正念で向き合った煉功拠点での妨害事件
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2025年5月19日】4月下旬のある日、私が東京の小松川公園の煉功拠点で煉功していた際に遭った、ある出来事に関する私の修煉体験談を皆さんと分かち合いたいと思います。

 その朝、いつものように公園で煉功をしていたところ、子どもたちが私たちの近くにやってきました。彼らは大声で騒ぎ、煉功している様子を撮影し、さらには音の大きなおもちゃの爆竹を使って私たちの煉功を妨害しました。

 翌日も同じような妨害があり、来た子どもたちの数は昨日よりさらに増え、騒音もよりひどくなりました。しかし、私たちは誰も動じることなく、心を静かに保ち、発正念を続けました。私の心には「常人を操って小松川公園の煉功拠点を妨害するすべての邪悪な要素を解体し、大法と大法弟子に罪を犯させることを阻止せよ」という一念が浮かびました。

 ちょうどそのとき、私たちは第3功法を煉っており、隣にいた同修・Aさんが私に「この子たちの写真を撮っておいたほうがいい。必要があれば警察に通報できるから」と言いました。Aさんは、これらの子どもたちは誰かに雇われて来たのではないかと考えたようです。というのは、彼らは2日続けて現れ、同修たちを撮影していたからです。

 しかし、私は少し違う考えが浮かびました。私は師父の説法の中の「日本ですが、どこかに問題があれば、そこへ行って真相を伝えるべきです」(『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」)を思い出しました。普段はこれらの子どもたちに接触する機会などほとんどありません。けれど、いま彼らが自ら煉功拠点にやって来たのなら、もしかしたら心の奥では真相を知りたいと思っているのではないか? と思いました。

 そこで私は煉功をいったん止め、子どもたちのところへ自ら歩み寄り、声をかけました。修煉者としての善の心をもって彼らに接し、師父にご加持をお願いし、また神々の加持も願いました。

 私が近づいていくと、子どもたちは警戒し、妨害をやめて徐々にその場を離れようとしました。私は優しく声をかけました。「ちょっとお話ししたいだけなの。みんなはまるで私の弟や妹のような存在よ。怖がることはないわ」

 最初は、2人の子どもだけが私の話を聞こうとしてくれました。でもしばらくすると、さらに3、4人の子どもたちが近づいてきて、一緒に話を聞いてくれるようになりました。私は穏やかな口調で、大法の真相を伝えました。彼らは「法輪功なんて初めて聞いた」と言い、迫害の実態について話すと、とても驚いていました。さらに、世界中で1億人以上が修煉していると伝えると、彼らはもっと驚いていました。

 子どもたちは「法輪功は中国人だけがやっていると思っていた」と言い、私がベトナム人であることを話すと、とても驚いた様子でした。私は彼らにこうも伝えました。「私たちがここで安心して煉功できるよう、どうか応援してくださいね」

 真相を知った後、一部の子どもたちは煉功動作を真似し始めました。しかし、しばらくすると「じゃんけんぽん」をして、誰が爆竹を鳴らすかを相談し始めました。私や他の同修の耳には、ある子どもが「彼らがちゃんと集中してできるか、ちょっと見てみよう」と言うのが聞こえました。彼らはまるで挑発するかのように、わざと私たちの反応を試しているようでした。数回爆竹を鳴らした後、彼らは笑いながら立ち去っていきました。

 「もし、彼らが明日もまた来たなら、私はもう一度真相を伝えよう。そして、こう教えてあげよう。『大法の修煉場所を妨害することは、あなたたち自身にとってもよくないことですよ』」と。

 同修・Bさんは「昨日、家に帰る途中、子どもたちが言った『彼らは、ちゃんと集中してできるかな』という言葉が頭から離れませんでした。あの状況下でその言葉を口にしたのは、普通じゃないと思います。自分自身の煉功状態や修煉の心のあり方を反省すべきだと感じました」と言いました。

 さらにBさんはこうも言いました。「煉功中に眠くなったり、雑念を排除できなかったりすることはありませんか? 静功のとき、本当に入定できているでしょうか? そういったことをクリアしてこそ、大圓満法の要求に近づけるのです。今では、毎日煉功拠点に来ることがただの習慣になっていて『今日も来た、これで任務は果たした』という気持ちになりがちです。そのせいで、無意識に形式に流され、修煉の本当の意義を忘れてしまっています。常に純粋で慈悲深く、他人のためを思う心で法を広め、人を救うという初心を持ち続けなければなりません。こうした『妨害』が現れたとき、まずは自分自身を見つめ直すべきなのです」と。

