【5.13応募原稿】小学生の時に『轉法輪』に出会う
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−−小学生から大学生になるまでの修煉体験

文/中国の青年弟子

 【明慧日本2023年6月5日】私は法輪功の青年弟子です。小学3年生の時、ある週末の午前中、一人で部屋にいたとき、本棚に置いてある一冊の本が目に留まりました。『轉法輪』でした。母がよく読んでいた本だと知っていましたが、開けてみたことはありませんでした。好奇心で本を開き、読んでいるうちに、先史文化や、人類の起源、宗教の変遷、他の空間、それに目に見えない徳と業について書かれていて、とても興味深く感じました。

 当時の私はまだ子供でしたが、学校教育の影響で科学がすべてで、「無神論」を信じていました。しかし、どんなに無神論を信じていても、無神論では説明できないことがたくさんあることに気づきました。例えば、私が愛読している『世界の謎』のような本には、科学では説明できない現象がたくさん書かれていました。教科書の中でも、学校教育の中でも、科学では説明できない多くの現象を「デマ」、「古人の愚かさ」と言ったり、無理やりこじつけたりして、まともに答えてくれる教科書はありませんでした。しかし、私はこれらの問題や謎を、『轉法輪』の中で答えを得ることができました。

 その日、母に「どうして『轉法輪』をもっと早く読ませてくれなかったの?」と聞くと、母は「まだ小さいからよく理解できないと思った」と言いました。『轉法輪』に出会ったことが、私の法輪大法の修煉の始まりだと思います。

 私は小学3年生までは勉強の成績は普通で、クラスでは中位でした。しかし4年生になってから、私の学力は一気にクラスで上位に入り、それから中学校、高校、大学まで塾に通ったことがなく、常にクラスや学年ではトップクラスの成績でした。これは法輪大法を修煉したおかげだと思います。

 修煉してから、私は自分の普段の日常行為の一部が大法の真・善・忍の要求に合わないことに気づきました。『轉法輪』を読んだ後、すぐに汚い言葉遣いを正したことが印象的でした。「下品で汚い言葉」は人を罵る悪口だけでなく、現代文化の変異により、多くの人の口癖の中に非文明的な言葉が含まれており、自分の言葉遣いに気づかない人もいます。ネットの流行文化の侵食もあって、多くの若者は口を開けばネット流行語を言うことに慣れていますが、ネット流行語の多くは非文明的な部分を持っているのです

 師父は『轉法輪』の中で「われわれが口を開いてものを言う時には、煉功者の心性に基づいて言うので、人と人との間の和を損なうようなことを言わないし、良くないことを言わないのです」[1] と教えてくださいました。私は自分の言葉遣いをすぐに直しました。良くない言葉遣いがすでに口癖のようになってしまったため、私は何かを言う前に、非文明的な言葉かどうかを考え、もしそうであれば言わないようにと自分に要求するようになりました。

 大変難しいことになるかもしれないと思っていましたが、1週間ほどで、私は自然に悪い口癖を直すことができました。これは大法の威力だと思います。修煉してから間もなく正しい言葉遣いをするようになり、ネット流行語も言わないようになりました。今の若者の中で、汚い言葉で個人の感情を表現することを当たり前のように考えている人が多くいます。

 法輪大法の修煉者は、真・善・忍の基準で自分を律します。学生として最もよくある 「真」 の試練はカンニングの問題です。修煉する前は、試験でカンニングが発覚しないことを「能力」だと思っていましたが、大法を修煉した後、私の観念は180度転換しました。これは誰かに強制されたり、誰かに見せるためや、良い結果を求めるのではなく、人としての本当の目的が分かり、心から「真」になるためです。

 ある時、大学で行われた試験では、教師の管理はほとんど行われず、多くの学生が試験会場でスマホを使ってカンニングをしたり、解答を伝え合ったりしていました。私は会場の雰囲気に全く動じず、静かに解答をしていました。結局、カンニングをしている人が多いことを知った先生が力を入れて調べたところ、約半数以上がカンニングをしていたことが判明されて処分されました。

 またある時、大学で奨学金の申し込みが始まりました。奨学金の条件には家計が困難であることが書かれていました。私は自分の状況と照らし合わせて、条件に合わないと思って申請しませんでした。しばらくして班長から「インターネットのシステムで奨学金を申請していないことに気づきましたが、申し込みを忘れましたか?」と聞かれたので、私は「条件を見ると、私は家計が困難だという条件を満たしていないので、申請していません」と言いました。班長は「そうですか? でも、その条件はただ書かれただけで、そんなに真剣に考えなくてもよく、主に学習成績を見て、成績の条件に達していればいいのです。クラスで成績が符合している人は皆申請したし、あなたの成績も符合しています。私はあなたの名前も提出しましたが、先生にシステムに申請していないといわれたので、とてももったいないですね」と言いました。私は、法輪大法の修煉者として、嘘をついたり、ごまかしたりしてはいけないと分かっているからです。

