神韻芸術評定センターの中国古典舞踊夏期クラスでの修煉体験
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文/アメリカの大法小弟子

 【明慧日本2023年9月7日】私はカリフォルニア州の大法小弟子で、今年11歳になります。5歳の時から大法を修煉しており、私の祖母、母そして叔母も大法弟子です。そのため、幼い頃から大人たちと共に法を学び、煉功をしてきました。今年の夏、私は神韻芸術評定センターの中国古典舞踊夏期クラスに参加するため、カリフォルニアからニューヨークへ来ました。その間、様々な事を経験したので、ここで皆さんと共有したいと思います。

 1、 苦労をする事に対する会得

 夏期クラスを始めたばかりの頃、開脚の練習をする時に非常に痛く感じ、毎日のランニングも辛く感じました。時折、泣きたくなることがあり、最初の何日かは家に帰って来ると、母と交流をしながら何度も泣いたことがありました。

 後で思い出したのですが、カリフォルニアでダンスを習っていた際、開脚をする時あまり圧力をかけずに開脚をしていました。時折、怠けて軽く動かすだけで済ませていました。今年、夏休みが始まった時、家族とハワイに旅行に行ったこともあり、休暇中に自分を完全にリラックスさせました。そのため、現在ここに来てから激しい痛みを感じ、非常に困難であると感じていました。

 ある夜、私は再び泣き始めました。すると母は私に「わたしがむかし修煉していた時、多くの高人がこんなことを言ってくれました。『忍び難がたきは忍びうる。行ない難きも行ないうる』[1]と師父はおっしゃっています。少し我慢できるかどうか、最後まで耐えることができるか、考えてみて」と言いました。

 一晩中考えた後、翌日開脚の練習をする時、歯を食いしばって足をできるだけ地面に付けるようにしました。

 ある時、同級生が私の開脚を手伝ってくれていた時、先生が私のグループを呼びました。そして、先生は開脚を手伝ってくれました。私が最初に呼ばれ、椅子に横たわった瞬間、突然強い恐怖心が湧いてきました。先生が胯を開いてくれている間、ますます恐怖心が高まりました。私は泣き出し、何分もの間泣きました。授業が終わるまで泣き続け、脚が押さえられる瞬間を考えると、非常に泣きたくなりました。

 後に、先生が「足を広げることを怖がれば怖がるほど、広げる時に痛く感じる」と言ったことを思い出しました。先週、足を広げる時、先生の言葉を思い出し、胯を開いても怖がらないように努めました。すると、胯を開く瞬間、特に痛みを感じることなく広げることができました。

 カリフォルニアにいた頃、学法と煉功が追いつかず、皮膚の過敏症がよく起こり、時にはめまいや吐き気もありました。ある時は腹痛で倒れて地面で転げ回り、泣き叫ぶことさえありました。ここに来てから、舞踏のスキルが少しずつ向上するだけでなく、学法と煉功も追いつきました。今、私の体は毎日非常に健康です。私は今、苦労をすることは本当に悪いことではないと思っており、怖れる心を少しずつ放下しています。

 2、各種の執着心を放下する

 夏期クラスに参加し始めた頃、私はダンスの授業に追いつこうと一生懸命でした。その時、既に夏期クラスが始まっており、私は3日遅れで参加したので、自分が遅れを取らないか心配でした。しかし、だんだんと私は自分を緩め始めました。授業中、一貫して真剣さを保つことができず、開脚時にもあまり苦労をしたくありませんでした。私は自分の怠惰な心に徐々に気づき始めました。先生は、「本当に同級生のために開脚を助けてあげたいなら、本当に力を入れて足を押してあげなければいけない」と言いました。しかし、時折、同級生が私の足を広げる時、私は「そんなに力を入れなくてもいいよ」と言っていました。

 ある時は、昼寝の前にマットを持ってこなければならない時、私は怠けてしまい、他の人が持ってきたマットの上に寝転んでしまい、昼寝の後、マットを片付ける時、他の人にやらせて、私は自分のことをしていました。開脚の練習の時も、マットを持って来て準備する時も、またマットを片づける時も、私は常に怠けていました。怠けることは良くないことであり、自己中心的な行動です。私はすぐにこの自己中心的な心を取り除くことを願いました。

 時折、先生が授業中に私たちに列を組むよう指示することがあります。先生が私を最前列の中央に配置すると、私の心には強い歓喜心が湧きました。心の中で「私は素晴らしい」と考えていました。すると翌日、先生は一日中私の問題を指摘しました。その時、私は歓喜心を持つべきでないと気付きました。先生が私たちを前に配置したり後ろに配置したりするかに関わらず、みんな自分を改善すべき点があり、またそれぞれの長所もあります。だからこそ、お互いに学び合うことができるのです。たとえば、同級生がバック転を成功させたり、難しい動きをしたりした時、私たちは嫉妬すべきではなく、喜んで同級生に共感すべきであり、外面だけではなく内面からも喜ぶべきです。

 3、「物事の善し悪しは人間の一念によるもの」を体験する

 師父はこう説かれています。「物事の善し悪しは人間の一念によるものだと今申しましたが、もし彼女が路上に倒れたまま、「もう駄目です。ここも駄目、そこも駄目だわ」と言ったならば、それで本当にあちこち骨折して、半身不随になっていたかも知れません」[1]

 私は法を学ぶ際に、何度も「物事の善し悪しは人間の一念によるもの」という法理を学びました。また、先生も私たちとこのテーマについて交流してくれました。ある日、私は急に左足が痛くなりました。1週間以上も続き、しかも日に日に悪化していくのが気になりました。時折、足を上げるのも痛いくらいでした。後で気付いたのですが、私の足が長い間痛んでいたのは、それを深刻な傷と思い込んでいたからであると分かりました。その為私は、「大丈夫だ」と考えるようにしました。その結果、足の痛みは日に日に軽くなりました。以前、大人の同修が観念を変えることについて話したことがありましたが、今では少し理解できるようになりました。

 4、 結論

 この夏期クラスに参加して、とても苦しくて辛い思いもしましたが、たくさんの収穫がありました。新しい友達と出会い、徐々に舞踊の技術も向上し、たくさんの新しいことも学びました。

 今年、私は転校する予定があり、既に新しい中学で一緒に学ぶ何人かの子供たちと知り合うことができました。学校が始まって皆に会うのを楽しみにしています。夏期クラスの他の生徒は、彼ら自身の都市に戻るかもしれませんが、再び会えることを楽しみにしています。

 すべての先生方のご指導と、開脚時の痛みを克服するのを手助けしてくれたことに、感謝いたします。

 師父に感謝します! 同級生に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:「轉法輪

 (編集責任:于悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/11/464016.html)
 
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