子の嫁です」と言いました。聞いてきた人は一瞬放心状態になり、そして「あら! なんて素敵なのでしょう!」と言いました。笑顔で私たちに羨望の眼差しを向けてきました。

 転倒した義母を車椅子に乗せて外に出ると、やはり同じ質問をされ、義母も同じように答えました。

 私は「なぜ、いつもこのように聞かれるのだろう? 娘だけが母への思いやりを持って接することができ、嫁ではこのような付き添いができないということでしょうか? 『姑と嫁は敵同士』というのは本当に多くの人の認識であり、それなら私は今日はこの常識を変えて『姑と嫁は母娘のよう』を実践してみよう」と思いました。

 しかし、自分の心を正直に見つめてみると、二つの心の間に隙間がない状態に達することは、簡単なことではないと私は身に染みてわかりました。親孝行な嫁になりたいという思いは以前からありましたが、いざとなるとなかなか難しいものだと実感しました。心を修め、不満を解消することについては、大法のお導きがなければ、決してできなかったことでした。私が生活の中でどのような試練を経験し、自分の良くない執着心を断ち切る時の、心をえぐられ骨にまで突き刺さるような苦しみは、誰にもわからないと思います。そして、自分の私心が生んだ恨みを克服しようとどのように苦悩してきたかは、私の師父以外は誰も知りませんでした。ですから「姑と嫁は母娘のよう」というのは、自然にできるものではなく、心性を修めることによって得られるものでした。

 義母は「あなたたちは真に佛を修める人です」と言った

 ある年、義母の義妹が新疆から実家に帰省し、年長者は義妹の兄嫁である私の義母だけでした。家に着くと、義母が私たちと一緒に暮らすようになったことに気がつき、それで、義妹は私たちと一緒に暮らすようになりました。叔母(訳注:義母の義妹)は80歳近いので、ここまで何百キロも移動するのは大変であり、叔母は「これが最後の故郷訪問です。すぐに帰るには年を取りすぎているので、あと数日は家にいることにします」と言いました。

 ある日、夕方仕事から帰ってくると、家の中に大量の麦ぬかがあり、何が何だかわからず、急いで料理をしていたので、特に聞きませんでした。食事の後、叔母は私に興奮気味に「今日、小麦を収穫し、いくつかの麦の粒を手でもみました。8割熟成の麦の粒は最高においしくて、大きく、粒が十分充実していて、あまり硬くなく、モチモチとした食感で美味しく、もう何年も食べていないので、また食べたいと思い、戻ってきました」と言いました。叔母が2キロの小麦の袋を持っているのを見て、私は「こんなにたくさんどうするのですか?」と言いました。叔母は「とりあえず冷蔵庫で凍らせておいて、帰るときに持ってかえります」と言いました。私は「どこで手に入れたのですか? 人の家の物を採ったのではないですか?」と言いました。叔母は「郊外に行ったら麦畑があったので、手で摘んでみたら、ご覧のとおりリュックにいっぱい取れました。帰ってくる時、お寺(このお寺は旧正月の一日と十五日に焼香する)があって、たくさんの人が焼香していたので、私も行ってみて、リュックを門の外に置き、中に入って焼香して頭を下げました」と言いました。

 私はとても不快に思い、叔母に「あなたは神を信じていますか?」と尋ねました。叔母は「ええ、私は佛を信じているし、家でも佛にお供えしています」と言いました。私は「佛は人に良い人になるようにと教えていませんか? どうして人の家の小麦を摘んだのですか、これは悪いことではありませんか?」と言いました。叔母は「小麦を摘んでいる時、誰も私を見なかったし、焼香に行く時は、神に見られるのを恐れて、リュックを門の外に置いて行きました」と言いました。私は思わず笑ってしまいました。

