文/山東省の大法弟子
【明慧日本2023年4月1日】ある日の午前中、私は教職員室で忙しくしていた時、同僚たちは外でおしゃべりをしていました。突然、あるベテラン教師が「なぜ学生に正直で信義を守る人間になれというのでしょうか? 官僚たちは誠実でなく信義を守らない人ばかりです。彼らの誰もがいったん逮捕されると必ず何千万、何億の汚職金が公表されます。どうして彼らが正直とか信頼をとか言わないのでしょうか」と言いました。意外なことに、その教師は引き続き「なぜ、私たちの子供たちに正直で信頼できる人間になれというのでしょうか? それはおかしいです。私は孫が生まれたら、孫には誠実と信頼は教えずに、臨機応変を教えます。自分の子供たちが他人に笑われてはいけません。正直で信義を守る人間は愚かな者です」と加えました。
彼は教職員室の中では非常に尊敬されている先生で、以前から徳望が高い年配の先生だと認められているのです! 「そんな彼がどうしてあんなことを言うのだろう?」と信じられない気持ちになりました。
何人かの同僚も「そうですよ。権力者はみな上の者には従うふりをして内心は従わず、私たちも上司に好かれていれば損をせず、世渡り上手になるようにと子どもたちに教えなければならないのです。私たちはなぜ子どもたちに正直で信義を守るように教えないのでしょうか? 確かに自分の子供たちが他人に笑われてはいけません」と調子を合わせて言いました。 ある同僚は言い返したかったのですが、結局何も言いませんでした。
「どうしてこのような考え方ができるのか、しかも多くの同僚がこんなことを言っているのは、自分に言い聞かせているような気がする」と思った自分はその場にいなかったのですが、とても悲しい気持ちになりました。「どうしてこんな風になったのだろうか? 善悪の区別がつかなくなった今、こんなに社会が退廃してしまったのも不思議ではない」と思いました。
「普段、彼らの道徳レベルはそれほど低くないのに、どうしてこんな風になったのだろう」と、午後からずっと考えていました。仕事が終わって同修と一緒に学法をした後の帰りにも、ずっと考えていました。しかし、突然「他人の振る舞いを見て自己を修めるべきだ。なぜそんなことを言われるのか、自分にも何か偽りがあるのではないか」という言葉が頭をよぎったのです。
そこで、私は自分をチェックし始めました。ちょうど前日の午前中、私は歯磨き粉などの日用品を買いに出かけたのですが、それが終わると、ついでに母のところに行って一緒に学法しようと思ったのです。その時、兄から電話があり、「どこにいるの?」と聞かれました。私は何気なく、すぐに「家にいるよ」と答えました。というのも、兄は私が母と一緒にいることが嫌で、「母が不当に連行されるようなことになったら困る」と言われたことがあります。実際、兄は心配してくれているのです。実はその時、私は母の家に向かっているところでしたが、兄に言われたくないので、正直に話しませんでした。その言葉が出てきた時、自分が不誠実だったことに気づきましたが、その時はあまり深く考えず、この真ではない心と、人に言われたくない心をきちんと修めていませんでした。なるほど、同僚がこの形で自分を再び悟らせているのだと分かりました。
今回の出来事を通して、私はようやく自分の悪い心を発見しました。この容易に感知できない悪い心を必ず取り除きます。私は今までずっと自分が非常に真であると思い込んでいました。自分にとって、この真をしっかりと修める必要があるようで、この悪い心はいらない、徹底的に捨てたいと決心しました。
師父の慈悲に満ちたご啓示をありがとうございます!