文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2025年4月20日】携帯電話を使って真相を伝えることに関する交流文章を読んで、個人的な意見ですが、携帯電話を使った真相伝えの取り組みは、今まさに行き詰まりの段階に差し掛かっていると感じています。
中国では様々な制約があるため、多くの人が通常の真相伝えの方法の一つの手段として携帯電話を使っています。当初は、「外に出て活動できていない同修を手助けする」という理由がありました。しかしその過程で、実際には強い依存心と惰性が生まれてしまったように思います。この方法そのものが、同修にとり、自らの執着を打ち破り「歩み出す」心を育むものではなく、むしろ「保護」のようなものとなっています。行動はしているようですが、苦労もせず、努力もせず、知恵を働かせることもなく、「歩み出す」必要がなくなってしまっているのです。
確かにこの方法は、中国では一定の効果を上げた時期もありました。それを見て、海外の同修の間でも積極的に取り組むようになったようです。私が聞いた話では、ある電話プロジェクトでは、毎年かなりの資金が投入されています。その額は驚くほど大きいものです。(もっとも、現在は中国共産党の封鎖により、多くのプロジェクトが継続困難な状況です)
また、SMS(ショートメッセージ)を使ったプロジェクトも、かなりの資金を要しています。私たちは過去にその関係者と連絡を取り、資金の使い道や衆生を救う効果について意見を交わしたことがあります。しかし見えてきたのは、成果は乏しい一方で、費用ばかりがかさんでいるという実情でした。それでも、関係者は、自分たちのやり方を強く主張し、「たとえ一人でも救えればやるべきだ」と言います。資金が自己負担やごく少数の支援者によるものであるため、周囲もなかなか口出しができない状況のようです。
具体的な方法についても、たとえばBluetoothを使って見知らぬ人のスマートフォンに情報を送り込むなどのやり方がありますが、こうした行為は実際にはあまり好ましくありません。受け取った側は非常に不快に感じることもあります。ある常人は、「観光地に行ったら、追いかけられるようにしてビラを渡され、気がつけば買い物袋の中にいつの間にか大量のチラシが入っていた」と話していました。その人は「次に真相を話している人を見たら、避けて通るようにする」とまで言っていました。
こうした「すき間を突く」ような方法は、動機は善意であっても、多くの場合、自分の立場から「真相を広めたい」という思いが先行しており、常人の受け入れやすさや気持ちを思いやる視点が欠けがちなのです。受け取った側はどのような感情を抱くのか? それが心理的にどんな影響を及ぼすのか? こういった行為が長く続けば、社会全体の法輪功に対する認識にも負のイメージが付きまとい、結果として真相を伝えること自体がますます困難になってしまいます。
さらに、真相を伝える内容についても、表現の適切さが保たれていないことが多く見受けられます。電話の内容やSMS、MMS(マルチメディアメッセージ)の内容には、良いものもありますが、あまり適切でないものも多いのが現状です。人によって認識の差が大きく、中には非常に過激で高度な内容を伝える人もいます。指摘されても議論になって終わり、建設的な結論に至らないことも多いようです。
総じて言えば、この取り組みには良い面も悪い面もあり、続けること自体が次第に難しくなってきています。多くの人は「これは中国共産党が恐れているから圧力をかけているのだ」と考えていますが、必ずしもすべてがそうではありません。参加している同修こそが、修煉の立場からもっと深く悟り、よく考え、自らを省みる必要があります。一方的に進めるのではなく、実際の効果を重視し、「修」は常にその中にあるということを忘れてはなりません。