「私の村は法輪功修煉者がいるお陰です」
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2023年4月16日】私は田舎生まれで、今年78歳です。42歳の時、夫が亡くなり、私は3人の娘を一人で育てながら、約4700平米の土地の農作業をしなければなりませんでした。夫を失った悲しみと体の過労が加わって、いろいろな病気が現れ、特にひどい腰椎椎間板ヘルニアで腰が90度まで曲がってしまい、歩くのも大変でした。全身の痛みで家事もできなくなり、生きる希望が見えず、毎日苦しんでいました。

 1998年、村の多くの人が法輪功を修煉して病気が治ったと聞きました。8月に、私も煉功へ習いに行き、半日で五式の煉功動作を覚え、1冊の『轉法輪』を買って帰りました。それ以降、私は毎朝煉功場で集団煉功を行い、夜には学法グループに参加して、一緒に法を勉強しました。しばらくすると、奇跡的に私の腰が伸びてきて、足腰の痛みがなくなりました。やがて全身の病気が治り、まるで生まれ変わったように元気になり、家事や農作業をしても疲れを感じず、気持ちも明るくなりました。

 人を救う

 1999年7月20日、江沢民を党首とする中国共産党(以下、中共)が法輪功への迫害を始めたので、私は出かけて行き、人々に法輪功の素晴らしさを伝え始めました。

 私たち3人の同修は、村の書記から法輪功の真実を伝えることにしました。私たちは、法輪功とは何かから始め、どのように師父の教えに従って良い人になったのかを語り、最後に法輪功の資料を渡しました。3回目に訪ねたところ、書記は「あなたたちの資料を全部読み、だいじに取ってあります」と言いました。そこで私たちは中共を脱退する意義を伝えて、書記を三退させました。そして、私たちは村の婦人主任にも法輪功迫害の実態を伝え、彼女も三退しました。

 ある日、私は同修たちと一緒に市場に行った時、村の書記と婦人主任、会計係に会いました。3人は私たちに「村の選挙の時、法輪功修煉者(以下、修煉者)が私たちに投票するようにお願いします」と頼みました。私たちは「もちろんです。あなたたちは皆大法弟子を守ってくれるし、三退もしています。言われなくても、必ず応援します」と言いました。書記は私と握手して「ありがとうございます!」と言いました。私は「私たちの師父に感謝してください」と言うと、書記はすぐに両手を合わせて「大法の師父に感謝します!」と言いました。その後、3人とも当選しました。

 前期の書記は、村の党員1人につき1日60元の報酬を出して、大通りの両側の排水溝を掘る工事をしましたが、仕事がきつい上に猛暑のため、数日で皆やめてしまいました。婦人主任は「あなたたち修煉者にも同じ報酬を出すので、手伝ってください」と頼まれたので、私たちは「お金をもらわなくても、助けてあげます」と了承しました。完成した後、町の書記が村に検査に来て「工事はとても良くできた」と褒めました。村の書記は「村の修煉者たちのおかげです」と説明すると、町の書記はすぐに「法輪功?」と表情が厳しくなりました。そばにいた村民たちは皆笑っていたので、町の書記も何も言わずに笑顔になりました。

 雪が降ると、村民が買い物しやすいように、私たちは皆自ら進んで、村の前の市場の雪をきれいに除雪しました。よそから来て出店する人も「この村の市場で出店する時には、自分で雪を寄せる必要がないので、とても楽で助かります」 と感謝されました。

 長い間、村には担当する幹部がいないため、ゴミを収集する人がいませんでした。村の大法弟子たちはお金を出し合って、車をレンタルしてゴミを村の外に運びました。私たちは他人のためにこのようなことをたくさん行い、多くの村民が喜ぶと同時に、大法の素晴らしさを伝えることができました。

 その後、私は娘と一緒に町に移住しました。ある日、私が階下の井戸の横で洗濯をしていると、年配の女性がゆっくり歩いてきて、私の横に座りました。女性の手が震えているのを見て、私は「具合が悪いのですか?」と尋ねました。女性は蚊の鳴くような声で「私は年中病気で、薬を飲んでも、年に何回も入院しても、お金ばかり使って全然治りません」と言いました。私は「ここに良い方法があります。力を出す必要も、お金を使う必要もありません。あなたが信じさえすれば、病気が治ります」と言うと、女性は 「そんないいことはどこにありますか?」と興味を示しました。私は「今日は恵まれていますね。私の話を信じてくれればいいのです。昔、学校で赤いネクタイをつけたことや、青年団に参加したことはありますか?」と尋ねると、青年団に参加したことはないと言いました。私は「では、少年先鋒隊を脱退した方が良いです。中共の組織を脱退することで災難を避け、身の安全が守られ、幸せになります」と言いました。女性はすぐに「そうします。良かったです!」と嬉しそうに言いました。私は彼女に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を常に唱えるようにと伝えた後、法輪功の資料などを渡しました。

