【慶祝5.13】法輪大法はお互いに尊重する世界を私に、与えてくださった
■ 印刷版
 

文/中国河北省の大法弟子 静翠

 【明慧日本2024年6月27日】私は49歳の法輪大法の修煉者です。ここでは、私が法輪大法を修煉する機会を二度逃したことと、法輪大法の修煉がどのように私の家族に調和をもたらしたかを説明したいと思います。

 最初のチャンスを逃す

 1998年、私が13歳のとき、何人かの学習者が法輪大法の功法を紹介するために私の村に来ました。彼らは村の広場で法輪功の第一式、第三式、第四式の功法を実演しました。多くの人が健康増進のためにこの修煉に参加していました。私はあまり注目していませんでしたが、「法輪大法」と「真・善・忍」という横断幕の言葉に感銘を受けました。

 私はその日、煉功を学ばなかったのですが、心の中では人々がお互いを尊重できる社会を望んでいました。それがどこにあるのか分かりませんでした。法輪大法を学ぶ機会を逃したのはとても残念でした。 

 社会の道徳水準は急速に低下し、麻雀やカードゲーム、ギャンブルなど、あらゆる悪い習慣が徐々に身に付きました。当時、私には子供が1人いましたが、私は娘の面倒をほとんどみませんでした。娘は麻雀場で私を探していて、中にいる私を見つけたので、私は何人かに私の前に立ってもらいました。娘が入った時は私の姿が見えなくなり、娘は大泣きしました。

 私は一日中麻雀をして、お金をすべて失うまで家に帰りませんでした。そのため、同じ村に住んでいた父は私にとても腹を立てていました。 「お父さんが来るよ!」と誰かが私に警告したとき、私はすぐ逃げてしまいました。しかし、その後も私は悪い遊びを続けていました。

 家でも私の夫とその兄弟4人と喧嘩になり、夫が財産分与する際に、夫の長兄と私は刃物を持ち出して喧嘩し、次兄と口論になり、姑の寝具を庭に出し、姑に他の兄弟と一緒に住むように言いました。

 私の言動は乱暴で野蛮だったため、夫は浮気をしていました。その時、私にはすでに8歳と生後2カ月の2人の子供がいました。

 二度目のチャンスを逃す

 2002年にある法輪功学習者が私を訪ねてきて、私に法輪大法の説明と中国共産党による迫害について話しました。私はその学習者に、私は13歳のときに法輪大法の良い点とその原則を知っていたと話しました。その人は、ある近所の人に、「法輪大法を修煉してください。そうすれば健康になります」と言いましたが、私はまだ修煉しませんでした。

 しばらくしてから、時々夜も眠れなくなることがありましたが、私は人々がお互いを尊重するという私が望んでいた世界を夢見ていました。そして、真・善・忍がそれを達成するのに役立つこと、そしてその真・善・忍がどれほど重要であるかに気づきました。私は法輪大法を修煉することにしました。

 良い人であること

 中国共産党は法輪大法を弾圧しましたが、多くの学習者は法輪大法の修煉を続けました。しかし、修煉者たちは『轉法輪』を持っていませんでした。ついに、村で文字が読めない人がその本を持っていると聞きました。私は彼女にその本を譲ってくれませんかと尋ねました。彼女は本を大切にするようにと言って私に譲ってくれました。

 法を学んだ後、私は母親として、怒らずに子供たちを教育し、世話する必要があることを学びました。

 ある日、夫の次兄が姑を訪ねてきましたが、私は彼を無視しました。彼が帰った後、私は不愉快な気持ちになりました。『轉法輪』では人に親切にするよう教えていますが、私はそうしなかったことをとても後悔し反省しました。その後、その兄弟が私たちを訪ねてきたとき、私はいつも笑顔で彼を迎えるようにしました。

 これは私の夫の話です。ある日、彼は親戚がトウモロコシの茎をロバが引く大きな荷車に乗せるのを手伝いました。荷車に積んだトウモロコシの茎の上に夫は立っていたため、荷車が動き始めた時、夫は転んでしまいました。頭を地面に打ち付け、顔と口から血を流しました。夜、夫は私と一緒に法輪功の五式の動作をしていました、数日後、夫はなんとか回復しました。

 私は10年以上法輪大法を修煉してきましたが、私の親戚や友人も皆、私の変化を目の当たりにしており、私の夫も含めて多くの人が大法を修煉し始めています。

 法輪大法はお互いに尊重する世界を私に与えてくださいました。私は本当に浄土を見つけました。この浄土で私は心身ともに大きく変化しました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/31/477897.html)
 
関連文章