家庭経済の魔難の中で自分を修める(1)
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文/湖北の大法弟子

 【明慧日本2023年6月25日】私は修士号を持っている(中共による迫害のため、博士への勉強が中断された)女性大法弟子です。1998年、大学時代に法を得て修煉に入りました。そのとき、22歳でした。現在、私は大法を修煉して二十年以上になります。この間、多くのつまずきを経験し、心を痛めるような挫折もありましたが、それらの試練と苦難の中で徐々に成長し、修煉の厳粛さをますます理解し、この宇宙で最も栄光な「大法弟子」の称号を更に大切するようになりました。

 二十年以上の修煉の道を振り返ると、私は修煉に対して無知ながらも確固とした信念を持って歩んできました。近年、修煉の真の意味と偉大さを真に理解し、実修の中で、深く隠れていた執着や人心に気付き、当たり前のように受け入れていた現代の考え方にも気付きました。ここでは、私が家庭経済の魔難の中で経験した修煉体験を師父に報告し、同修と交流したいと思います。

 私の夫は昔修煉していました。当時、彼に頼る気持ちを抱きながら結婚生活を始めました。しかし、結婚後半年で彼は修煉をやめてしまいました。私は彼との衝突が絶えず、お互いに意思疎通が全くできないと感じました。彼は感情的になって爆発すると私を殴り、私も彼を見下し、冷たく接しました。家庭全体はまるで氷室のようです。私たちはこのような状態で、同じ屋根の下で十数年を過ごしました。2年前、私は修煉上の問題があり、また彼の暴力に耐え切れず、私の考えは完全に法から離れ、彼に離婚を申し出て、他の人と結婚したいと思うようになりました。彼は刺激を受けて、苛立ちを発散するために、ヒステリックにネットで宝くじを買いました。家のすべての貯金を使い果たし、国内のある有名なネットサイトで5万元以上のローンを借り、またいくつかのめちゃくちゃな高利貸しサイトでローンを借り、銀行ローンを合わせると数十万元で、すべて宝くじにつぎ込んだのです。最終的に巨額の借金を抱え、家は困窮しました。 彼は心を奪われぼんやりした状態に陥り、一日中ベッドに横たわり小説を読み、食事もとらず、どうやって死のうかと考える日々を過ごすようになりました。

 この事件後、私は離婚して、再婚したいという思いを捨て、自分の修煉を真剣に見つめ直し始めました。自分のいくつかの執着心に気付いたことで、家庭内暴力は解消されました。ここでは、家庭の経済的困難の中で、修煉した体験を書きたいと思います。

 彼がこれらすべてを打ち明けたとき、私は完全に崩れ落ち、行き詰まりを感じ、静かに涙を流しました。絶望の中で明慧ネットを開くと、私の目に入ってきたのは「絶境は非絶路」という記事でした。それは、漂流中の探検家が孤島に流れ着き、唯一の避難場所だった壊れた木造の小屋も数日後に謎の大火に飲み込まれ、彼が完全に希望を失った時、遠くにあった船が島の火事を目撃し、それを救難信号だと思い込んで彼を救助するという話でした。記事の最後には、「絶境の中には、しばしば逆境を乗り越える機会が潜んでいる。神様がどのような計画を用意しているかは分からないので、絶望することはありません。絶境は必ずしも絶路ではない」と書かれていました。

 この短編を読んだ後、私はまるで師父が私を悟らせてくれているような気がしました。表面的には絶境にあるように見えるかもしれませんが、同時に師父の救いも存在しているということです。最初は困難に直面して逃げ出したい心や、彼を置いて子供たちを連れて実家に帰りたいというわがままな考えがずっと頭の中にありました。しかし、自分の本心は、私は大法の弟子であり、そんなことはできないと知っていました。ただ、その時はどうすべきか分かりませんでした。

 その日、夫婦である修煉者AさんとBさんに私の家庭に起こったことを手紙で伝えました。彼らは私に明慧の交流文章「人生の苦海:大法が壊れた家庭を救った」を送ってくれました。それを読むと、私の心は落ち着きました。翌朝早く、二人の同修が私の家に駆けつけてくれ、ドアを開けて二人の姿を見た瞬間、私はとても感動しました。 魔難に苦しんでいるとき、同修たちが私に与えてくれたのは普通の慰めではなく、私の夫に対して一言も悪口を言うこともなく、このことは、私をさらに感激させました。彼らはこう言いました。「師父は『修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です』[1]とおっしゃいました。あなたの心性に問題があるから魔難が起きたのです」

 痛ましい魔難の中で、彼を責めることなく、内に向かって自分の良くないところを探すこと(自己反省)は、本当に難しいとわかりました。同修たちの的確な指摘と無私の助けに感謝しています。以下に、師父の教えと同修たちの助けを受けながら、どのように私の心性が昇華してきたかについて書きたいと思います。

 最初、同修AさんとBさんは私がお金に執着していると言いました。納得できませんでした。私はあまりお金を持ったことはなく、他の人ほどお金に不安を感じていなかったからです。しかし、彼らは2年前に私がある大都市に行って働かなければならなくなったのはなぜか?と尋ね、その背後には何か他の心が隠されているはずだと言いました。すると、他の地域で働くというのは、表面的には自然な行動に見えましたが、実は自分でも自覚できないお金への執着が隠されていることに気付きました。それは、自分の生活の中では何も持っていないとすべてのことに対して無関心の表面的な心によって覆い隠されていたのです。実は、大都市で働くという深層心理は、そこでの給料がはるかに高いからであり、これは利益心です。また、見栄えが良い職業であるという名誉心です。同時に、自分の学歴と専門知識を手放したくないという執着心もあり、この専門は自分にぴったりだと思っていたので、逃すわけにはいかないと感じていました。これらは自分が気づいていなかった執着心で、徐々に、自分の執着心を見つける方法が分かるようになりました。