 翌日、年配の女性の夫に会い、彼も三退に同意ました。それから、長い間この夫婦に会いませんでした。翌年の春、女性は遠くから私を見て、元気に走って来て、私を抱きしめて「あなたが助けてくれて本当に感謝するわ!」と笑って言いました。「私には何もできません。あなたを助けてくださったのは、私の師父です!」と言いますと、彼女は「師父、ありがとうございました!」と感謝しました。女性は毎日のように買い物したり、近所の人と公園を散歩したり、元気に過ごしていました。女性に会う度に「心からの九文字を忘れないでね」と言うと、「もちろん、永遠に忘れることはありませんよ」と笑顔で答えてくれました。

 ある年の秋、私は昔の仲の良い友人に会いました。彼女がとても痩せているのを見て心配して尋ねたところ、肝臓に石ができて、2回も手術を受けたことが分かりました。彼女はシャツを持ち上げて私に見せましたが、お腹から袋が何個もぶら下がっていて、かなり怖かったです。私は真剣な表情で「あなたを救えるのは大法しかありません。今は皆脱党をしています。あなたは三退をしましたか?」と尋ねると、「聞いたことはありますが、私はしていません」と言いました。私は「速く、中共の組織から三退してください。それこそ無事で安全になり、幸せになります」と促すと、彼女はその場で同意しました。そして、家族全員の9人分の三退もすると言いました。私は本人の同意がなければ効果がないと強調すると、友人は「私が帰って説得すれば、皆聞いてくれます」と言いました。それから私は「あなたもご家族も時間があれば、必ず『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えてください」と伝え、法輪大法の素晴らしさや、法輪功迫害の実態を伝える資料を数冊渡しました。

 それからしばらく経ち、再び友人に会った時は、かなり元気になっていました。彼女は「体の快復状態もよく、子供たちも皆健康で仕事が順調です。夫は警備員の仕事を見つけ、月に2000元余りの収入があり、今は何の心配もなく、穏やかで幸せです」と嬉しそうに言いました。

 ある時、村の前で穀物を精米するため引き臼を回していると、突然停電になり、作業していた人が「今まで停電になったことがないのに」と言っているのを聞いた時、「人を救うために、このチャンスを利用して、三退を促すようにしているのではないか?」と気付きました。私は彼らに法輪功迫害の実態や、三退の意義を伝えました。あっという間に9人が三退をしました。中には、村の教師である前の書記の娘さんもいて、中共の党員を脱退しました。大法弟子にとって、周りに起きたことは、すべて偶然ではないと分かりました。

 ある時、昼食後、同修Aさんが電動三輪車で私を乗せて6キロ離れた村まで、大法の内容が書かれた新年のカレンダーと、法輪功迫害の実態を伝える資料などを配りに行きました。出発する際、私は発正念をして、村の人々が皆村の前に集まるようにと師父にお願いしました。到着すると、まさに私たちを待っているかのように、たくさんの村民が集まっていました。

 私は電動三輪車から降り、手を振りながら「皆さん、良いものをプレゼントします!」と声をあげると、皆が寄ってきて「本当だ、立派な新年のカレンダーですね!」と、興奮して自ら取ろうとしました。私は「今日は人が多いので、三退した方は優先的にもらえます。三退することで、安全が守られ幸せになります。私は名前を記録しますので、終わった方はカレンダーをお持ちください」と言いました。自ら名前を教えてくれる人もいて、何人も中共の組織から脱退すると表明しました。私は隣でポーカーをしている人たちにも三退を促し、中共の組織に参加したことがある人には、心からの九文字を唱えることで、天から守られると伝えました。

