文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年11月2日】私は2006年7月に大法の修煉を始めました。それ以前は浄土宗で修煉していましたが、穏やかではなく、皆些細なことで言い争っていたので、3年後に離れました。この3年間は非常に印象深いものでした。みんな邪霊に憑りつかれており、彼らのさまざまな言動を思い出すと、今でも鳥肌が立ちます。それ以来、正法を探し求めていました。それは2005年7月のある日のことでした。その晩、川沿いの岩に座って、「誰か助けて! 邪霊を振り切りたい! 正法に出会いたい!」と泣いていました。すると、どこからともなく、「泣かないで、早くお家に帰りなさい」と、声がしました。しかしあたりには誰もいなかったのです。
2006年7月、幸運にも大法に出会いました。修煉する初めのころはよく妨害されて、まさに師父が『轉法輪』の中で説かれたように、「特に多くの煉功者は、今日はこの功を習い、明日はあの功を習うなどしたあげく、自分の身体をすっかり乱してしまったので、上の次元をめざす修煉はもう間違いなくできなくなっています。一本の大道に沿って上をめざして修煉すべきなのに対し、その人たちは脇道ばかり歩くので、これを修煉しようとすればあちらから妨害が入り、あれを修煉しようとすればこちらから妨害が入り、あちらこちらから妨害されるというしまつで、もう修煉することができなくなってしまったのです」
自分はまさにその通りです。学法を通じて、修煉とは何かを知り、専一することの重要さを理解しました。師父はこれまで修めていたよくないものをすべて取り除いてくださり、病のない健康で軽い体を手に入れました。師父に感謝いたします。
大法を修煉したとはいえ、時々よくないものが妨害してきます。師父は『轉法輪』の中で、「しかし、一つだけ、わたしの法身が浄めてあげられない場合があります。ある学習者がある日、わたしの法身が家にやって来るのを見て、大喜びしました。先生の法身が来てくださったのだから、「どうぞお上がりください」と言いましたが、わたしの法身は「この部屋は大変乱れている。ものが多すぎる」と言い残して、帰っていきました。一般的には、他の空間の霊体が溢れているような時には、わたしの法身はそれを整理し片付けてあげます。しかし彼の部屋にはでたらめな気功読本がいっぱい散らかっていました。彼はそれが分かりましたので、それらの本を燃やしたり、売ったりして、片付けました。そうすると、その後、わたしの法身がまた来てくれたと言うのです。これは学習者がわたしに話したことです」と説かれました。
家にある「物」は必ず処分しなければなりません。処分を決めた瞬間、これらの物から音が鳴り始めました。「私は大法を修煉したので、師父の言うことに従う」と言い、発正念しました。その後、これら良くない物をて片付け燃やしたりして、きれいに消去しました。
法を正す時期の大法弟子として、「三つのこと」を行わなければなりません。同修の助けのもと、徐々に1人で真相を伝えるようになりました。何事に遭遇しても内に向けて自分を探すようにすることで心性を修めていき、コレクションの趣味もなくなりました。物質的な富は生まれながらにして持っておらず、死ぬときも何も持って行くことができません。たとえ何かをどこかに落としても執着しなくなり、もしかすると拾った人に前世で借りがあったから、拾われたのかもしれないと気楽に思えるようになりました。
残されたこの少ない時間の中で、勇猛邁進して着実に自分を修め、より多くの衆生を救っていきたいと思います。師父の慈悲なる再度に感謝いたします! 同修の多くの助けに感謝します!