文/オーストラリアの大法弟子
【明慧日本2023年8月23日】前に一度、読んだ物語ですが、昔、ある小役人が、村にやって来た老人が無料で人々の病気を治療していることを知り、私は興味を持ちました。どんな病気であろうと、老人が与えた薬を飲めばすぐに治り、しかも全ての人に同じ薬を出しているという内容でした。
小役人は老人が普通の人ではないと分かり、師と仰ぎたいのですが、老人は受け入れようとしませんでした。老人は毎日午前に病気を治療しているので、彼は午後になると老人のために掃除や片付けをしに行きました。しかし、彼が掃除したあと、老人はいつも姿を消しました。彼が隠れて覗いてみると、ついに毎晩、老翁は部屋に吊るされた靴の大きさほどのひょうたんに飛び込んでいるのを発見しました。
彼は黙々と老人に仕え続けました。ある日、老人は彼に「あなたは本当に心から私に従って、私の弟子になりたいのかね?」と尋ねました。彼は真面目に「はい、そうです」と答えました。老人は「それなら、私を完全に信じなければならない。 今から私の世界に行くから、ついて来なさい」と言った瞬間、ひょうたんの中に飛び込みました。彼は一躍して、老翁の後についてひょうたんの中に入ると、中は広くて非常に美しい世界であることが分かりました。
理工学部を卒業した私は、この物語は寓話に過ぎないと思いました。共産主義の中国で育ったので、修煉についてよく知らなかったのです。しかし、修煉した後、この話は真実であり、これは師を100%信じることの体現であると理解しました。私たちが誠心誠意に神を信じ、修煉の境地があるべき純粋さと高さに達すると、師父は私たちの肉体を変えてくださるのです。
(一)
1998年、中国国内のある同修の交流を聞いた時、私は深く感動しました。「数人の東北地区の同修が車を運転して大法の資料を届けているとき、途中で交通事故に遭いました。他の同修は無事でしたが、Aさんは重傷を負い、片足が後ろに反り、太ももには骨が見えるほどの傷があり、身体の他の部位も骨折して、体を動かすこともできないAさんの容態は非常に悪かったのですが、意識ははっきりしていました。彼の師父と大法への信念が、病院に行かないことを決意しました」
「その時、同修は偶然、近くで古い籐椅子を見つけました。それから、地元の同修に連絡して、Aさんを付近に住んでいる同修の家に担ぎ込みました。同修たちは交代でAさんと一緒に法を学び、Aさんをベッドの上で煉功させました。数日後、Aさんの足は元の位置に戻りました。数週間後、同修たちはAさんにベッドから降りて一緒に煉功するように励ましました。Aさんは全身の力を振り絞って起き上がり、激痛を我慢しながら半分はベッドに寄りかかって煉功しました。煉功する時、Aさんの体から『パチパチ』という音がして、周囲の同修たちもそれが聞こえました。煉功した後、Aさんの身体は動かなかった部分が動くようになり、骨折が修復したのを感じました……」。この話は、私の今後の経歴の中で大いに役立ちました。
(二)
2004年、Dさんの足が南アフリカで、中共の曾慶紅と周永康が雇った暴徒に銃で撃たれました。私は、Dさんがオーストラリアに帰国する前に、ある同修たちから、「Dさんは家に帰りたくないのです。両親に心配させたくないので、当分の間両親に内緒にして欲しいのです」と聞き、私と夫は空港にDさんを迎え、私達の家に連れて帰りました。夫は正看護師なので、Dさんの面倒を見ることができます。
Dさんの足の傷口はこぶしほどの大きさで、中の骨が見えるほどでした。夫は傷口を蒸留水で洗い、新しい包帯を巻いただけでした。Dさんはごく僅かな痛みを感じただけで、ベッドに座って煉功することができました。夫は、「普通ならこのような状況では痛みに耐えられないはずだ……、これはすでに奇跡です」と言いました。私たちは、師父がDさんを助けて下さっていることを知っていますし、師父がDさんをすぐに回復させてくださると信じていました。
Dさんはずっと法を勉強し、説法を聴き、同修と交流しました。しかし2日後、 Dさんは「姉が、他の人から私が怪我をしたことを知り、香港からシドニーに来ると言っています。本当にまずい、私は子供の時から姉の言うことを聞いてきたから、姉が病院に行けと言うなら、行くしかないのです」と話しました。その言葉を聞いて、Dさんは姉が来る前にすでに諦めてしまったのではないかと思い、非常に心配していました。