 私は「私も佛を修めていますが、師父は『真・善・忍』は最高の佛法だと教えてくださり、佛、道、神は、この三つの言葉から切り離すことはできないので、真・善・忍が、私たちが行動する際の基準です。自分のものでないものを取るのは真ではなく、他人の利益を損なうのは善ではなく、自分の私欲を抑えきれず他人の利益を損ない、他人の精神を傷つけることは忍を守れなかったことになります」と言いました。叔母は恥ずかしそうに「私は間違っており、長年、佛を拝んできましたが、どのように修めるのかがわからず、歳をとっても、どのように行動すればいいのかわかりません。このような道理を今まで聞いたことがなかったので、無駄に生きてきました」と言いました。

 私は「叔母さん、あなたが佛を信じ、善に向かうということは、あなたは善い人なのですが、善の基準に達する方法を知らないだけなのです。人は表面を見ますが、神は心を見ており、佛像はなぜいつも目を閉じているか知っていますか? 佛は佛眼で世界を見ています。目を閉じても人々のあらゆる動きを見ることができ、人々の心の中で動く念さえも見ることができ、人が神を欺くことはできません。もし、神がこんなにも偉大なる知恵を持っていないのなら、どうして人を済度することができるでしょうか?」と言いました。叔母は「なんと、そういうことだったのですね、神の前で私はまだいい人を装っているのですね、恥ずかしいです」と言いました。

 叔母は「あなたたちは真に佛を修めているように思います。実は、数日前からあなたを観察していたのですが、私やあなたのお母さんにとても親切でした。 私の息子の嫁にはできないことがたくさんあり、どうしてそんなに心優しいのでしょうか。こんないいお嫁さんを持ったあなたのお義母さんは幸せですね! あなたが私の息子のお嫁さんだったらどんなに素晴らしいことでしょう! でも、疑問があります。なぜ、テレビで法輪功のことをあれこれ言うのでしょうか、あれは一体どういうことですか?」と言いました。

 私は「江沢民は、ますます多くの人々が法輪功を学び、人々が共産党の無神論ではなくなり、神佛を信じるようになることを恐れているのです。中国共産党を信じられなくなれば、中国共産党は誰も騙せなくなります。法輪功を中傷し弾圧することで、人々は修煉しなくなります。しかし、真実を知れば、誰があきらめようとするでしょうか? 中国共産党は長年にわたって法輪功を迫害してきましたが、今でも多くの人が修煉しており、法輪功は世界の100以上の国と地域に広がっており、これは、邪は正に勝てない、ということです」と言いました。

 私はまた「法輪功は人々に佛を修めることを教えています。江沢民グループは佛法を中傷し、修煉者を迫害して、人類最大の罪を犯し、天は中国共産党(以下、中共)を滅ぼそうとしています。叔母さんは党、共青団、少年先鋒隊に加入したことはありますか? 早く脱退しましょう!」と言いました。叔母は「私はどこにも加入したことがありません」と言いました。私は「それならいいです、法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい、を心から念じれば、神佛のご加護があります」と言いました。叔母は嬉しそうに「よし、法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい! と念じます」と言いました。

 年配の教授「90年以上生きてこの日を待っていた」

 私の家は学校の家族寮にあるのですが、この辺りは古い建物が多いので、先生たちはほとんどここに住むようになり、若い先生たちはマイホームを買って引っ越しました。義母が亡くなって3年目に、80歳を過ぎた両親が同居するようになりました。

 私の母親は病気がちで、体調がいい時と悪い時があり、時には自分のことができなくなり、介護が必要になることもありました。母親の体調が良い時は、父親と散歩に出かけ、少しずつ年配の先生たちと仲良くなり、近所のお年寄りたちは私の両親をうらやましがり「見てください、このお二人、娘さんに面倒を見てもらって、子供たちも親孝行して、一緒に過ごしていて、あなたたちのような幸せな家庭はほとんどありませんよ」とよく言いました。