 私も内に向かって探しました。最近、第5式を煉っているときに眠くなったり、雑念に妨げられたりすることが多くなっていました。その状態に自分でも気づいており、何とか突破しようと努力してきました。今回の出来事は、煉功点のすべての大法弟子にとっての試練であり、私たちの心性や正念が試されているように感じました。あのとき私たちは怒りの感情を持たなかったか? 常人のやり方で対処しようとしなかったか? 発正念をしたとき、その出発点は純粋だったか? そういった点を振り返る必要があると思いました。おそらく、最近私たち煉功拠点の大法弟子が皆、真剣に精進し、集団での煉功をとても大切にしていたからこそ、旧勢力がこのような試練を仕組んだのではないかとも思います。

 同修・Cさんも、発正念の重要性について自身の体験を共有してくれました。ある日、Cさんが1人で第5式を煉っていたとき、ひとりの日本人の中年男性が煉功拠点の近くを通りかかり、大法の展示旗を見た瞬間に怒りをあらわにし、よくない言葉を発したのです。Cさんはまったく動じることなく、静かに座ったまま「この生命が悪念を起こす背後のすべての邪悪な要素を解体し、この生命を救って淘汰されないようにしたい」という一念を発しました。すると予想外のことが起こりました。わずか2、3分後、その男性が煉功拠点の真ん中まで戻ってきて、大法の展示旗の前で跪き、深く一礼したのです。そしてそのまま何も言わずに、静かに立ち去っていきました。Cさんは「正念の力が、その場の状況を本当に変えた」と語りました。

 この出来事の後、煉功拠点の同修たちは皆で一緒に発正念をするようになり、他の同修にも声をかけて参加を呼びかけました。おそらく、こうした努力が功を奏したのでしょう。3日目の朝には、あの子どもたちはもう1人も姿を見せませんでした。彼らは本当に真相を理解し、もう二度と妨害するようなことはしないでしょう。私たちはそう信じています。

 その日の朝は、煉功拠点に普段あまり見かけない同修も含め、より多くの大法弟子が集まりました。私は、皆が「煉功拠点を守り、真相を伝えて衆生を救う」という責任感と使命をよりはっきりと自覚している空気を感じ取ることができました。

 今回の出来事を通して私は、妨害や試練に直面したとき、正念を持ち続けることの大切さを深く実感しました。この正念とは、単に自分や煉功拠点を守るためだけのものではなく、衆生を救うために発するものであるのです。

 もう一つ、ぜひ共有したい出来事があります。翌日の朝、同修たちが学法をしていたとき、1人の日本人高齢者が通りかかり、なんと、中国語で「何の本を読んでいるんですか?」と尋ねてきたのです。Bさんが「これは法輪功の『轉法輪』という本です。よろしければ、どうぞご覧になってください」と答えました。すると、その高齢者はその場で本を手に取り、『論語』の冒頭の数節を大きな声で朗読し「これは本当に深遠な書ですね」と言ったのです。Bさんは、その高齢者が以前にも法輪功について尋ねたことがあるのを思い出しました。今回は、彼が実際に本を手に取り、朗読までしたことから「この方は縁のある人なのだ」と感じたそうです。きっと彼の心の中には修煉への憧れがありながらも、まだ法を得る環境や導いてくれる大法弟子がいなかっただけなのかもしれません。だからこそ、屋外での集団学法と煉功はとても重要なのです。これは個人の修煉を助けるだけではなく、真相を伝え、法を広める大きなチャンスでもあるのです。

 現在、私たちの煉功拠点(小松川公園)では、毎朝2回の時間帯に分けて集団煉功を行っています。第1グループは午前4時20分から第2式を始め、続けて第5式、第1・3・4式の功法を行い、その後発正念、最後に学法をします。第2グループは午前5時20分からスタートし、第5式の功法、第1・3・4式の功法を行った後に発正念、そして最後に第2式の功法を煉ります。ご都合がよろしければ、一緒に煉功いたしましょう。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/5/16/494073.html
 
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