文/東北の大法弟子
【明慧日本2024年2月6日】私は38歳の時の1998年の春のことでした。その日、誰かが家のドアをノックし、ドアを開けると、目の前の人を見るとびっくりしました。尿毒症に苦しんで、病院から治療をあきらめるようと言われ、私に死後のことを託された一番上の妹が立っていました。2カ月ぶりに見た妹は顔色がよく、元気な姿で私の前に現れ、本当に信じられなかったのですが、急いで妹を家の中に入れました。
私がどういうことかと聞く前に、妹は「私、回復した。死ぬことはない」と言いました! 私はその理由を知りたくて、「どうやって治ったの? どうしてそんなに早く治ったの?」と聞くと、妹は、「法輪功を修煉してよくなったのよ。法輪功は佛家大法で、病気治療と健康保持に奇跡的な効果があるの。姉さんも健康状態が悪いから、やってみたらどう?」と言われました。私はすぐに同意しました。
そして妹は私に、「姉さんの家にある気功の本や占いの本は全部燃やしなさい。人に害を与えるから」と言いました。私は従順な子供のように、それらの本をすべて見つけて燃やしました。それから、妹が私を連れて、書店へ行き、大法の本を買いました。当時、大法の本は非常に不足していましたが、驚いたことに、当時出版された大法の本が6冊と、師父が広州での説法の録音テープが1セットだけありました。まるで私のために特別に用意されたようで、私は全部買いました。私たちはとても嬉しく、「姉さんが大法と縁があるね」と妹が言いました。
本を買って家に帰った後、妹は私に煉功の動作を教えながら、繰り返し私に「大法の本を読む前に必ず手を洗って。師父と大法を尊重しなければならないので、大法の本を高いところに置いて、本の上には他の物を置いてはいけない。学法をし続けるのは重要で、中断してはいけない。『轉法輪』を連続読んで、3回以上読んだ方が良い」と言いました。妹が帰った後、私は興奮して何度も心の中で「私は師父がいらっしゃった!」叫びました。
しかし、私は大法の本を読むと、数ページを読んでいないうち、眠くて寝てしまいました。数時間寝ましたが、目が覚めると、全身が快適になりとても気持ち良かったのです。私は枕元に置いてある赤い布に包まれた斧を取り出し、投げ捨てました。以前、そのものが睡眠に役立つと思ったからです。というのは、この前の睡眠障害で、私は毎晩眠れず、点滴を打っても効かなかったのです。さらにその頃、私の両腕が、水一杯の洗面器も運べないほど痛くて弱く、両肩も毎日重い荷物を背負っているようで、着ている服さえも重く感じていました。不整脈もあり、時々後ろに誰かがいるのがわかっいても、その人が突然咳き込むと、怖くて涙が出ました。家族には理解されず、「そんなに怖がるほど悪いことでもしたのか?」と言われました。実は、このような涙が出るのも心臓病の症状の一種なのです。
特に毎朝、胸部の痛みがひどくて、とても耐え難いものでした。寒がりやの私は、手と足が常に冷たくだけでなく、風にも弱くて、特に窓の隙から入った風に吹かれると、体全体が痛むのでした。家族は私がとても辛いと見て、朝にジョギングすることを勧められました。私は運動するどころか、少し長い時間を歩くと、腰の内側に鉄板のようなものを挿入されたようで、とても痛かったのです。時には痛みが突然襲われることがあります。例えば、ある時突然、小指から痛み出し、徐々に痛みが体の左側から右側へ、体の一周をしました。
私は毎日とても機嫌が悪くて、「ああ、しんどいな」と朝一番に出た言葉でした。毎日に言っていた言葉だから、夫はこれを聞くのにうんざりして、「しんどくない日、教えてくれる?」と言いました。それを聞いて、私はさらに気分が悪くなり、「生きていることが本当に無意味だ」と思いました。
しかし、私は病院に行って総合的な健康診断を受けましたが、何の病気も見つからず、医者から「亜健康」(Sub-health、健康と病気との中間状態を指す)だと言われました。仕方がなく、私は厄払いのところへ行き、やってもらいましたが、大金を費やしても効きませんでした。結局、厄払いの人から、「赤い布で包んだ新しい斧を枕元に置くように」と言われました。良くなるところか、かえってますます体が重く感じました。しかし、大法の本を数ページ読んだだけで眠れるようになりました! 本当に嬉しかったのです。
私は病気を治すために功法を煉り始めました。体が弱かったので、煉功すると、特に第2式の「法輪樁法」ではとても疲れましたが、病院で不治の病と診断された妹が生き返り、健康に生活できるようになったのを見て、それを信じて頑張って煉りました。それで、毎日、学法と煉功をし、『轉法輪』を勉強する中で、「人がなぜ病気になるのか、病気になるのは、その人が世々生々で何か悪いことをしたからだ。つまり業力だからだ。人は悪いことをしたら、それを還さなければならないのだ」とわかって、どんなに疲れていても、私は煉功を堅持し続けました。
