9回の説法で、瀕死の妹が健康的に回復
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月3日】1996年、私の妹は18歳で、健康で美しく、知的で有能でした。しかし旧正月の間に、妹は結核性気胸を発病したのです。ところが、地元の病院で肺炎と誤診され、炎症を抑える注射を毎日打たれていました。1週間後、右肺全体は完全に化膿し、すでに瀕死の状態で、危うく治療の機会を失うところでした。後にわきの下に穴をあけ膿を出す手術をしました。

 2~3カ月入院した後、もともと健康だった妹は、肩から腰へとひどく曲がり、猫背の障がい者になり、ほとんど身の回りのことができなくなっていました。毎日脇の下から膿が流れ、毎日包帯の交換で高齢の両親による介護が必要になりました。さらに不幸なことに、間もなくしてまた再発し、病院側は、手術代は5万元が必要で、内臓をすべて取り出して膿を洗い流すしかなく、手術が成功する保証はなく、植物人間になる可能性もあると言いました。

 当時の5万元は、私たちのような農村の家庭にとって天文学的な金額で、ましてや植物人間になる可能性があることは言うまでもありません。病院は診断当日に薬の投与を中止したので、妹を家に連れて帰って死を待つしかありませんでした。父は一夜にして顔の両サイドの髪が白くなり、母は自殺を強く考えました。たとえ家の全財産をかき集めて5万元を用意できたとしても、健康で知的な妹に戻ることはありません。子供に先立たれようとする、まさに一家離散の寸前でした。その頃、妹の状態は余命数日でした。当時はすでに酷暑の時期で、とても暑かったのです。実家は田舎にあり、私は結婚して町に住んでいました。父は妹を病院から私の家に送り、実家に帰って妹の死装束を準備しようとしていました。

 父が実家に帰る日、ある人から「公園で法輪功という病気が治る功法をしている」と教えてもらいました。試してみようと思って公園に行くと、ちょうど法輪を抱える動作をしていた人が立っていました。手を頭上に長時間上げて、元気な人でも必ずしも持ちこたえることができないかもしれないのに、妹がどうしてできようかと思いました。ある責任者の方が、明日は日曜日で、ある学校で師父の説法ビデオを流すから、見に行くといい、無料だからと言いました。私は妹に試させてみようと思いました。

 翌日、私は妹を自転車に乗せて押して、説法ビデオを見に行きました。その結果、妹は第1回の説法でなんと自分で歩いて帰り、しかも全く疲れていませんでした。午後にはまた自分で自転車に乗って説法を聞きに行きました。9回の説法の後、妹は完全に回復し、食事をとり、働くことも出来るようになりました。死に向かってまっしぐの状態から、一銭もかけずに、瞬く間にこんなにも元気になり、これは人間の力でできることではなく、お金で解決できることでもありません。

 当時、私は神仏の法力も、仏法の本質も何であるか知りませんでしたが、法輪功とのご縁で、高齢から若年の家族全員、友人や親戚も仏法の無辺の威力を実感し、目の当たりにしました。無条件で無報酬で、起死回生は一瞬の間で、妹は生き返り、母の脳萎縮も治りました。そして多くの家族が法輪功を学び始め、健康と幸福が空から降ってきて、まるで宝物を手に入れたかのように、家族全員が笑顔と喜びに満ちあふれました。私はさらにこの奥深い法理に心を動かされ、その時から私は法輪功を修煉し始めました。

 修煉してからは、家族は睦まじくなり、商売は繁盛し、大人も子供も健康で幸せになりました。法輪功は百利あって一害なしで、慈悲で偉大なる師父が、私たち家族全員に生まれ変わる機会を与えてくださり、 1人が法輪功を学んで、家族全員が恩恵を受けることになりました。

 しかし、1999年に中国共産党による法輪功への迫害が発生し、このように素晴らしい法輪功が誹謗中傷され、声を上げることも許されなくなりました。良心のある人なら、法輪功のために立ち上がり、正義の声を上げると思います。私は法輪功の本当の素晴らしさを話したために何度も当局に拘束され、拘禁され、一家離散し、衣食住もままならなくなりました。たとえそうであっても、大法が人々を危険から救っている事実は消えませんでした。内心の良心を堅持し、慈悲で偉大なる師父のご加護と按排によって、私はこの10年間、悲惨な迫害の中で苦難を乗り越えることができました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/5/304019.html)
 
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