文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2025年4月2日】私は2018年に海外で法を得たニューヨークの大法弟子です。これまでの修煉の道のりを振り返ると、つまずきながらも歩んできました。こうして前に進み続けることができたのは、師父が常に慈悲をもって見守ってくださったおかげです。私は法を師とし、信念を貫きながら修煉を続けています。
法を得てからというもの、私は毎日欠かさず学法をしてきました。どんな魔難に遭っても、法の中で悟るよう努め、心をえぐられるような苦しみの中でも、執着を一つひとつ取り除いてきました。今になって改めて思うのは、グループ煉功や学法が、新しく修煉を始めた私にとって非常に大きな助けとなったということです。
ここでは、私が全体学法に参加したときの体験についてお話しします。
法を得て間もない頃、毎週金曜日の夜には、マンハッタンにあるペンシルバニアホテルの大ホールに、数百人のニューヨークの学習者たちが時間通りに集まり、学法を行っていました。座席が足りない場合は、多くの人が床に直接座って座禅し、学法していました。中国語と英語が交互に読まれる法の声は揃っており、非常に強いエネルギー場を感じました。私はいつも、ある中年の女性の同修が、目を閉じて床に座り、皆の音読の声の中で法を暗誦している姿を目にしていました。そのような環境の中で、私たちは『轉法輪』を何度も繰り返し読みました。
学法が終わると、主催者から現在の活動状況についての説明があり、その後は修煉体験の交流が行われます。同修たちの交流は非常に良く、特に彼らが「人を救うこと」を最優先にし、それを実際に行動に移していることに、私は何度も心を打たれました。当時はまだ法を得たばかりで、修煉者としての環境に慣れていませんでしたが、この「比して学び、比して修す」の雰囲気が私を励まし、もっと努力して法を正す進展に追いつこうという思いを強くさせてくれました。
その後、パンデミックが起きたことで、大規模な全体学法の環境がなくなってしまいました。オンラインでの学法には慣れたものの、心の中では、数百人で一緒に学法し交流していた当時の光景が、今も強く思い出されます。
金曜日の大規模な学法以外に、毎晩の小グループ学法もありました。私は運よく、非常に精進している数名の古い弟子たちと毎晩1時間半ほど一緒に学法をしていました。特に木曜の夜は、学法の後に小グループでの修煉交流がありました。その中のある同修は、いつも修煉交流にとても真剣に取り組んでいて、事前に文章を書いて自分の思いや体験を整理し、発言の中には毎回、師父の法の出典がきちんと添えられていました。その姿勢を見て、私も交流の重要性を実感し、自然と意識が高まりました。私自身も毎回交流文を書くことで、自分の内面が浄化されるような感覚を得るようになり、自分の体験を言葉にすることで向上を実感できるようになりました。
このようなグループでの学法の環境は、新しく法を得た私にとって非常に大きな支えとなり、本当に大法修煉の道に入ることができたと感じています。同修たちが法理について深く交流し、自らを厳しく律して修煉者としての姿勢を貫いている様子にも、心を打たれました。特に印象に残っているのは、法を得たばかりの頃、私の思想業力がとても強かったことです。頭の中では次々と疑問が浮かび、「本当にそうなの?」「そんなことがあるの?」という声が聞こえるような感覚さえありました。このままでは修煉を続けられないと思ったこともありました。ですが、まさにこのグループ学法の環境があったからこそ、私はそうした思想業力をすぐに抑えることができ、毎日三つのことをしっかりと行う修煉の道を、着実に歩み始めることができたのです。
修煉の道を歩む中で、同修たちの支えがどれほど大きな力になるかを、私は身をもって実感しました。あるとき、私は病業の関に直面し、喉がかすれて、自分でも聞くに堪えないような声になってしまいました。学法の時、「他の同修に迷惑になるかもしれない」と思い、「今日は読むのをやめて、聞くだけにします」と伝えました。すると、ある同修がこう言ってくれたのです。「大丈夫、それを認めないで。あなたはそのまま読み続けて。私たちは気にしないよ」と。その一言は短くても、彼女の正念がまっすぐ私の心に届きました。その言葉に励まされ、私の中の正念も強まり、正しく行動できるようになり、病業の関をすぐに乗り越えることができました。
その後、プロジェクトの関係で新しい学法グループに参加することになりました。このグループは人数こそ少ないものの、修煉に対する要求が高く、毎晩2時間以上学法を続け、深夜には発正念も行います。毎日『轉法輪』を一講読み終え、さらに各地での説法などの経文も学んでいます。振り返ってみると、どの段階においても、師父は私に最適なグループ学法の環境を与えてくださいました。私は縁ある同修たちと共に、日々精進しながら着実に修煉を続けられることを、心から感謝しています。
