文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月13日】およそ半月前のある朝、目が覚めると、夢の中のある場面がはっきりと現れ、今でも覚えています。私は棚から何冊かの雑誌を出すと、一番上の雑誌の表紙にはピンク色の蛇のようなキャラクターが印刷されていました。私はそれをまるで見ていないかのように無視し、そのまま雑誌をめくっていました。
修煉者であれば皆、「蛇」はよくない生命であることを知っています。『共産主義の最終目的』という書籍には、こう書かれています──この幽霊(共産主義のこと)は、別の空間において「恨み」と下層宇宙の敗れた物質によって構成された存在であり、本来は一匹の蛇でした。それが表層の空間に現れると「赤い龍」という形になります。
そんな邪悪で醜いものを夢に見たにもかかわらず、私は強い嫌悪感や拒否反応を示していませんでした。それはおそらく、その蛇が子供向けのアニメーション風の姿に変えられ、美しい服をまとっていたからだと思います。外見の華やかさがその本質的な醜さを覆い隠し、私の目を欺いたのです。そのため、私は美と醜、善と悪を見分ける判断力を一時的に失ってしまったのです。
「目」と言えば、ある出来事を思い出します。2023年11月のある日の午後、私はオフィスに入って手を洗いました。すると突然、左手の親指に黒いカーボンペンで描かれた「目」が、はっきりと指の腹に現れているのを発見したのです。手を洗っても落ちませんでした。
とても驚きました。というのも、オフィスに入る前にはカーボンペンなど一切使っていなかったからです。その時、私はすぐに「これは師父が私に目について気づかせようとしてくださったのだ」と悟りました。「目に問題が出ている、気をつけなさい!」というご慈悲なる啓示だったのです。
私は、自分が修煉者としての基準に厳しく従っていなかったことを、心の中でははっきりと分かっていました。空いた時間には、よくスマートフォンでニュースや常人向けのショート動画を見ていました。
さらに深刻だったのは、2022年にコロナの影響で長期間自宅に閉じ込められた際のことです。あるとき、スマートフォンのライブ配信を通して買い物をしたとき、私にとっては「安くて良い服」が手に入りました。それをきっかけに、私はその配信チャンネルを頻繁に覗いたり、買い物を楽しんだりするようになってしまいました。それによって、師父が莫大なご苦労で与えてくださった、極めて貴重な修煉の時間を浪費してしまったのです。
師父は、携帯電話やパソコンを使うことの危険性について、これまで何度も説いてくださっています。例えば『2016年ニューヨーク法会での説法』の中で、ある弟子が若い大法弟子がウィーチャットや動画を見ることについて質問した際、師父は次のように答えられました。「先ほど話しましたが、この世界のあらゆるものはあなたを引きつけており、法が得られないようにしています。皆さんだけではなく、この世界の全ての親、政府がこの状況を分かっていますが、どうすることもできません! 法を得ることに影響しているだけでなく、人々はこれが原因で仕事も勉強もおろそかにしており、大量の時間をコンピュータやゲームに費やし、それに没頭するよう誘惑されているのです。すでに人間の状態ではありません。古から現在までこの状態はなかったのです。これは宇宙人の技術で、魔はそれを利用して、あなたを誘惑しています。あなたが全て放棄して、それに夢中になるように仕向けられています。生命を無駄にしているのに、まだ未練があってやめようとしません! 人を為す角度から見ても、あなたはすでにおかしくなっているのに、修煉しているならなおさらです」
私はかなり前から、携帯電話に夢中になるべきではないと分かっていました。それでも今日に至るまで、時には改善しながらも、完全にこの問題を断ち切ることはできず、私の携帯電話には、購入した当初からショート動画アプリをインストールしていませんでした。ある時期にはウィーチャットもアンインストールしていたのですが、仕事の都合で再びインストールせざるを得なくなりました。振り返ってみると、やはりこれは私が仕事の中で、修煉にふさわしい環境をしっかりと築けていなかったからだと思います。正念が足りず、外在の環境に左右されてしまったのです。