Dさんが心から師父を信じていることは分かっていますが、彼が姉への情から離れ、固い正念と理性を見出す手助けする方法が分からなくなりました。 私は真剣に法を学び、Dさんが姉の前で心を強くする知恵をみつけたいと思いました。翌日、Dさんの姉がタクシーで車椅子を運んでやってきて、すぐにDさんを病院に連れて行きました。
病院に着くと、医師はすぐにDさんの足を切断することを勧め、それが彼の命を救うことになると言いました。Dさんはそれを拒否しました。
その後数日間、医師はDさんの傷口が開いていることを心配し、洗浄作業に協力するよう促しました。しかし、夫がDさんの包帯を取り替えたとき、傷口や周辺に腐敗や炎症の兆候は見られませんでした。抗生物質も痛み止めも使っていないのに、これは奇跡だと言えます。
姉が病院にいない間、Dさんは一日に数回私と電話で交流し、中国東北地区のAさんの経験も聞いていたので、私はもう一度Aさんとの交流を振り返りました。しかし、Dさんは姉のプレッシャーという肉親の情の中でなかなか決心できず、しかも医師たちもDさんに協力し、適切と思われる手術を受けるよう提案し続けていました。
3日目、Dさんから電話があり、「松葉杖を使って歩けるように、医師が踵の形をした金属の踵を取り付ける治療法を提案しました。その足は動かすことができず、実際は義足のことです……」と告げられました。私は、Dさんがこれ以上姉と言い争うのは難しく、これ以上医師の善意に抵抗するのは無理だと分かりました。
その夜、私たちは長時間交流しました。最後に、私は、Dさんは自分の意見を貫く強さを持ち、師父と大法が彼を完全に健康な状態に回復させることができると信じるべきだと判断しました。Dさんの姉と医師たちはみんな、Dさんのためだと思い込んでいますが、師父こそが真にDさんのために考えておられ、Dさんは自分の完全な回復にさらに責任を持つべきだと感じました。
翌朝早く、私はDさんの姉からの電話を受け取りました。彼女は「なぜあなたたちは、彼の手術を止めさせようとしているのですか? 彼はあなたの身内ではないのです。『手術を受けないように』とよく簡単に言えますね、これはあなたには何の関係もありません。医師たちはすでに最善の治療法を見つけました。私たちはすでに準備万端です……」と怒りました。私は彼女はいいお姉さんだと思いました。誰でも自分を守ってくれる姉がいることは良いことだと思います。
私は冷静に「もちろん、あなたが彼のために最善を尽くしていることは知っています。しかし、医師が彼に埋め込もうとしている金属は、彼の足を動かすことはできないし、足の怪我を部分的に治すだけです。私はDさんに100%回復してほしいのです」と答えました。Dさんの姉は「あなたは、100%の回復を保証できますか?」と聞きました。私は「私は保証できませんが、Dさんが私たちの師父を100%信じることができれば、彼の傷は100%治ります」、「私は、前述の古代の医者の話と、同修Aさんの良い実例、そして私自身が法輪大法への自信を理解していたからです」と落ち着いて答えました。
私は実の姉と話しているような感じがしました。彼女はとても落ち着いた声で私に「分かりました」と言って電話を切りました。しばらくして、Dさんから電話があり、夫は病院に行ってDさんを自宅まで連れて帰りました。
Dさんの姉は弟の面倒を見るために、会社で2カ月間の休みを取りましたが、弟の傷が早く回復していることや、他の同修たちが毎日Dさんを助けているのを見て、彼女はとても嬉しく感じ安心して、シドニーに3週間だけ滞在し、香港に戻りました。
そして、2カ月も経たないうちに、Dさんの足は速やかに治り、松葉杖なしで歩けるようになりました。
修煉者は自分の理解と真の信仰がなければ、あらゆる方面から来ている業力と魔難に立ち向かえないことを、私は修煉の中で理解しました。また、Dさんの姉はまだ修煉者ではありませんが、師父を100%信じるということが修煉者にとってどういうことなのか、すでに理解してくれていることを、とても嬉しく思っています。
(続く)