同修の念によって結果は真逆
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年10月9日】今日、師父が法を正す過程は終わりに近づいていますが、明慧ネットが報道した各地の迫害状況は依然として深刻です。何度も迫害された同修もいれば、迫害で何年も国内で避難民となっている後でも拘束され、不法に判決を受けた同修もいます。また、迫害で障害を負い、家に戻ってから身の回りのことができない修煉者もいます。不当監禁から帰った後、短期間で亡くなった同修もいます。また、執着心が取り除かれていないために邪に悟っただけでなく、他の同修を「転化」させようとする同修もいます。同修たちは、意識的であれ無意識的であれ、旧勢力の決めた道を歩み、自分自身や自分の衆生、他の同修たちに大きな損失をもたらし、また自分自身にも大きな罪を作ってしまいました。

  不法に拘束された後、釈放された同修の多くは50代、60代、70代、80代でした。家に戻った後、彼らは悪党から経済的な迫害を受け、年金が停止されたり、公職を解任されたりし、子供の教育や自分や家族の生活すらままならなくなりました。これらを見て、私はとても悲しく、心が重くなりました。

 この問題を同修に伝え、話そうと何度も執筆しようとしましたが、さまざまな執着心や遠慮があったため、保留にしてきました。最近、師父の慈悲深い済度とご加持のもと、私は勇気を振り絞ってこの文章を書きました。勿論、私がどれだけ修煉できているかという話ではなく、同修の参考になればと思います。

 私は2007年に法を得ましたが、執着心が強すぎて悟りが悪かったため、師父にたくさんご心配をおかけしました。 そのことを思うと、とても悲しい気持ちになり、師父の慈悲深い済度に感謝いたします。

 2011年、地元の2人の同修が、大法の真相を伝えていた際に悪意の通報を受け、地元の拘置所に不法に拘束されました。十数日後、彼らは、明日、白馬壠強制労働収容所へ送られると告げられました。同修Aさんはそれを聞くと顔色を変え、ベッドに座り込みました。同修Bさんは「私は行かない! 法を犯していないし、悪いこともしていない!」

 翌朝、同修Aさんは荷物をまとめて、同修Bさんに急いで荷物をまとめるよう促しました。同修Bさんは動ぜずに座り込み、発正念をしていました。「あそこは私が行くべきところじゃない、私は行かない」と念を押しました。

 7時頃、送迎車が来て、彼らを強制労働収容所に連行しました。その結果、強制労働収容所は同修Aさんしか受け入れず、同修Bさんを受け入れませんでした。警察がどう交渉しても、収容所は同修Bさんを受け入れず、 結局、同修Bさんは車とともに無事帰還しました。 一方、同修Aさんは1年3カ月の不当な判決を受けました。

 この事例から、同修Aさんは旧勢力の按排を受け入れた、つまり、旧勢力の罠にはまり、旧勢力の手配した道を歩んだため、拘置所の警察も大法弟子に対して罪を犯すことになってしまいました。大法弟子に対する迫害は本当に大きな罪であり、どうやって補えるのでしょうか。

 旧勢力は世間の人々を操り、大法弟子を迫害することによって、世間の人々を滅ぼそうとしています。もし大法弟子たちが正念を持たず、法に則っていなければ、師父も手を出すわけにはいかず、なぜなら師父も法に基づいて弟子たちを守ることしかできないからです。師父は「学習者として、師父の要求に従って行なっていなければ、これは小さな問題ではないはずです。旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按排しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります。旧勢力は実質上、法を正す中で大法弟子が出てこられるかどうかに対して、いつも皆さんのそばにある巨大な関と難です」「1」とこのように説かれました。

 師父はまた、「私たちは旧勢力そのものが現れたこと、それらが按排した全てまで否定しており、旧勢力の存在自体を認めていないのです。私たちは根本から旧勢力の全てを否定しています。旧勢力を否定し排除する中で皆さんが行った全てこそ、威徳あるものです。それらが作った魔難の中で修煉するのではなく、それらを認めない中で自らの道を正しく歩むのであって、旧勢力そのものによってもたらされた魔難の現れを消滅することさえ認めないのです。(拍手)この角度から見れば、私たちが直面しているのは旧勢力を全般的に否定するということです」「2」とこのように説かれました。また、悪党の敏感な日や何らかの集会を開く際に、あるいは電話や訪問で嫌がらせを受けたりすると、すぐに家に閉じこもり、真相を伝える活動をしなくなり、あるいは避難のために外に隠れたりする同修もいます。一部の警察官は、連行された同修に、「法輪功が良いと思うなら、家でやればいい、外に出てチラシを配ったりするな」と言いました。師父は「どんなに大きな出来事が起きても、何もなかったかのようにし、いつもと変わらず大法弟子が行うべきことを行ってください。これは皆さん今日歩む道であり、皆さんが残した威徳なのです」[3]このように説かれました。

 大法弟子として、邪悪の話を聞いていいのでしょうか。もしそうなら、私たちは旧勢力が手配した道を歩いているのではないのでしょうか。私たちは法を正す時期の大法弟子であり、正の神々に羨ましがられる生命であり、大法が創り出した生命であり、歴史的使命を持つ生命であり、悪が訪れるのは良いことではないのでしょうか。関を与え、試練を与えたり、あるいは助けを求めるためかもしれません。普段はそのような機会がなく、自ら求めてきた場合、真相を伝え救い済度する良い機会ではありませんか。

 正法時期の大法弟子は衆生を救う歴史的使命を担っており、師父が按排された法を正す道をしっかり正しく歩み、慈悲なる師父に心配をかけず、師父の要求通りに行うしかありません

 法に則っていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の説法:『精進要旨三』「考えをはっきりせよ」
 [2] 李洪志師父の説法:『各地の説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [3] 李洪志師父の説法:『各地での説法六』「二〇〇四年ワシントンDC法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/4/466721.html)
 
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