 翌日、私は別の同修Cさんのところに行きました。彼女は病気の同修Dさんのそばで手伝っていました。同修Cさんは常に自分が同修Dさんを助ける中で見つけた自分の執着心について話していました。彼女が黙々と自分の内心に向かって修める様子に感動しました。同時に、私自身も奇跡的に自分の執着心を発見できました。まず、依存心です。私はずっと経済的に夫に依存し、自分は楽に修煉できると思っていましたが、結果として私は彼に頼れず、彼を支える立場になり、彼が私に依存するようになってしまいました。第二に、夫に対して表面上は優しく接していますが、本当は無関心です。彼を大切にしないからこそ、邪悪はあえて彼を操って宝くじを買わせたり、彼に好き放題させたりします。 第三に、私は表面的には離婚しませんが、心の中では、彼のことは私には関係ない、実際に問題が起きれば離婚してもいいという思いが常にありました。 ですから、邪悪は彼に大きな出来事を起こさせ、私に離婚の話をさせたのです。同修Cさんが内に向かって探したことは私とは関係がないように見えましたが、彼女の純粋な内に向かって探す姿勢が私を助けてくれました。修煉は本当に奇妙です。

 その後、法を学んだ時、師父は再び啓示を与えてくれました。第四の執着は、臆病で事なかれ主義な心です。何よりも平穏を望む傾向なので、何か重大な事態になるのを恐れています。その結果、自分自身が大きな問題を招いてしまいました。第五の執着は、ネガティブな思考が私の体内システムのように存在しており、ネガティブな思考が魔難を引き寄せました。

 夫はこういう人間だから法を学ばなければ、必ず旧勢力に操られ、悪事を行うことになるだろう、と考えていました。同時に、私はこの魔難を絶望的なものとして捉えていましたが、これもまたネガティブな思考です。修煉者が遭遇する魔難は業を消し、心性を高め、円満に進むためのものであり、それは良いことなのです。

 そんな気づきを得た時、ふと顔を上げると、重い病業に苦しんでいる同修Dさんが楽しそうに笑っているのが見えました。その陽光に満ちた笑顔が私を一瞬でネガティブな思考から引き離し、自分の内心を法光が照らしているのを感じました。魔難に押さえつけられているような感覚はなくなり、そこから飛び出して見ることができて、しかもその魔難は大した事ではないと感じました。改めて法を学ぶと、それらの執着はすべて石ころの山で、今、外に掃き出していることがわかりました。

 同修の家の帰り道、彼に対してどのように無私で接するかを理解したので、頭の中には彼と一緒に困難な状況に向き合おうという思いが湧いてきました。するとまた「自分は偉いなあ」という考えが浮かんできました。自分に名を求める心が出てきたので、それを排除しようとしたのですが、うまくいかない感じがしました。

 そして帰宅後、明慧の交流文章を聞き、『党文化で帰り道を塞がないように 伝統文化の善人の境地を知る』という文章を聞いたとき、「自分は偉大だ」というのは名を求める心ではなく、共産党の党文化であるとすぐに気がつきました。中共は庶民が遭遇する天災の中で、いつも自分の光栄と偉大さを示そうとします。私も同じような心を持っていたのですね。夫が人生の困難に直面している時、私は少し助け、自分は偉大だと示そうとするのか? それに気づいた瞬間、この党文化的な観念は師父によって一瞬で取り除かれました。

 そこで、私にはどんな党文化が残っているのだろうかと、改めて考えてみました。 突然、ある考えが浮かびました。「生命への無関心」そして、私が彼に見せていた「うわべだけの親切」にも気づきました。また暫くすると、「傲慢で他人を軽蔑する」という人心も頭の中に現れました。これらの党文化の考えが発見された後、すぐに解体されました。私は普段、心からそれを探していないことに気づきましたが、探そうと思い立った瞬間、その真の念が動き出し、師父はすぐに私たちにそれを認識させ、取り除いてくれました。また、もし内に向けて見つけた問題が間違っていて、根源を見つけられていない場合、うまくいかないこともわかりました。自分の党文化が原因で、トラブルを起こしたのに、それをただの執着として扱っても、取り除くことができません。

 同修Aさん、Bさんは毎週私の家に来て、一緒に法を学び、法についての自己の不足点を交流し、私は急速に成長しました。同時に、長時間の発正念により、夫も大きな変化を遂げました。 彼はベッドにずっと横たわり、飲まず食わずで一心に死を求めていた状態から抜け出しました。 普通に動き食べたりするようになり、夫は家族の困難に立ち向かうようになりました。

 この時期、私はどこに行っても「轉法輪」の第四講を学んでいました。「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」という言葉に心を揺さぶられました。師父が私を励ましていると感じ、自分が乗り越えたいと思えば乗り越えられると感じました。

 私は自らに問いかけました。「師と法を絶対的に信じていますか?」もし信じているのなら、どうして心が揺れ動くのでしょうか? こうして、師父の助けを借りながら悟り、法の中で私の内心の世界が次第に晴れていきました。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二○○九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/5/451158.html)
 
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