師父と大法を軽視する一例
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年3月28日】最近、多くの学習者が大法や師父を軽視することの重大な結果について議論しています。すべての学習者は大法と師父を尊重することの重要性を理解していると思います。私が目撃した軽視行為の例をいくつか紹介し、私たち全員が自分の行いを反省し、法に沿わない行為を正せるよう願っています。

 黄さん(仮名)は中国共産党の迫害に耐え、2度の大きな交通事故を乗り越え、重い病気を克服しましたが、法輪大法への彼女の信仰は揺るがなかったのです。彼女を知る同修たちは、彼女の不屈の精神を称賛しました。

 最近、私は黄さんの家に2度訪問しました。1度目は、彼女の居間の汚れたソファの背もたれに『轉法輪』が置いてあるのに気づきました。彼女が家族を亡くしたばかりであることを考慮して、私は何も言わずにソファを掃除しました。しかし、私はもう一度黄さんの家を訪問したとき、本は同じ場所に置かれていました。また、本の背が他の部分よりも明らかに黒くなっていることにも気づきました。それは、そこが頻繁に触れられていることを示していましたが、その時はあまり気にしていませんでした。

 彼女が食事を終えた後、私たちは師父の『なぜ人類が存在するのか』という文章を一緒に読みました。私は彼女に「食事のあと手を洗いましたか?」と尋ねました。彼女は「手を洗っていません」と言い、すぐに手を洗いに行きました。その後、彼女はトイレの後を除いて、『轉法輪』を読む前に手を洗うことはほとんどなかったと告白しました。

 黄さんはまた、地元当局が何度も彼女の家を家宅捜査し、必ず大法の書籍を押収したと話してくれました。しかし、時には『明慧週刊』が目の前にあっても押収されないこともありました。

 私は、彼女に旧勢力はあなたが大法書籍を大切にしない不敬を口実にして、何度も書籍を押収したり、拘禁したり、病気になるなどの迫害を招いたのではないか、と考えたことがあるのかを尋ねました。

 病気のため亡くなった史さん(仮名)は、『轉法輪』を読むとき、親指でページを押して、文字を隠すことが多かったです。同修から何度もそうしないように注意されましたが、史さんはその懸念を無視した。時間が経つにつれ、本の背表紙近くの文字は、彼女が頻繁に触っていたせいでぼやけてきました。ページには爪の跡や唾液の跡までついていました。史さんはトイレの後、読み続ける前に必ずしも手を洗わなかったです。史さんは読むのを中断する必要があるときは、開いた本を裏返しに置きました。

 病気で亡くなった葉さん(仮名)も、法の勉強を真剣に受け止めず、法の勉強の時間を母親とのおしゃべりに使うことが多かったです。葉さんは眠くなるとすぐに読むのをやめて、すぐにベッドに横になっていました。葉さんは本を開いたまま適当な場所に置きっぱなしにしたり、ジュースの染みがついたページもありました。

 私は誰かを批判しているのではなく、大法と師父を軽視する現象を指摘しているのです。同じような状況にある人たちが、直ちに行動を起こしてこの問題を改めることを望みます。もちろん、大法を軽視することは、学習者が直面するすべての迫害の直接の原因であると言っているのではありません。しかし、それは確かに私たちの注目に値するものです。

 また、一人暮らしの高齢の学習者たちには、大法や師父を軽視する問題に気づいたら、同修たちが親切に指摘して下さるようお願いします。

 私は黄さんと史さんの悪い癖を指摘する時、しばしば非難するような口調で指摘し、そのため彼らは私の指摘に抵抗し、長い間その癖を続けてしまいました。この経験から、私は批判するのではなく、慈悲なる指摘をすべきだとも考えるようになりました。

 師父はこう説かれました。

 「先ほど説いた法はみな、一つの問題を話しています。師父として、内心から言えば、皆さんが私を尊敬していようがいまいが、私は全く気にしていません。当時、私は皆さんを済度した時、多くの人は私を罵っており、講習会に出たとき私を罵りながら講義を聞いていました。私は気にしません。私はどうしてもあなたを成就するまで済度するのです。(拍手)つまり、師父に対してどう思っているか師父は心の中で全く気にしておらず、私は如何なる宇宙次元の要素にも動かされることはありません。しかし、問題があります。つまりもし皆さんが師父を尊敬していなければ、宇宙の理から言えばそれは間違いです。旧勢力はそれによって隙に乗じて皆さんを壊滅してしまいます。それらは皆さんを壊滅する最大の口実を掴みました。なぜならば、それらに私が皆さんを済度する全過程が見えたからです」

 「…私に良くしてくれても、悪くしてくれても、私は全く気にしません。しかし、旧勢力はこの難の中で皆さんを壊滅してしまいます。くれぐれも気をつけてください」(『二〇〇三年元宵節での説法』)

 私たちは師父の教えを心に留め、師父と法を敬う気持ちを持って修煉しましょう。

 【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです】

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/27/489520.html
 
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