子供弟子の学法時、無礼な言葉で口が腫れ、悟る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月16日】私は大法弟子で、今年16歳になる高校3年生です。私は大法に縁があり、すでに10数年になります。父や母について学法煉功をし、修煉して来ましたが、ずっと精進していませんでした。師父はそんな私を見放すことなく、常に私を見守ってくださったため、小さい頃から経験してきた神秘的なエピソードが結構多くあります。今日は、私の身に起こったエピソードをいくつか例を挙げ、子供弟子の励みになればと思います。

 一、学法時、口から出た無礼な言葉で口が腫れ、悟る

 この出来事は私にとり、特に感化されたことだと言えます。父もよくこの事を持ち出して他の同修を励ましていました。

 私が中学1年生の頃、叔母が父に技術を学ぶため、よく私の家に来ていました。ある日、叔母と一緒に学法をしていたのですが、私は厳粛で敬虔な態度で学んでいなかったため、いくつかの言葉を読み間違えてしまいました。叔母に指摘されても、薄笑いをして気にせず、すぐ訂正せず、反対にひねくれた気持ちのまま学び通しました。

 2~3日後くらいから、口周り一周が割れて赤く腫れてきて、話すことも食べることもできず、少しでも力を入れて口を開けようとすると、焼かれたような、引き裂かれたような痛みがあり、まさに「口はわざわいのもと」を実感しました。このことが師父と法を尊敬してない結果だとは気づかず、冬が近づいて唇が乾燥しているのだと思っていました。(数年前、冬になるとこうなっていたので、あまりよく考えていませんでした)。そこで、リップクリームを携帯して、学校に着いて、時間があるときに塗っていたのですが、2~3日経っても全く効果がなく、むしろ悪化する傾向さえありました。

 土曜日にまた叔母が来て、私の腫れた口を見て、プッと吹き出して「ほら見なさい、これこそまさに師と法を敬わなかった結果よ!」と言いました。叔母同修の言葉に私はハッと悟りました。学法時のちょっとしたおふざけが、こんなに大きな代償を払うことになるとは思ってもみませんでした。「そうだ、これから学法する時は、もう二度と勝手に読まず、師と法を尊重する」と私は言いました。

 案の定、午後になると口は結構楽になり、口を開けるのも最初ほど痛くなくなりました。 学法は厳粛なものであり、少しの遊び心があってもいけません。今回は師父が私に小さな警告を与えてくださっただけです。私は長年精進せず、努力して修煉をしていませんでしたが、学法する時はなるべく勝手に読まず、字を読み間違えないようにしています。

 また、もう一つの件も、中学1年生の時に起きました。地理を教えてくれていた先生が校長先生で、授業がとても厳しいことで有名だったので、自ずとみんな地理の授業をさぼる勇気はなくなっていました。ところがある授業で、先生が突然、なぞなぞをすると言い出し、クラスメートは大喜びし、以前の授業のようなシーンとした重たい空気はなくなり、野菜市場のようににぎやかになりました。先生は突然「大家一起笑」(ここに都市名をつける)というなぞなぞを出し、みんなは考え込みました。私も考えていたら、ふとひらめきました。昨夜、父と『轉法輪』を学んでいた時、師父の説法の一文で「わたしが斉斉哈爾で講習会を行なった時、街で露店を出して抜歯をやっている人を見ました」という部分を思い出し、私は勢いよく挙手し「チチハル」と答えたら、先生は笑って「賢い」と何回も褒めてくれて、私たちのグループに点数をプラスしてくれました。この小さな出来事を通して、私たちは、学法する時は、真剣に専念して、心がここにあらずとなってはいけず、ただひたすら学ぶべきだと悟りました。もちろん、私は、学法を通して、何かを得たり何かを求めたりするようにと言っているわけではありません。それも間違っています。師父は「求めずとも自ずから得る」 [1]と説かれたからです。

 二、夜中に足に発疹ができるも『洪吟三』を拝読し、瞬時に好転。

 この件は私が高校一年生の時に起きました。ある夜寝ていたら、夜中に、足に蚊が刺したような不快感がしたので、手を伸ばして掻いたら、足全体がかゆくなり始めました。電気をつけてみると、大きくて硬い虫刺されなようなものが足一面に広がっていました。掻けば掻くほど痒くなり、この時、師父に助けを求めることを思い出せず、反対に常人の方法で解決しようとしましたが、かえって痒みがひどくなってしまいました。

 時間を見ると、もう1時を過ぎていて、明日も学校があることを考えると、焦ってきました。この時、母は「師父に助けをお願いしてみたら。自分に何か執着心がないかを探してみて」と啓示しました。私はしばらく内に向かって探しましたが、何も見つけることができませんでした。そこで、私は寝ないと決め、起き上がって坐禅をし、足の痛みや痒みのことはとりあえず考えずに『洪吟三』を取り出しました。

 師父の詩を何篇か読んだ後、奇跡が起こりました。足の腫れの痛みは瞬時に止まり、十分前後の時間で、ゆっくりと元の状態に戻りました。常人の思考では全く起こりえないことが、私の身に起こったのです。

 私は10数年間大法に触れ、大法の素晴らしさを全身で感じながらも、私はいつも常人のこの染め物がめに浸かっていて、そこから抜け出せませんでした。修煉において精進せず、本当に自ら大法を学んでいませんでした。しかし、慈悲なる師父は私を見捨てず、変わらずずっと私のことを見守ってくださいました。私の身に起こった数々の奇跡的な例を考えてみると、師父はまだ私を子供弟子として扱ってくれていることを意味しており、もし私が精進して着実に修めなければ、本当に師父に顔向けできません。

 もし私のような子供弟子で、あなたも小さい頃に修煉を始め、両親について一緒に修煉に入ったなら、くれぐれも大法との縁を大切にしてください。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/3/295362.html)
 
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