続いて、グループ煉功について話したいと思います。
法を得て以来、私はずっとニューヨーク市中心部の公園で、毎日屋外で煉功を続けています。厳しい寒さの中でも、真夏の暑さの中でも休んだことはありません。当時、この煉功拠点には十数人の同修が集まっていて、西洋人も中国系の人もいました。多い時には30人近くが並んで座り、煉功していました。横一列に整然と並ぶその姿は、非常に強いエネルギー場を形成していたと思います。この公園は立地がよく、通行人も多いため、煉功中には毎回多くの常人が私たちの前を通りかかります。多くの人が足を止めて見学したり、煉功の資料を受け取ったり、時にはその場で煉功に加わる人もいました。この場所で、私たちは多くの人を救うことができました。
そのような環境に自然と影響されて、私も少しずつ真相を伝えることを学ぶようになりました。それが、後に煉功拠点で人を救う活動へとつながる、最初の一歩だったと思います。法を得たばかりの頃、私が一番嬉しく感じていたのは、仕事が終わったあと、煉功拠点に向かう道を歩いているときでした。拠点に着くと、周りの同修たちが美しくまっすぐな姿勢で座禅し、静かに煉功している姿がとても印象的でした。私も自分を厳しく律し、両足を組んで座禅をするようにしました。足の痛みはまるで針で刺されるようで、「生きた心地がしない」と思うほどでしたが、そのたびに『轉法輪』にある「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」の言葉を思い出し、歯を食いしばって耐えました。
やっと煉功が終わると、痛みに耐えた反動で涙があふれましたが、心の中は不思議と感謝の気持ちで満たされていました。もし、この集団での煉功がなければ、自分にここまで厳しくすることはできなかったと思います。この貴重なグループ煉功の場があったからこそ、私は日々少しずつ確実に煉功を進歩させることができました。
2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大により、ニューヨーク市ではすべての商業施設が閉鎖されました。そんな中でも、公園は開いていたため、私たちの煉功場所は一日も休むことなく続けることができました。参加する同修はわずか2〜3人に減ってしまいましたが、不思議なことに、多くの人が修煉や座禅に興味を持ち始め、毎日のように見学や体験希望者が訪れました。パンデミック中、この煉功場所では、数えきれないほどの不思議な出来事が起こりました。
師父は『スイス法会での説法』の中で、「私たちは縁のある人を取り残さないようにと説いているだけです。私は全人類に法を得させるために法を広めているのではないと言いました。決してこのような概念ではありません。縁のある人に法を得てもらうと私は言っています。今日ここで、皆さんにはっきり話してもいいと思いますが、私たちがいつも言っている法を広める方法は、皆さんが外で煉功することと、社会で大法の本が書店で販売されていることです。私の法身は縁のある人に本を買い求めさせ、縁のある人であれば、本を読んですぐ学びにやって来ます。また私たちが外で煉功しているので、法身はその人が煉功場を尋ねて法を得るように按排するのです。偶然が重なるようにその人を煉功場に行かせ、煉功させます。或いは、他の学習者と連絡が取れるようにします」と説かれています。
この場所で6年間活動を続ける中で、私は多くの人が救われていくのを見てきました。修煉を始めたばかりの頃、こうした集団での煉功の環境がなかったら、今の私はいなかったと思います。現在は社会も通常に戻りつつありますが、以前のような活気はなく、煉功に来ているのは2〜3人の同修だけです。パンデミック以降、以前の同修たちの多くは戻って来ていません。別の煉功場所に移ったのかもしれませんし、屋内での煉功に慣れてしまったのかもしれません。みんな忙しいのでしょう。
それでも、何人かでも同修が集まれば、エネルギーの場が強くなり、それにつられて足を止める人や、資料を手に取ってくれる人も確実に増えます。師父が屋外で煉功するようにと説かれているのは、本当に意味のあることなのです。10年前に始まったこの煉功場所は、今まで多くの人を導く大きな役割を果たしてきました。それが今、重要な時期に差しかかっているのに維持が難しくなっているのは残念です。もし、公園を通りかかった誰かが、本来ここで救われるはずだったのに、自分がその場にいなかったせいでその機会を失ってしまったとしたら、それは、とても大きな損失だと思うのです。
