手放すことの素晴らしさ
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2023年7月17日】私は不動産会社に勤務しています。 今年の正月明け、3年間の新型コロナの流行で発生した損失を取り戻すため、会社は元々投資していた学区房(偏差値が高い学校の学区内にある住宅)を一気に売却することを社員に命じました。それを聞いて私は悩みました。ここ3年間は、新型コロナの流行による閉鎖のため、不動産業は大打撃を受け、会社では住宅が一軒も売れませんでした。しかも、私は売却に関与していなかったし、売却に関与していた以前の同僚は長い間、売却情報を人気のウェブサイトや仲介業者に登録するなど、すべての販売手段を使い切りましたが、何の効果もありませんでした。

 最初、私は会社がわざと私たちに難題を投げかけていると思いました。しかし、心を静め、よく考えてみると、修煉者である以上、偶然的なことはない、これはきっと師父が按配されたものだと考え直しました。私は文句を言うのをやめ、自分で代理店を探しました。思いも寄らないことに、まだ私たちの住宅情報を登録していないある代理店を見つけました。

 この代理店のインターネットには、まだ私たちの物件情報が登録されておらず、登録するとすぐに販売員から連絡があり、その後、すぐに物件を見に来るお客さんがおり、購入の意向を示しました。 私はとても嬉しくなり、やっと売れて良かったと思いました。

 しかし、誰が見ても順調に進んでいるようなことが、突然思わぬ展開を見せました。会社のある同僚が私に電話をかけ、今回の住宅を担当していた販売員が以前彼女と連絡を取っていたので、この住宅の販売実績は彼女に与えられるべきだと述べました。 それを聞いて、私は腹が立ちました。代理店は私が苦労して見つけたもので、お客さんの代わりに住宅の下見をしたのも私だし、購入する意思の決定も私の勧めによるものなのに、以前彼女と連絡したことがあるからと言って、彼女の実績にするなんて、明らかに強盗と同じではないか! と私は思いました。

 私は、できるだけ怒りをコントロールしながら、どうすべきかを考えました。この時、師父の言葉を思い出しました。「時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので」 [1]

 修煉者である以上、偶然に起きることはない、これはきっと私の利益に対する執着心を取り除くために起きたことだと思った私は、利益に対するを執着を捨て、自然に任せることにしました。この決断をその同僚に伝えると、彼女は驚きました。私が彼女と争うと思っていたのに、私がすべての利益を手放すとはどうしても予想できなかったのです。

 1カ月後、その同僚はまた私のところにやってきて、こう言いました。「私は売り上げの半分を取る。みんな会社のためにやっており、この住宅が売れたのはあなたの苦労も半分入っている」

 そして彼女は、販売手数料の5割を私に割り当ててくれました。この時、私は師父が説法で説かれたこのことを実感しました。「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/11/462857.html)
 
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