【5.13応募原稿】逆境の中での神の按排(一)
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文/中国の大法弟子 蔡雲口述 同修編集

 【明慧日本2023年6月27日】私は生まれつき軟骨無形成症を患い、4歳になっても寝返りができませんでした。両親は歩行練習用にベビー用の手押し車を買ってくれたのですが、それを使っても、私は歩けませんでした。他の人が支えてくれても、どうしても歩くことができませんでした。大人が手を離すと私は倒れてしまうので、外出するときは親に抱っこしてもらわなければなりませんでした。

 ある日、両親が私を抱っこして親戚の家に遊びに行きました。大人たちは私を親戚の家に置いて、外出しました。そのことで私は機嫌が悪くなり、怒りのあまり、突然、片目が白内障になってしまったのです。成長するにつれて、眼球が飛び出るようになりました。母は、「女の子なのに、眼球が飛び出てくるなんて醜いわ」と言っていました。しかし、母は私を病院に連れて行かず、明礬(ミョウバン)という白色の粉末状のものを私の病んでいる目に塗りました。それで、目がつぶれてしまい、失明してしまいました。 

 数年後、すぐ近くに住んでいた親戚が、「この子は歩けないし、目も見えないので、捨ててしまいなさい」と親に言ってきました。近所の人たちも同じようなことを言っていました。当時、8歳の私は、物心がついていたので、大人たちの言葉を聞いて、自分が本当に親に捨てられるのではないかと不安でたまりませんでした。それで、生きたいという強い気持ちからか、力がどこからか湧いてきて、私は壁と窓に手をついて一気に立ち上がりました。

 あれから、私は奇跡的に少しずつ歩けるようになりました。これには両親も大喜びで、「彼らにあんなことを言われたおかげで、娘が歩けるようになった。信じられない」と言いました。その後、私は学校に通えるようになり、就職して家庭を築き、苦しみながら、なんとか普通の人と同じように暮らすことができるようになりました。

 私は両親に対してとても親孝行です。実家が貧しく、両親もすでに高齢だったため、私は結婚してからも時々帰省し、両親の経済的援助をしました。父が大病を患ったとき、私は毎日食事を作って持って行き、父の世話をしました。その後、私も夫も職を失ったので、自分で商売をするようになりました。私が頻繁に実家に帰るので、夫は、商売のことや私の体のことを不満に思うようになりました。

 その頃、私は足がしびれて歩くのも大変で、毎日機嫌が悪かったのです。夫は「お前の兄弟姉妹がたくさんいるのに、お前以外誰も両親のことに気をかけていない。もし、お前が歩けなくなって、病気になったら、俺はお前を穴に埋めてやる」と言いました。その時、「夫婦なのによくそんなことが言えるね。でも、私はこの人と同じように悪いことを言い返さない。自分の体をちゃんと鍛えよう」と思いました。

 翌日、私は早起きして散歩に出かけました。公園の前を通ったとき、遠くから美しい音楽が聞こえてきて、その瞬間、私は別世界に足を踏み入れたかのような気がしました。後で分かったことですが、その音楽は「普度」という、法輪大法煉功で流れていた音楽でした。

 その公園に入ると、約200人が整然と立ち並び、優雅できれいな動きをしているのが目に映りました。それは、法輪大法の煉功場でした。その場の穏やかで慈愛に満ちたエネルギーに、私は惹かれました。 

 その翌日、私はその煉功場に入り、法輪大法を学び始めたのです。

 幼い頃、私を捨てようとした大人たちの言葉が私を奮い立たせ、歩けるようになりました。そして、私を刺激した夫の一言によって、私は法輪大法に出会う機会を得て、それ以来、返本帰真の道を歩むことができました。過去のすべてを思い返すと、まるで神に按排された運命のように思います。 

 「誰にも負けない」から「自分を一番下に置く」へ

 私は目の病気による醜い容姿のため、幼少の頃から非常に負けず嫌いの性格になっていました。学生時代は勉強が得意で成績も良く、社会人になってからも、差別されたくないので、人からいじめられないように、何事も人一倍頑張りました。

