文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年7月24日】法輪大法を修煉してはや27年になります。慈悲なる偉大な師父のご加護のもと、師父の導きがあってこそ一歩一歩と今日まで歩んでこられました。
私だけではなく、家族も師父のご加護を受けています。夫は師父を敬い、私が残酷な迫害を受けているときも支えてくれました。
私と夫は同じ職場で働いており、結婚後も仲睦まじく過ごしてきました。
1999年8、9月ごろ、海外メディアが師父にインタビューする番組を、偶然にも夫はラジオで聞くことができました。夫によると、師父のお声には影響力があり、まるで遥か遠い宇宙のかなたから聞こえてくるような突き抜けるような力を感じたそうです。
1999年7月以降、私は2度も不法に裁判にかけられ、計10年の懲役刑を言い渡されました。子供も1年以上の労働を通した再教育(評注、労働教養)を不法に言い渡されたのですから、夫が感じていた圧力は計り知れないものです。一家の大黒柱は誰もいない家で泣いたこともありますが、大法の素晴らしさを知り、邪党の悪徳さも知っています。夫は、妻である私と子供を守り、この家を維持するために最善を尽くしてきました。
彼は私の両親を心配させまいと、迫害のことを秘密にし、母親の最期を見送ってくれて、父親の世話もしてくれました。
2001年2月、中級裁判所による二審が行われました。夫は私との面会を申し出ましたが、裁判所側は「修煉を諦めさせてくれたら、釈放する」と言いました。当時、まだ20歳未満の子どもが、すでに不当に強制労働教養所に送られていました。そんな中、私に会いに来た夫は、子どもが遭遇している苦難も、裁判所からの誘惑もまったく口にすることなく、ただ私を励ましてくれました。私が決して修煉を諦めないことを誰よりも知っているからです。
2007年、私は再び不法に連行されて刑務所に入れられました。夫は痩せこけた私を見て、「いつも怪我していないか」「また殴られたりされていないか」と聞いてきました。そして、刑務所の警官に対し、人には信仰の自由があり、いわゆる「転向」は刑務所の仕事ではないと告げました。彼は刑務所内の不法行為を知ると、正々堂々とそれに反対し、刑務所の上層部にまでそれを指摘しました。
中国共産党による法輪功への迫害の中で、会社の何人かの人々は、夫が依然として職場にいて、高い職位にいることに不満を持ち、上層部へ告発したり、私と離婚することを勧める人など、多くの困難が待ち伏せていました。しかし、夫は正義の心と良知を堅持し、私たち家族を守ってきました。
私が拘禁されている間、面会できる日は、夫は一度も欠かさずに会いに来てくれて、出張する時も被らないようにスケジュールを調整しました。夫は常に正々堂々とした態度で公の場に姿を現し、私と子どもは間違っていないことを、その身をもって証明しています。
これにより、夫は師父から多くの恩恵を受けています。慈悲なる師父は常に夫のことを見守り、仕事も、給料も、待遇も全く影響されることなく、それどころか、昇進することもありました。