【明慧日本2023年12月28日】山西省侯馬市(こうばし)の法輪功学習者・袁金明さん(59歳男性)は、当局に過去2回、合わせて懲役8年の不当判決を言い渡された。最近、曲沃県(きょくよくけん)裁判所は家族に通知せずに秘密裏に裁判を行った。今、袁さんの家族は裁判の詳細についてはまだ何も知っていない。法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。
2023年5月6日、袁さんは曲沃県で法輪功迫害に関する情報資料を配布している様子が監視カメラに記録されたため、曲沃県公安局の警官らは袁さんを曲沃県拘置所に連行し、数時間後に自宅を家宅捜索した。警察は後に曲沃県検察庁に袁さんの案件を提出した。
曲沃県裁判所は最近、家族に知られることなく袁さんを裁判にかけた。袁さんの弁護士は、袁さんの家族にそのことを話さないことを条件に、裁判の傍聴を許可されたという。
過去の迫害
1999年3月に法輪功を始める前、袁さんは地元住民の間で、気性が荒く容赦がなく、家族に対して無関心で人生を理解していない人だと知られていた。袁さんはよく友達を集めて、全員が酔っ払うまで飲んでいた。袁さんは法輪功を実践してから、悪い習慣をやめ、好青年になった。1999年7月に迫害が始まり、長年にわたって残忍な迫害に耐えた後も、袁さんは信念を堅持した。
2000年2月のある日、3人の警官が袁さんを連行し、公安局で一晩中尋問した。袁さんは翌朝午前5時、3階の窓から飛び降りて逃走した。袁さんは身を隠し約8カ月後に帰宅した。警官は袁さんを連行したが、すぐに1,000元の保釈金で釈放した。
2002年9月30日、私服警官数人が袁さんを、地元の留置場に連行した。袁さんは断食で抗議を行い、6日目に看守は5人の受刑者に、袁さんに強制的に冷水をかけるように指示した。その後、袁さんは不当に懲役3年の判決を受け、2003年11月27日に山西省祁県(きけん)の晋中刑務所に移送された。
袁さんは当初、刑務所の厳格な管理チームに拘禁されていた。袁さんはチームリーダーに、睡眠中裸になることを強制された。袁さんに与えられていたのは非常に薄い毛布だけだった。袁さんは寒さに震えて眠れなかった。袁さんは日中長時間立つことを余儀なくされた。袁さんの足はすぐに腫れ上がり、曲げるのが困難になった。その後腫れは引いたが、筋肉は萎縮していた。厳格な管理チームに提供された食事は極度に粗末なもので、袁さんは栄養失調で衰弱した。
袁さんは厳格な管理チームによる4カ月以上の拷問の後、もはや歩くことができなくなった。袁さんが用を足さなければならないとき、看守は2人の受刑者に袁さんをトイレに引きずり込むように命じた。2004年3月頃、袁さんの状態を考慮して、看守は最終的に袁さんを厳格な管理チームから外した。
2004年4月、袁さんはチーム6に配属された。チーム6の指導員は、受刑者らに対し、袁さんを含む4人の学習者たちを殴るよう指示した。受刑者らは、2005年3月29日の釈放直前にも、袁さんを再び殴打した。
200年7月26日、侯馬市公安局の警官らが袁さんの自宅に侵入し、料理中の袁さんを連行した。全員私服で、警察手帳や捜索令状は提示していなかった。
翌日、袁さんの妻と16歳の息子は警察に出向き、事件の状況を尋ねた。警官は机に手を叩きつけ、少年に向かって「これ以上父親のことを聞き続けるなら、おまえも逮捕するぞ!」と怒鳴った。
その後、検察庁は袁さんに対して正式な逮捕状を発行し、その写しを妻に届けた。袁さんの妻は、夫が「法律実施を破壊した」という容疑で告発されていると指摘したが、袁さんの妻はそのような告発の法的根拠について尋ねるために検察庁に行った。受付係は、すべての法輪功事件でそのような告発を行うよう上層部が命令したと答えた。
検察は袁さんを起訴し、後に懲役5年の不当判決を受けた。袁さんは同じく晋中刑務所に拘禁されていた。2012年7月25日に袁さんは釈放されたが、袁さんの足に障害があった。