同時に、私は『轉法輪』の要求に従い、真・善・忍の基準で自分を律し、道徳を向上させ、善良な人よりも優れた人になるよう努力しました。いくら嫌なことがあっても気にしないようにしました。そして、年金の給料カードを使ってよいと病気の義母に渡しました。勤め先から配れたものなどもすべて義母に渡していました。
数カ月後のある日、ふと気がつくと、私は食べたり寝たりできるだけでなく、肌が二十歳になる前と同じように、白く柔らかく、赤みもある状態に戻っていました。『轉法輪』で師父が「肌のきめが細かくなり、色も白くなり赤みがさしてきます。年配者は、皺が減り、ほとんど消えてしまう人もいます。これはよく見られる現象です」と説かれた現象です。私は体が軽くて痛みもなく、病気がない体を味わえることができました。とても嬉しくて、大法の本を読むのがもっと好きになりました。
ある日の夜、23時頃、『轉法輪』を集中して勉強していたとき、突然、本の各ページの割れ目の間に、輝く金色の光が無数に重なり、とても美しく放射されているのが見えました。当時、私は唖然とし、目がかすんでいるのかなと思い、目を凝らしてよく見ようとしましたが、何も見えなかったのです。それから本を読み続け、読んでいるうちに、また、あの壮大な光景が再び目の前に現れました。私は、確実に壮大な光景が目の前に現れたことに驚き、とても興奮しました。
その夜、私は感動で眠れなくなり、「どうしてこんなに夜が長いのだろう。早く夜が明けて、そのことを妹(同修)に話したい。その素晴らしいことを妹と分かち合いたい」と思いました。
伝統的な妻と母になる
法輪大法の修煉で私は心身共に元気になり、楽しく家事をやることができました。空を見上げると、青空がとてもきれいで、5月に咲く杏の花がとても美しく感じました。師父の教えの「もちろん、われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」(『轉法輪』)と、いつも心に留めています。
ですから、家族が収入のない状況下で、私は年金給与カードを病気の義母に渡しました。夫は長年休職していたため、安定した収入はなかったのですが、義父母の誕生日や祝日など、私は必ず新しい服や食べ物を贈っていました。特にその後、義母が病気治療でほかの地方の病院に入院した際には、義母に一度に6万元を渡しました。義母は私たちが数十万元も住宅ローンがあることを知っていたので、とても感激しました。義父はいつも、「うちの娘が一番いい子だ」とよく言っていました。実際、義父には息子が2人いるだけで、娘はいないのです。
家では、夫が一家の全財産を管理し、お金の使い道を決め主になっています。ですから、友人らは夫に「法輪功の嫁はいいなあ、お金に無頓着だから。お金を好きなように使える」と言って、羨ましがっていました。ある年のお正月前に、夫が千元以上のカシミヤのセーターを買ってくれたことがありました。その値段を見て、私はそのセーターを持って返品しました。まだ住宅ローンがあるので、節約しなければと思ったからです。夫は友人たちの前でよく私を褒めるのです。夫は一度、私の良くないところを探そうとし、長い時間をかけて探したけれど見つからなかったと話してくれました。
私の家庭での行動も子供に大きな影響を与えるので、子供も着る服はとてもシンプルで、決してブランド物を着たいと言いませんし、食事にもうるさくなく、作ったものなら何でも食べます。私は大法で学んだ法理で子供を教育し、年長者や先生を敬い、クラスメートと友好的に接し、何か不満なことがあったら、自分がどこがいけなかったのかを考え、次からはきちんとできるようにと教えました。そのため、子供はとても礼儀正しく、子供の頃から年長者に口答えしたり、他の子供と喧嘩したりしたことがありません。
周りの人から見れば、私は良い嫁、良い妻であるだけでなく、良い母親でもあります。 私がやっていることは日常生活の中の小さなことに過ぎませんが、道徳が低下している今日、法輪大法を修煉しなければ、そのまではできないことです。大法が私を変え、私の道徳を向上させ、他人のことを考える善良な人間になれるようにしてくれたのです。
法が人間界を正す幕を開きはじめました。私は師父と共に人々を救う時間が残り少なくなっていることを知っています。私はより精進し、師父のご加持のもと、より多くの人々を救い、衆生の手を握って一緒に帰るべきところへ帰りたいのです!
師父の慈悲深い救い済度に感謝いたします!