留置場で詳細不明な注射を受けた彭玉信さんが、死亡
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 【明慧日本2023年1月18日】安徽省合肥市の法輪功学習者・彭玉信さん(男性)は、2020年に1年6カ月の実刑判決を言い渡され、合肥市留置場で詳細不明な薬物注射を受けた後、話せなくなり、出所して以来健康が回復せず、2022年8月中旬に死亡した。享年55歳。

 彭さんは男性で、合肥市蜀山区統計新村に在住。両親は亡くなり、姉1人と妹1人がいる。彭さんは1998年に大学を卒業した後、ずっと安徽省統計局に勤務していた。法輪功を学んでいるとの理由で何度も連行されて拘禁され、2011年に懲役4年の実刑判決を宣告されて、公職を解職された。

 2020年4月24日、彭さんは杏林派出所の警官らに連行され、家宅捜索を受け、当日夜解放されたが、1週間後、押収された書籍の返還を求めて派出所へ行った時に拘束され、その後、懲役1年6カ月の実刑判決を言い渡されて合肥留置場に拘禁され、2021年10月に解放された。

酷刑演示:打毒针(注射不明药物)

拷問のイメージ図:詳細不明な薬物注射

 彭さんは出所する1カ月前、留置場の役人に不明な薬(ピンク色の液体)の注射を計6回受けた。出所した後、正常に話せなくなり、言葉がはっきりせず、わずかな言葉しか発することができずに、しきりに首を振ってため息をついた。「不明な薬物注射を打たれたか」と聞くと彭さんはうなずいた。「家の住所を書いて」と言っても字がうまく書けなかった。

 彭さんは出所した後もずっと健康が回復せず、人々が彭さんを見たのは2022年8月10日だという。同月中旬、彭さんの訃報が突然届いた。彭さんの姉の話によると、隣の人が警察に電話をし、警察が来た。杏林区公安局による遺体検査の結果、脳血栓だという。

 合肥市留置場では2002年10月にも1人の男性法輪功学習者(以下、学習者)が迫害により死亡した。明慧ネットで暴露された後、合肥留置場は迫害をある程度控えた。

 合肥留置場は元々合肥市内にあり、中国共産党が法輪功への迫害を開始した後、第二留置場も建設し、2002年に運営し始めた。数年前、当局は長豊県で大型の刑務所を作り、男子留置場、女子留置場、拘留所、麻薬中毒回復所、女子刑務所など全部揃えた。当時、留置場長がある断食中の学習者に「我々には今、専用の病院があり、お前を外の病院に連れて行って看病しなくても済む」と自慢した。その学習者は、外の病院に連れて行かれたことがある。救急センターの医師は彼が学習者だと知った後、灌食の迫害を拒否した。理由は「灌食時、病人がもがいたら危ないから」とのこと。警官に点滴を打つように指示されても「危険だ」という理由で拒否したという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/15/455053.html)
 
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