 法輪大法を修煉してから、私はよく人を助けるようになりました。中学、高校、大学時代を通じて、私の成績はクラスの中でずっと良く、クラスメートから勉強に関する質問を受けることもよくあり、いつも根気よく答えていました。高校時代、同級生から私が最も熱心だと言われました。「クラスの他の成績の良い生徒はみな成績の悪い生徒に教えたがらないのですが、彼だけは決して拒否せず、どんな時も熱心に教えてくれます」と言ってくれました。

 クラスメートは私を信頼してくれました。 高校では、高い得票数で学級委員に選ばれました。

 また、大学では、試験前になると多くのクラスメートが私のところにやってきて、勉強に関する質問をしたり、私の学習ノートのコピーを欲しがったりしました。 私はいつも辛抱強く答え、クラスメートと私の勉強ノートを共有することを拒むことはありませんでした。

 私は普段から学校生活の中で、真・善・忍に従って自分を要求しているのでので、多くのクラスメートは私が嘘を言わないことを知っていました。中学時代、A君がB君にあることを言いましたが、B君はA君を信用しませんでした。そこでA君が私の名前を出して「彼もそのことを知っているよ」と言うと、B君が私に尋ねて確認しました。B君はA君に「彼は嘘を言わないから、あなたの言ったことを信じるよ」と言ったそうです。

 信頼された私は、時々同級生たちに法輪功迫害の実態を伝えました。

 法輪大法を修煉した後、私はトラブルに直面した時に自分の感情を抑えるようになりました。中学時代、同級生のC君と共に数学の宿題を集める役員に選ばれました。C君は短気で、些細なことで怒ることが多く、話す時も叱ることが多く、よく私にかんしゃくを起こしました。私は彼と一度も口論したことがなく、叱られても言い返さず、心の中で「C君も担当者として大変なので、少しは理解してあげよう」と思っていました。周りには見ていられなくなった同級生もいて「C君はあなたがやさしいから、あなたをいじめているのではないか? 正々堂々とやり返すべきだ!」と言う人もいましたが、私はただ笑っていました。私は大法の中で、修煉者は「他人から殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず」[1]という師父の教えを忘れていません。不思議なことに、その後、C君の態度が良くなり、私に怒ることがなくなりました。

 修煉してから、私は心が広くなりました。子供の頃の私は、学校の中で他の生徒が「グループ」を結成して秘かに何かを言っているのを見ると、その内容を知りたくて我慢できず、あちこちで尋ねました。大法を修煉した後、このような行為を分析したところ、他人が自分の悪口を陰で言っているのではないかと心配することと、損をしたくないという心理、つまり何か良いことがあれば、それを逃したくない心があることが分かりました。

 これらの心は、普通の人にとっても良くないもので、まして修煉者にとってはいうまでもなく取り除くべきです。法を勉強するにつれ、良いことでも悪い事でも、人々の徳と業力によるものであると分かりました。

 法輪大法を修煉することで、私は「損」を恐れる心を取り除くことができました。子供の頃からすでに「損」をしたくない、「得」したいという観念を持っており、自分のものが他人に取られないか、バカにされないかばかり考えていました。修煉後の私は、おおらかで心が広い人間になりました。

 小学校の時、学校は数学のコンテストを行うことになり、人数制限のため、各クラスは数学の成績が良い数人だけが参加することになりました。私の成績と同じくらいの生徒が参加出来ましたが、先生は私を参加させませんでした。当時、私は資格を失ったことを損だと思って憤りを感じ、先生が私を出場させなかったことを恨み、クラスメートが私の資格を奪ったことを恨んでいました。修煉を通して、私は「得」と「失」の法理をすぐに理解し、人生の損と得は目に見えない 「徳」 と 「業」 によって決められ、奪い取るものではないことを分かったので、「損」を心配することはありませんでした。

  学校では、往々にして成績の良い学生は、自分の時間を犠牲にしたくなかったり、他人の成績が自分を上回ることを恐れたりするため、成績の悪い学生を本気に教える人は少ないのです。『轉法輪』を読み、私は「得」と「失」の法理を理解しているので、他の学生を平然と助けることができ、「損」の問題は考えていません。

 私は法輪大法を修煉する過程で、真・善・忍が私を変えることを実感しました。法輪大法の真の修煉者は、大法の中で生まれ変わり、良い人、より良い人になります。

  注:
  [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)

 (編集責任者:伊文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/2/460944.html)
 
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