延吉市の朝鮮族の学習者・安英姫さん 度重なる拷問により死亡
■ 印刷版
 

 【明慧日本2023年3月1日】(吉林省=明慧記者)延吉市の朝鮮族法輪功学習者・安英姫さんは、中国共産党(以下、中共)による24年間の法輪功への迫害の中で、何度も不当に連行され拷問を受けた。2022年12月26日、安さんは迫害により死亡した。享年64歳。

 安さんは、1994年に延吉で行われた法輪功の功法伝授クラスに参加したが、続けることができなかった。その後、安さんは重度の関節リウマチ、心臓病、高眼圧症などの病気を患い、太陽の下で目を開けることが困難な状態になった。1997年、安さんの家族の、ただ一人の弟が強盗に殺され、安さんは心身ともに大きな打撃を受け、短期間のうちに髪の毛は真っ白になり、極度の精神的損傷を受けた。

 絶望な状況の中で、安さんは1998年に再び法輪功を学び始めた。1カ月後、安さんは病気がすべて消えただけでなく、精神的にも良い状態になり、明るく楽観的になった。

 長春黒嘴子労働教養所で受けた迫害

 1999年7月、江沢民集団が国家機構全体を利用し法輪功を弾圧して以来、それに伴って、安さんの幸せだった家庭は崩壊した。公安局に勤める安さんの夫は、勤務先に「妻と仕事のどちらかを選択」を迫られた。このように、安さんの幸せな家庭は、迫害によって崩壊した。

 1999年末、安さんは北京に陳情に行き、延吉市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連れ戻された。2000年1月、安さんは法輪大法の無実を訴えるために再び北京に行き、再び延吉市国保の警官に連行され、地元に連れ戻された。

拷問の再現:電気棒で電気ショックを与えられる

 2000年10月、安さんは延吉市国保の警官に連行され、1年の労働教養を科され、延吉市留置場に拘禁された。3カ月後、安さんは長春黒嘴子労働教養所に移送され、電気棒による電撃、殴打、立ったままの姿勢、洗脳、強制労働など悲惨な迫害を受けた。2001年10月、様々な拷問を受けた安さんは帰宅した。

 図們市留置場で薬物迫害により寝たきり状態

 2006年2月28日、安さんは実家で延吉市610弁公室と国保の警官らに連行され、家宅捜索を受けた。同年3月2日の夜、安さんは遠く離れている図們市留置場に移送された。そこで、安さんは何度も灌食された。ある日、中年の男性警官が、「苦しくなる薬を入れるぞ!」と言って灌食を行った。灌食された直後から、安さんは吐いたり下痢したりして、頭は混乱し、目のふちがきつくなった感覚を覚えた。

酷刑演示:强行灌食不明药物(绘画)

拷問のイメージ図:無理やりに灌食される

 図們市留置場で冬の寒い時、警官は、すでに立つこともできない安さんを窓を全開し、寝かせた。寝たきりの安さんは毎日風当たりの強いところに横たわり、冷たい風が当たると眠れなくなり、たまに心優しい警官が窓を閉めてくれるが、ほとんどの警官は閉めてくれなかった。そのため、安さんは帰宅した後も、風に当たったり、あるいは寒くなると鳥肌が立ち、足が痛くなる後遺症が残った。

 52日間もさまざまな拷問を受け続けた安さんは命が危うくなり、留置場側は責任を取ることを恐れ、ようやく安さんを自宅に送った。

 延吉市洗脳班で拷問を受ける

 2012年7月1日、安さんは職場で働いていたところ、延吉市国保と610弁公室の警官らに連行され、延吉市洗脳班に拘禁された。洗脳班では、安さんは法輪功を中傷するビデオを見せられ、「授業を聞く」ことを強要された。省から来た「教育者」は、様々な虚言および偽りの「天安門焼身自殺」の映像を用いて洗脳を行った。

 30代の女性警官は、安さんの右足を無理やり左足の上に乗せて、両手を後ろに反らし、腰を丸めた状態で首にロープをかけ縛り付けた。縛り付けられたままの状態は、翌日の強制灌食が行われるまで続いた。

 縛り付けられた時間と立つ姿勢を強要された時間は37時間以上に及んだ。期間中、安さんは何度もトイレに行きたいと言ったが、ずっと許可されなかったため、我慢しきれずズボンを濡らしてしまった。

 洗脳班から帰宅した後、警官が引き続き安さんを監視していたため、安さんは延吉市を離れ、長年の放浪生活を余儀なくされた。

 中共による20数年も続く法輪功への迫害の中で、何度も拘禁され拷問を受け、長年にわたり困窮して流浪生活をしていた安さんは、心身ともに大きなダメージを受け、2022年12月26日に亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/2/13/456729.html)
 
関連文章