長い間、私は携帯電話での買い物を避けてきました。しかし、ライブ配信を見始めてからは、歯止めが利かなくなってしまいました。この2年間、何度も心を奮い立たせて断ち切ろうとしました。けれども、夢の中に出てきた着飾った蛇のように、携帯電話の中の「魔」は、姿を変えて美しく見せかけ、私を引きつけ、見るべきでないものを見させようとするのです。
2カ月ほど前、私は「この1年間、家族全員で衣服を一切買わない」と心に誓いました。その決意のおかげで、心の中がだいぶ落ち着いてきたように感じます。しかしそれでも、食事の前後や仕事の合間につい携帯電話を手に取ってしまい、ほんの少しだけ…と覗いてしまうのです。執着はまだ完全には取り除いていなかったのです。
先月初めのある金曜日の夕食時、夫が私の左目の白目部分に、小さな赤い出血斑があるのに気付きました。翌日、鏡で自分の目を確認したところ、その出血斑はさらに色が濃くなり、内眼角全体に広がっていました。この状態は3〜4日ほど続き、その後少しずつ赤みが引いていきました。そして、およそ20日後には完全に消え、目は元の正常な状態に戻りました。
このような現象が現れるのは、自分が携帯電話への執着を完全に取り除いていないからだと分かっています。ただ服を買わないことで無理に携帯電話を見るのを抑えていただけで、その背後に隠れている執着心を探し出し、心性から自分を高めることはしていませんでした。
私は安逸心や怠惰な心が強く、何かをしたり家事で疲れたりすると、携帯電話を手に取ってニュースを見たりライブ配信を見たりするのが好きでした。そうすると、興味のある内容に引き込まれて、ついずっと見続けてしまいます。
実際のところ、携帯電話を見るのはタバコを吸うのと同じで、疲れを取ることはできません。それに、目があちこちの雑多な情報を見れば、それが頭の中に入り込んできて、法を学ぶことや正しい事を行うことの妨げになります。
また、私は利益への執着もあります。ネットショッピングの方が実際の店舗よりコスパが良くて便利だと思ってしまうのです。このような考えは「私利私欲」の心から来ているものです。実際の店舗や市場は大法弟子にとって真相を伝え人々を救う大切な場所です。ネットで買い物をすることは、世人と接触する機会を減らしてしまい、真相を伝え衆生を救うことの妨げとなってしまいます。
服を買うことの背後には、欲望や見せびらかしの心が隠れています。自分の外見を過度に重視することも、虚栄心の一種の表れです。服は自分の年齢や立場に合ったもので、上品で体裁よく着ることが大切です。精緻さを追い求めたり、たくさん服を買う必要はありません。それは時間とお金の浪費になりますし、すべての物には生命があり、服も法に従う生命です。無闇に捨ててしまうのは、修煉者の慈悲心が欠けていることを意味します。これらの執着を正念で取り除くことによって、携帯電話への執着から解放され、修煉者としての精進の状態に戻ることができます。
最近のある夜、また夢を見ました。夢の中で、病床に伏している父が布団をかぶっていると、突然天井から水が滴り落ちてきて、布団が濡れてしまいました。私は目を覚ましました。そして、私はその夢を思い返しました。布団が濡れたことは「被湿」という言葉の発音で、詩を暗記することも「背詩」と発音し、両方の発音がよく似ていることに気付きました。ああ、これは師父が私にこの夢を通して教えてくださったのだと思いました。隙間時間にもうスマホを見てはならず、代わりに『洪吟』を暗唱し、隙間時間を使ってもっと『洪吟』を暗記し、頭の中に法をいっぱい詰め込めば、魔性を早く取り除き、正念を強化することができると思いました。
慈悲なる師父の何度ものご啓示と巧妙なご配慮に、弟子は深く感謝しています。師父がいつも身近にいらっしゃるように感じます。弟子は必ず魔難を早急に乗り越え、時間を大切に精進して実修し、法を正す進展に遅れずについていきます。
最近の悟りであり、不足があれば、同修の皆さん、慈悲をもって指摘してください。