真・善・忍を基準にし、利益損得を基準にしない
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文/明見

 【明慧日本2023年9月26日】大法弟子が真相を伝えて法輪大法が素晴らしいと説明する時、明慧ネットの多くの文章で、自分または家族が大法を修煉してから病気が治ったり、悪習が直ったりまたは他の面で良くなった事例をよくあげて、それで大法が良いと証明し、師父と大法に感謝するという伝え方または書き方が、ずっと前から見受けられています。

 このような平易で受け入れられやすい実例をもって大法の良さを証明することは間違ってはいませんが、利害と損得を判断の基準にするのは間違っていることを、同修の皆さんに留意してほしいです。大法弟子としては、利益があったので大法が良いと思うぐらいのレベルに留まるのでは、漏れがあるのではありませんか。聞く人または明慧ネットの文章を読む人は「メリットを得た、ご利益があった」とばかり見て、そのために大法に興味を持ち、求めて来るかもしれません。その人が大法の中で欲求を満たされない場合、反面に行ったらどうしましょう。

 南宋の岳飛は国に忠誠を尽くし、一生をもって「忠」を遂げました。三国時代の劉備玄徳、関羽、張飛翼徳は義兄弟となって桃園の誓いを結び、生死を共にしました。彼らは危険な状況や利益の誘惑の前で志を変えたり、利害損得で物事の価値を評価したりせず、ひたすら「忠」、「義」を立身する信条としました。

 今の末法時代に道徳は堕落し、世間の善し悪しを測る基準は私に優しくした人、利益を与えてくれる人がつまり良い人、私に優しくしない人はつまり悪い人、となっています。善し悪しを判断する基準を利害損得で測るように変異していて、これは人類の変異した観念です。

 師父は「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]と説かれました。修煉者や家族の利害損得は善し悪しを判断する基準ではありません。「法輪大法が素晴らしい、真善忍が素晴らしい」を認めることは、衆生が新しい宇宙へ行けるかどうかの判断基準です。

 大法が伝え出されてすべての不正を正し、人類の道徳を向上させています。大法弟子も世間の人々に「真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」を伝えて、それを認識できるように導くべきで、無意識のうちに利益至上という変異した観念を助長すべきではありません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/6/457996.html)
 
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