怨恨心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年11月26日】ある日、『轉法輪』の「第四講」を暗唱しているとき、「このようなトラブルに遭遇した時、まず冷静な態度でいなければならず、相手と同じような対処の仕方をしてはなりません。もちろん、善意をもって説明し、事実をはっきりさせるのは構いませんが、しかし、あまりこだわりすぎてもいけません。われわれはこのような厄介なことにぶつかった時、他の人と同じように争ったり闘ったりしてはなりません。相手がやったらこちらもやるというのでは、ただの常人になってしまうではありませんか? あなたは相手と同じように争ったり闘ったりしないだけでなく、心の中で相手のことを憎んでもいけません。本当に相手のことを憎んではなりません。相手のことを憎むと、腹が立ったことになるではありませんか? それでは忍を守れなかったことになります。われわれは真・善・忍を重んじますが、そんなことをすれば善のかけらもなくなります」と師父は説かれました。

 この部分の説法は何度も読みましたが、この時、この説法を暗唱していると、多くのことが蘇りました。自分にはまだ多くの執着心、怨恨心が残っていると師父が教えてくださっているのです。

 一、同僚に対する怨恨心

 仕事では、あまり上司や同僚とトラブルを起こしたことがなく、ずっとうまくいっていました。特に修煉してからは、大法の基準で自分自身を律し、他人のことを先に考え、怨恨心など持っていないと思っていました。しかし、退職前の2年間の出来事によって、これらの良くないものに気づかされたのです。

 その年は人事調整が大きく変わったため、多くの人はコネを利用して良いポジションを内定しました。ある日、上司が、「〇〇さんがどうしてもあなたのポジションが欲しいと言っています」と言いました。私が断ると上司が困難な立場になるだろうと思い、自分のポジションをその人に譲りました。その時は、修煉者として為すべきことをしたと思い、心が軽くなりました。

 職場が変わり、幼稚園に勤めることになりました。その時、誰々が上司にあなたの性格が良いから、人気のない職場(幼稚園)にあなたを推薦したことや、その人はまたあなたに残業させるべきだと言ったなどを聞きました。当時、全く新しい職場に入り、助手は若い母親1人しかいなく、2人で30人あまりの2歳半から4歳の子どもたちを相手にしなければなりませんでした。どうしてよいのか全く分からず、さらには文句を言ってくる人もいました。

 苛立ちと悔しさが爆発した私は、自分が修煉者であることをすっかり忘れ、泣きながら上司に、職場を変えてくれるよう電話しました。以前は、定年退職まで以前のポジションに居続けさせると約束までしてくれたのに、全然守れていないのではないかと、考えれば考えるほど怒りが湧き上がってきます。

 しかし、翌日、困っている上司を見て、ふと自分は常人のようにふるまってはいけないと悟りました。

 師父は『轉法輪』の中で、「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤し遅く退勤するようになり、コツコツと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句無しに受け入れ、利益をめぐって争うこともなくなりました」という例をあげました。

 師父の説法を思い出した私は何も言わず、自分の職場に戻りました。

 それ以来、助手とうまく協力し合い、退職までそこで働きました。同僚にも保護者たちにも良い印象を与え、多くの方に法輪功迫害の実態を伝えることもできました。当時の職場移動の話は持ち出さなくなりましたが、あれこれ言っていた人のことは以前のように気にかけなくなりました。

 今悟ったのですが、やはり上司やその人に対して怨恨心を持っていたのではないでしょうか。退職後に当時のことを聞かれたとき、私は不満を抱いたまま当時のことを話しました。これでは怨恨心丸出しではないでしょうか。

 学法を通じて、心性を向上させ、縁のある衆生を救わなければならないことを悟りました。以前の自分は学法しても身に入らず、実修していなかったのです。

 二、夫に対する怨恨心

 長い間、夫に対する怨恨心はなかなか取り除けておらず、トラブルに遭うとついつい我慢できなくなります。

 私のやることに関して、夫はいつも不満でした。買ってきたものは気に入らないし、料理はまずいと言うし、会話がないと機嫌が悪いし、何かが見つからないと私に怒鳴ってくるなど、近年、特に目立ってくるようになり、もはや普通に会話ができなくなりました。夫が怒鳴ると私はそれよりも大きな声で怒鳴り返していました。自分は間違っていると認識していますが、ついつい夫の過ちを持ち出して自分を納得させていました。

 内に向けて自分を探していますが、トラブルが来るとやはり我慢できません。

 半月ほど前のある日、晩ご飯の後、再び夫と喧嘩しました。以前よりあまり言い返さなくなりましたが、心はすっきりしていません。

 その晩、夢の中で恐ろしい光景を見ました。周囲に隔たりのないベランダに立ち、ベランダの幅はわずかしかなく、少しでも気を緩めると落ちてしまいます。ベランダの下は底の見えない暗闇です。この時、左側に知り合いが現れ、私と会話していると、悲鳴を上げながら落ちてしまいました。少し頭を出して下を見ましたが、その人の姿はどこにもなく真っ暗闇でした。彼女はもうこの世にいないと頭のどこかで分かっていたのです。細心の注意を払いながら右側へとゆっくり進んでいきますが、途中から真下へと滑り落ちていきました。光景ががらりと変わり、向かい側では、土砂崩れが発生しており、私は1分1秒を争うかのように猛スピードでダッシュし、ようやく難を逃れました。

 夢から覚め、長い間執着心を取り除いていないために、自分の世界の衆生が犠牲になり、私も落ちていったのだと師父が教えてくださいました。この怨恨心は短期間で形成されたのではなく、長い間に積み重なってきたものです。

 私は心の中で夫に何度も謝罪しました。長年、夫と言い争ってばかりいるので、修煉の道に入るはずの夫はなかなか入って来られませんでした。

 夫と大法の縁は非常に深いものです。五式の功法はすべてできるし、たまに朝煉功したり、とぎれとぎれではありますが、師父の説法テープを聞いたりもします。しかし、私と良く接触している同修が連行されてからやめてしまいました。夫に対する責任を果たしていないのだと悟りました。

 時々、また夫に言い返したくなりますが、「もういい」と言って、口を閉じました。自分をコントロールできれば、怨恨心も消え失せるのです。

 大法と師父のおかげで心にひっかかっていた怨恨心を取り除くことができました。今では、夫に何を言われても動揺しなくなり、笑顔で会話もできるようになりました。

 三、結論

 時に執着を取り除くことは非常に苦しいと感じます。しかし、それを握りしめて手放さないから邪悪に隙を突かれ、体にも病のような症状が現れるのです。この交流原稿を書いている途中から体が軽くなってきて、師父は多くの良くないものを取り除いてくださっているのだと悟りました。第五功法を煉っているとき、頑張って何とか1時間続けられましたが、その晩、20分多く座禅し、心が非常に静かでした。翌朝起きてみると、浮腫んでいた足がすっきりしていたのです。

 まさに同修が言ったように、怨恨心をもっている人は、外に向けて探しているだけでなく、邪悪な要素に支配されて自分の心を傷つけ、なかなか理性的になれないのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/20/468371.html)
 
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