法を得て半年ほど経ったある金曜日の夜、発正念を終えた後、ふと「全体学法に参加したい」と強く思いました。まるで師父が背中を押してくれているように感じ、そのまま会場へ向かいました。準備していた交流文はありませんでしたが、数百人の同修の前で、自分が修煉を始めた経緯や、「毎日一人でも多く人を救いたい」という初心者としての熱意を、そのまま素直に話しました。そのあと、何人もの同修が声をかけてくれて、「とても感動した」「修煉を始めた頃の気持ちを思い出した」と言ってくれました。そのときは、「修煉を始めた頃の気持ち」とは何か、実はよく分かっていませんでした。でも最近になって、少しずつその意味が分かってきました。法を得たばかりの頃は、ただ嬉しくて、毎日が精進そのものでした。心もとても澄んでいて純粋でした。仕事が終わるとすぐに公園に向かい、煉功の音楽を聴きながら座禅をすると、自然と涙がこぼれました。終わる頃には、乾いた涙で目が開かなくなることもありました。なぜそんな状態になるのか自分でも分からず、ただ感情が溢れていました。人としての道理がふと理解できたり、法に出会えた喜び、そして師父の慈悲に対する感謝の気持ちがこみ上げてきたのです。あの時の感動は、今も忘れられません。けれども、それから数年たつうちに、煉功に対する姿勢も変わっていきました。形だけになったり、心が落ち着かなくなったり、忙しさにかまけて煉功を省略してしまうこともありました。そんな時、自分に「最初の気持ちを思い出そう」と言い聞かせています。この一念も、師父が守ってくださっているからこそ、持てるものだと思います。
『轉法輪』の第九講で、師父はこう語られています。「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」。私はこの部分を読むたびに、心を強く打たれます。読むうちに喉が詰まり、言葉が出なくなることもあります。俗世の名誉や利益、感情に深くとらわれていた私にとって、この言葉は特に深く響きました。法を得たばかりの頃、この法理が自然と心に入ってきて、言葉では表しきれないほど強く共鳴したのを覚えています。ところが最近では、この部分を読んでも以前のような感動がなくなりました。読みながらも心が散漫で、法理が胸に響かなくなっているのです。私はそのとき、自分の修煉が形だけのものになっていることに気づきました。とても情けなく感じました。
安逸な気持ちが入り込み、修煉への意欲が落ちていきました。怒り、色欲、怠惰、そして奥深くに隠れていた嫉妬心まで顔を出すようになりました。「初心」に戻るのが難しくなっていました。しばらくの間、煉功の場には同修もほとんど来ず、興味を示す一般の人もほとんどいませんでした。その様子を見て、私は落ち込み、「煉功する人が少ないせいで、エネルギーが弱くなってしまったのでは」と思うようになりました。最近では、残っていた同修の間でも、「煉功の時間を短くしよう」とか、「週末は公園が騒がしいから、場所を変えた方がいい」といった意見も出ています。
私は悩みながらも、内に向かって探しました。私たちは一つの団体です。だからまず、自分自身から始めるしかない。自分の修煉の状態を高め、実際に行動すること。それができれば、縁ある人々も自然と集まってくる。そう信じています。師父はきっと、この煉功の場を最善の形で導いてくださるはずです。
最近、ある同修と会ったとき、彼が開口一番こう言いました。「やっぱり、集団での学法と煉功に戻るべきだよ」と。その言葉を聞いた瞬間、私は心を打たれました。すべては偶然ではないと感じ、その気づきがこの文章を書くきっかけになりました。私自身、新しい学習者として法を得てから、落ち着いて物事を考えながら、確かな意志で修煉を続けてこられたのは、師父が教えられている「集団で修煉する環境」があったからだと思います。思い出すのは、かつて私たちの煉功場所に通っていたある西洋人のことです。2年間熱心に煉功に参加していましたが、最後まで大法の修煉には入ってきませんでした。もし当時、学法と煉功の両方をしっかりと行う環境があり、新しい人へのサポートも整っていれば、彼も本当に修煉を始められていたかもしれません。
修煉は、思っている以上に厳粛なものです。最近起きたさまざまな出来事、そして師父が発表された2つの新しい経文は、どれも修煉者の心を揺さぶるものでした。今夜、自宅に向かう途中、師父の新経文『法難』の最後の一文が、ずっと頭の中で響いていました。「法難の中で最後に残る生命と淘汰される生命を選択しているだけで、大法弟子の中で合格できる人とそうでない人も選択しています」。この言葉は、自分が本当に修煉者としてふさわしいのかを改めて問いかけられているようで、心に深く残りました。