 また、ある時、私と同修は大法の内容の対聯(ついれん)を持って、電動三輪車で大きな市場に行って配りに行きました。市場が終わる頃、たくさんの人がおしゃべりをしていました。私は赤地に金色の文字で「心に真・善・忍を覚え、幸せは常に良い人に伴う」と書かれた対訳を開いて「皆さんに差し上げます。数が限られていますので、早めにお持ちください」と言いました。それを聞いた途端に皆がやってきて、私たちの三輪車を取り囲み、私たちは降りる場所もなく、三輪車に乗ったまま配るしかありませんでした。 後ろにいたおばあさんに「後ろから渡してください」と頼まれましたが、あっという間に皆に持って行かれ、結局おばあさんに渡すことができませんでした。「こんな素晴らしい対聯、お金もいらないし、貼っておく家は幸せになり、コロナウイルスもこの家を避けて通るのだ」と、皆が喜んで持ち帰りました。

 2015年、私は大法を破壊し、大法弟子を迫害する江沢民を告訴しました。告訴状を提出した後実家に戻り、地元の同修たちが告訴状を書き終わっているかどうか確認しました。 ほとんどの同修は「書き方がわからない」と言って、まだ書き始めていませんでした。私は自分がすでに書いたと言い、書き方を同修の皆さんと共有しました。私はまず一人の同修を手伝って書いて、それを他の同修に参考させるようにした結果、私たちの村では、合計16人が江沢民を告訴しました。人に書いてもらい、また、江沢民に対する告訴に参加した同修の家族もいました。最後に書き終わった告訴状を同修が三輪車で郵便局に行って投函しました。

 神の奇跡

 私の庭にはナツメの木があり、その葉に三千年に一度咲くと言われる優曇華(うどんげ)の花が咲いていました。これは佛花で、この花が咲くと法輪聖王の到来を告げるのです。 私たちは皆初めて見ることができ、師父が励ましてくださったと思っています。その後、村の何人かの大法弟子の家にもこの花が咲きました。テレビスクリーンや扉、さらにネギや木の棒に咲いた優曇華の花もありました。

 またある時、花屋で花を売っていたところ、若い男女が花を買って店を出ましたが、なぜか自転車用錠前がなかなか開きませんでした。私が店から出て見ると、男性は「今日、鍵の調子が悪いのか、鍵が開かないんです」と焦っていました。 私は何も言わずに、右手の人差し指で鍵を上から下へ押しながら「開け!」と言うと、錠がパカッと開きました。男性は驚いて「もしかしたら、法輪功を修煉する人でしょう?」と言い、女性は「この店員さん、親切で、母のようですね!」と嬉しそうに言ってくれました。2人が自転車に乗って行く姿を見て、「自分にはこんな功能があるとは知らなかったし、全く思ってもいなかったので、なぜこんなことが起きたのだろうか?」と自分でも不思議に思いました。私には全能である師父がおられ、すべて師父が与えてくださったのです。

 私には3人の娘がおり、皆結婚して、今は4人の孫と1人の孫娘がいて、孫娘も結婚しました。私たちの家族は睦まじく、和気藹々で、子供たちは皆親孝行してくれます。誰かの家においしい食べ物があれば、いつも私の所に持って来て、家族皆で御馳走します。私が大法の対聯を作っているので、子供たちは皆競い合うように私を手伝って貼ってくれます。彼らたちも大法の恩恵を受け、小さな家が大きな家に変わったり、危険なことが起こっても無事に守られたりすることが多くあり、皆喜んでおり、大法に感謝しています。

 法を暗唱する

 私は法を暗唱する時は『洪吟』から始めました。『洪吟五』まで全部暗唱しましたが、時間が経つと忘れてしまいました。『轉法輪』は『論語』だけ暗唱して難しくて諦めました。その後、明慧週刊で子供弟子も暗唱していることや、同修たちの交流文章を読んで、私も試して暗唱し始めました。1回目は1年ぐらいかけて暗唱することが出来ました。今は4回目が終わりました。暗唱するには本当に強い意志力が必要であると、改めて分かりました。数年に渡って暗唱する中で、私は法理に対する理解を深めました。ある80歳過ぎた同修は、私が暗唱しているのを見て彼女も暗唱を始め、1年余りでやり遂げました。

 私は煉功を怠ることなく、毎日五式の功法を全部煉っています。現在、私はとても健康で、毎日元気です。家族や親友たちは皆私が法輪大法を修煉して健康になったと分かっています。師父の慈悲深い済度に感謝します! これからも大法弟子としてするべき三つのことを確実に行い、多く人を救い、師父について真の故郷に帰ります。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/10/445889.html)
 
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