 私は、自分のやり方で物事を進めるのが好きで、怒りっぽくて頑固な性格でした。家では子どもを叱ったり叩いたりして、夫にも負けないようにしていました。娘に何か言われたら、例えそれが正しいと思っても、私は認めず、「私はあなたの母親なんだから、私の言うことを聞きなさい。私が間違っていることを言ったとしても、正しいかどうかは別として『正しい』と言いなさい」と娘に言っていました。娘は私の気性をよく知っているので、口答えをしませんでした。

 夫はねぎ、生姜、ニンニクを食べないのですが、私は食べたいのに許してくれません。それらのものを買って帰ると、きまって喧嘩になったのです。私は夫に「人権侵害だ」とよく言っていました。ある日、姉が私に味噌をつけて食べる小葱を持ってきてくれました。それを見た夫は、窓からその小葱を投げ捨てました。姉に見られたら悪いと思って、私は夫にゴミ箱に捨てるようにと言いました。それを聞いた夫は、近寄ってきて私の髪を引っ張り、殴り始めました。横暴な夫に対して、私は決して負けませんでした。私は熱湯の入った魔法瓶を手に取り、地面に投げつけ、夫に向かって「もう一緒に暮らしたくないのか」と怒鳴りました。その時は、自分の方が理に適っていると感じていたからです。夫は怒鳴るのをやめましたが、私はますます腹が立ち、テレビを投げようとして、夫に止められました。

 結婚したばかりの当初は、自分は何でもできるし、苦手なものはないと思っていました。 私は人をいじめることはしませんが、誰かが私の上に立っていじめたら、絶対負けませんでした。夫は心が狭くて気性が荒い性格で、些細なことにまで口を出すので、喧嘩になることが多く、家族の争いにまで発展するのもしばしばで、家の雰囲気はいつもピリピリしていました。

 あの日の朝、法輪大法の修煉の道を歩み始めてから、私は変わりました。私は自分を修煉者としての基準にあわせました。家庭の中では、自分を一番下に置き、夫や子どもとどんなトラブルがあっても、常に大法の法理と照らし合わせ、真・善・忍で自分を律し、悪い性格を直しました。

 娘が私の悪口を言ったり、文句を言ったりしても、私は怒ったり暴れたりせずに我慢しました。私の欠点を指摘されても、私は頭を下げて謙虚に受け入れ、衝突が起きたときも内に向けて自分の不足を探すことにしました。

 娘に対する教育方式も変えました。娘が悪いことをしたときに、叩いたり叱ったりするのではなく、冷静にコミュニケーションを取り、大法の法理で、どう行動すればよいかを教えました。そんな私の変化を見て、娘は「ママが大法を学んで本当によかった! 健康状態が良くなっただけでなく、性格も良くなり、ママの言い争う声が聞こえなくなった」と言いました。

 夫に対しても、「私は強い女だから、いじめてはならない」という考えを捨て、自分を一番下にし、家事などを率先してやるようにしました。衝突があっても、修煉者の心構えで、我慢して、夫のことを優先に考えました。うまくいかなかったときは、自分の内に向けて探しました。私が変わったことで、家庭環境も一変しました。 

 ある日、勤め先で従業員たちに餃子を配りました。それは、ニンニクの芽の餡だったのですが、夫はなんと美味しそうに食べていました。それを見て、ある日、私は餃子を作るときに、餡にニンニクのみじん切りを入れてみたのです。帰宅した夫はそれを見て、いきなり怒って、作った餃子と残りの餡を全部床に投げ捨てました。そして、「俺が食べないなら、お前も食べるな!」と怒鳴ったのです。

 その時、私はすでに法輪大法の修煉を始めていたので、「もう修煉者なのだから、我慢して以前と同じようにしてはいけない」と自分に言い聞かせました。そして、私は何も言わず、黙々と床を片付けて、また、市場に行って食材を買い、家に帰って一から料理を作り直しました。4品の料理を作り、夫はそれを全部食べました。以前なら、避けられない家族の争いになっていたに違いありません。 

 娘が結婚してから、ある日家に帰ったとき、「自分の家では眠れなかったのに、実家に来たらどうして眠れるのだろう? まるで水の中の蓮の花の上に座っているようで、心地よい」と言いました。 ふと、それは師父がおしゃった「「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」[1]ということだと思いました。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/19/460164.html)
 
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