 家族寮には90歳代の年配の教授がおり、3人の息子と1人の娘がおり、現在(訳注:2022年5月)は孫と孫の嫁が同居していますが、基本的には別々に暮らしており、年配の教授曰く、食料品の買い物、料理、皿洗い、洗濯はすべて自分でやっているとのことでした。老人(訳注:年配の教授)はとても寂しく、よく外で座っていました。たまに私の家に来て、私の両親と話をしていました。今年になってからしばらく年配の教授が出てくるのを見ておらず、私たちは年配の教授が病気かもしれないと考えていました。2日前、突然、家の前を歩いている年配の教授を見かけました。私はすぐに年配の教授にあいさつし、私の家に来て両親とおしゃべりできるようにと温かく手助けをしました。

 年配の教授は「少し前に体調を崩し、病院から『もう年だから家で療養しなさい』と言われ、その日は体中が痛くて悲鳴を上げていたのですが、年配の漢方の医師が薬を出してくれて、痛みが止まりました。でも、今また痛くなってきました。小型のマッサージ器を購入し、プラグを差し込んでマッサージをしているのですが、太ももや上半身しかマッサージできず、腰を曲げることができず、ふくらはぎや足首まで届かないので、ちょっとマッサージをお願いできますか?」と言いました。私は「はい」と答えました。年配の教授は「それなら、家に帰ってマッサージ器を持ってきます。孫と嫁は家におり、孫の子供は学校、嫁は就職活動をしておらず、私と話をせず、嫁にマッサージしてもらおうとは思いません」と言いました。しばらくして年配の教授は家に帰り、小さなマッサージ器を持ってきて、私が20分ほどマッサージをしました。年配の教授に真相を伝えるチャンスだと私は思いました。

 翌日の午後7時、ドアをノックする音がしたので開けてみると、なんとあの年配の教授で、両親が早く寝ていたので、私の部屋に連れて行き、小さなマッサージ器を持ってきていたので私はマッサージをしてあげました。私はコンセントにつないで、優しくマッサージをしてあげました。年配の教授は「一人ずつ考えてみると、うちの学校の年配の先生たちは、老後は誰も幸せになれないし、子供たちも親不孝で、あなたのようにはよくできません。ご両親は農家で収入もなく、完全にあなたに支えられていて、あなたはご両親を家に迎え入れ、毎日とてもよく面倒を見ており、ご両親はとても恵まれていて、うらやましい限りです! 家もあり、給料もあり、貯金もあり、子供たちにお金をあげても、あれが多すぎ、これが少なすぎと嫌がられ、誰も私を世話してくれる人がいなくなりました。孫に大金を与え、家に住まわせましたが、孫の嫁は『おじいさん』と言ってもくれません。ああ、なんという有様なのでしょう!」と言いました。

 年配の教授は続けて「隣のアパートのおばあさんは、息子が部屋を借りているのですが、息子と一緒に住んでいないので、彼女を見ることがなくなりました。おばあさんは足を骨折して思うように動けず、それでも息子は世話をしに来ず、彼女の息子も教授ですから無教養ではありません。それなのに、母親への接し方がよくないのです。母親(訳注:おばあさん)は『私は体調が悪く、身の回りのことをするのが難しいので、私の面倒を見ている暇がないのなら、私を老人ホームに送ってください』と言いました。彼女の息子は『わかった! あなたが金を稼ぎに行って、あなたが稼いだら老人ホームに送ってあげよう』と言いました。これを聞いた80代の母親は、あまりの悲しさに、怒りにまかせて農村の娘の家に帰ると、娘は『私の学費も払ってくれなかったくせに、息子の学費は払ったのだから、息子に見てもらいなさい』と言いました。母親が帰ってくると、息子は借りていた家から出て行っていました。高齢者の生活の道はどこにあるのでしょうか? あなたのようなよくできた子どもは少ないのです」と言いました。

