文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年4月23日】私の遠い親戚のAさんは、1980年代後半に地元の保健所でペニシリンの点滴を受けてアナフィラキシーショックを起こし、都心の病院の集中治療室で1カ月以上蘇生措置を受けて命拾いをしたものの、経鼻チューブと尿道カテーテルを装着された植物人間となってしまいました。私の家は病院に近いので、当時中学生だった私は、夏休みだったので、入院中のAさんを介護するAさんの2人の子供たちに、1日1回の昼食と、病床のAさんに経管栄養法で栄養を補給するためのブロス缶を届ける役目を担っていました。自分より幼い兄弟が、重病の母の世話をしているのを見ていると胸が痛くなり、可哀想になりました。
夏休みが終わると、もう食事を届ける時間はありませんでした。 後で聞いた話ですが、Aさんはずっと一般病棟で治療していましたが、あまり改善が見られなかったそうです。田舎暮らしのAさんは、健康保険がなかったので、親族や友人の助けを受けていましたが経済的に困窮していました。Aさんは退院して、民間の医師から鍼灸治療と電気治療を受けました。正月に私は家族とAさんの家へ見舞いに行きましたが、Aさんは動くこともできず、ベッドにじっと横たわっていて痩せこけていました。正月を祝うどころか、家族は悲しみの雰囲気に包まれました。
1990年代、Aさんの夫は法輪功の修煉を始め、いつも師父の説法録音をAさんに聞かせていました。2006年、私がAさんに会った時、Aさんは車椅子に座っていて、口からボソボソと声を出し、手で身振りをしていました。頬がこけていて、とても痩せていて、普通の人とは比較になりませんが、ここまで回復したのも信じられませんでした。アナフィラキシーによる脳細胞への酸素不足のダメージは、現在の医療ではどうすることもできないと言われています。
それから10年後、2016年のある日、私は再びAさんを訪ねました。ドアを開けた瞬間、ベッドの上で坐禅を組んで師父の説法録音を聴いているAさんが目に入りました。
私の姿を見たAさんは、笑顔で迎えてくれました。顔色は白く赤みがさしていて、とても元気でした。Aさんの夫が「この人が誰か分かる?」と聞くと、Aさんは即座に私の名前を言い出しました。発音は病気になる前ほどよくはありませんが、はっきりと聞き取れました。
Aさんは立ち上がって、歩いている姿を私に見せてくれました。 長年の寝たきり状態で長期間歩くことがなかったため、両足はまだ少し不自由に見えます。Aさんはゆっくりと隣のテーブルにつかまって立ち上がり、そのまま数歩歩きました。 Aさんの夫は「妻は数年前からこのように歩けるようになり、時々何かにつかまって窓際に行き、外の景色を眺めることができます」と言いました。
ある時、Aさんの夫が町に妻を連れて行き、車椅子で散歩をしていた時、以前からAさんを知っていた人たちは、車椅子に座った笑顔のAさんを見て「Aさんでしょう? まだ元気で生きていたんですね!」と驚きました。当時、周りの人々は皆Aさんが長く生きられないだろうと心配していました。Aさんが生きているだけでなく、どんどん元気になっているなんて誰も思いもしませんでした。Aさんはほとんど室内にいるため、肌が白く、村の同年代の女性よりも若く見えました。
植物人間だったAさんの回復は神の奇跡ではありませんか? Aさんの一家を知っている人は、皆法輪大法の素晴らしさを目の当たりにし、中国共産党の噓偽りの宣伝を見破ることができました。より多くの人々が法輪大法とは何か、また、法輪功迫害の実態を知り、そして「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えることで、大法に済度され、良い未来を選択することを願っています。