 私は「私たちがなぜよくできているか、分かりますか?」と言いました。年配の教授は、分かりません、と言いました。私は「私には、どのように行動するかを教えてくださる師父がいます。私は、真・善・忍を修煉しています。法輪功は、真・善・忍という行動基準を提唱していますが、法輪功をご存じですか?」と言いました。年配の教授は「『真・善・忍』という言葉が、私は心の底から好きで、私は法輪功のことを知っていますし、法輪功の本も読んだことがあり、内容は良いことばかりで、悪いことは何もありませんでした」と言いました。年配の教授の言葉を聞いて、私は年配の教授が真相を理解していないことを知り、年配の教授が天津のことを言ったので「天津事件」と「4.25平和陳情」のいきさつを話しました。

 私は「共産党の法輪功弾圧は、完全に噂と中傷のでっち上げによって行われました。『天安門焼身自殺』などの罪状はすべて虚偽であり、共産党が組織したすべての政治運動において、まず誹謗中傷して罪をなすりつけ、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌に載せられ、そして騙されました」と言いました。

 年配の教授は「共産党があまりにひどいのは私も知っており、文化大革命の時に学生たちが私を守って病欠にしてくれなかったら、迫害の局面から逃れられなかっただろうと思います」と言いました。私は「あなたは神を信じますか?」と尋ねました。年配の教授は「最初は信じられませんでしたが、納得できるものに出会いました。それは文化大革命の後期でした。ある日、黒い雲が沸き立ち、突然大きな雷が鳴り、その後に大きな火の玉が私の家に飛んできて、家の周りをぐるっと回って私の頭の上を通り過ぎ、東隣の家に飛んでいってその家の周りを回って出てきて、西隣の家に飛んで行ってやはりぐるっと回って、誰も見つけられず飛び去っていきました」と言いました。私は「誰を探していたのですか?」と尋ねました。年配の教授は「おそらく、東隣の家と西隣の家の両家の息子を捜していたのでしょう。東隣に住む一家の親が右派のレッテルをはられ、その子供が巻き込まれ、息子はいつも両親を殴り、自ら災いをもたらしました。西隣の家の息子も親にひどい仕打ちをしていて、雷が彼らを探しに来たのだと思いますが、その日彼らは家にいませんでした。雷はプラスとマイナスの電荷が出会うことで発生することが分かっていますが、目があるように見える意識的な飛行をする火の玉はどう説明できるのでしょうか? 私は神はいると感じました。二つの家族も恐怖を感じ、その後、慎重になりました」と言いました。

 私は「中共は20年以上も法輪功を迫害しているのに、なぜ法輪功修煉者は修煉を放棄しないか知っていますか? つまり、神の存在を自分の心身で本当に感じ、このことが共産党の無神論が間違いであることを実証しました。あなたは共産党に加入したことはありますか?」と言いました。年配の教授は「私は共産党が嫌いなので、共産党に入るつもりはありません」と言いました。私は「それでは共青団に加入したことはありますか?」と尋ねました。年配の教授は、加入したことがある、と言いました。私は「それなら、共青団と少年先鋒隊を脱退しましょう。中共の一分子になることはできませんし、中共のために副葬されてもいけません。○○という仮名であなたを脱退を登録しますがよろしいですか?」と言いました。年配の教授は「はい、私が脱退するのを手伝ってください」と言いました。

 私は「神佛は人の心しか見ていません。自主的に脱退すれば、神のご加護があります。『法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!』を覚えてください。これは、あなたの命を救う心からの九文字です。今、天災や人災、戦争や疫病などが、人々を淘汰しようと迫ってきており、神を信じることを選べば、明るい未来が待っています」と言いました。年配の教授は「私は神を信じています」と言いました。そして、私が「心からの九文字を覚えてください」と言うと、年配の教授は私と一緒に指で数えながら「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい!」という心からの九文字を念じました。

 年配の教授は嬉しそうに立ち上がって「私は90年以上生きてこの日を待っていました! よし、私は行きます」と言いました。私はお年寄り(訳注:年配の教授)を家に帰しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「忍の限界」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/22/442906.html)
 
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