【明慧日本2024年2月20日】(前文に続く)
四、法を暗唱する中で執着を取り除く
地元の拘置所で、私と5、6人の連行された同修は同じ部屋にいました。環境は緩やかで、部屋の中のほぼ半分が法輪大法の弟子でした。他の受刑者も皆法輪大法を知っており、三退もしていました。皆仲良く過ごし、警察も私たちに対してあまり厳しくなく、私たちは毎日一緒に法を学びました。
私たちは毎日午後5時から法を暗記し始め、私が多く暗記したら、他の人にも教えました。主に「洪吟」、 「洪吟二」、 「洪吟三」、また「論語」、「轉法輪(主意識を強くもつべし)」、 「精進要旨」(真修)」などです。同修たちは真剣に覚え、徐々に全員が覚えるようになりました。正時になると、我々は正念を発しました。
テレビは朝から晩までずっと流れていましたが、私はテレビに影響されず、ほとんど見ませんでした。拘置所での日直の当番以外、私は法を暗記し、正念を発し、静功を煉りました。内に向けて探し、人心を取り除くために努力しました。嫉妬心、憎しみの心、名誉を求める心、争いごとの心、欲望の心、他人を見下す心、有罪判決を言い渡されることを恐れる心、重刑を受けるのではないかと恐れる心... たくさんの執着心がありました。私は長い時間をかけてこれらのよくない執着心を取り除きました。
ある同修は、「自分は師父にお願いして執着心を取り除いた」と言いました。彼女は心の中で、「それは私ではありません。それは邪悪の要素で、私はそれは要らない、消滅して破壊してください。師父、弟子を助けてそれらを取り除いてください」と師父に助けを求めたそうです。そして私は、何度か色魔に悩まされた時、色欲の心を取り除こうとする思いを強くしました。ある時夢の中で手が伸びて来るのを感じて、私はすぐに「色魔を解体する!」と言いました。そうすると邪悪は瞬時に消えました。
私は、家ではすぐに腹を立ててしまい、それは魔性だと知っていましたが、なかなか抑えることができませんでした。拘置所では時折心が乱れた時、それが魔性であると認識し、その物質を取り除こうと思い続けました。そうしたら7カ月間、一度も腹を立てることはありませんでした。同修が私に腹を立てても、私は気にせず、むしろ内に向けて探しました。
子供たちに対する情もますます薄れていきました。師父は法で、人それぞれの宿命があると既に明確に説かれており、夢の中で師父は、「子供たちは健康であり、連行された家族も元気で、安心してください」と教えてくださいました。
絶えず法を暗記する中で、皆の正念がますます強まりました。私たちは迫害を断固として認めず、法輪大法の弟子は師父のもとに帰属し、他のどの生命にも従わないことを決意しました。
連行された同修の中には、以前私が嫌悪感を抱いていたり、嫉妬していた人たちもいました。しかし、これらの不浄な心は全て取り除かれ、私たちは一緒に法を暗記し、内に向けて探し、正念を持って行動しました。同修とは神聖な法縁であり、聖なる縁です。お互いを大切にし、支え合い、共に精進し、師父から与えられた人を救う使命を果たし、共に天国の家に帰ることを目指しました。
五、正念を持って拘置所を出る
他の修煉者が弁護士に会いに行くのを見て、私も弁護士に頼みたいと思いました。最初から私は弁護士に頼むべきだと考えていました。「普通の犯罪者は、弁護士に頼めるのに、私たち大法弟子が迫害されるとなぜ弁護士に頼めないのか?」と思いました。当時は迫害を制止するために弁護士に頼みたいと思うばかりで、公安局や検察庁の人を救うことを考える余裕はありませんでした。
すでに弁護士に頼んでいる同修は、私にお金を貸してくれ、彼女の弁護士に会いたいという申し出もしてくれましたが、弁護士はなかなか来ませんでした。徐々に私は弁護士に頼ることを諦めました。約4カ月後、私ははっきりとした夢を見ました。拘置所の外にある木は、全て緑になり、地面には一面にアサガオの花が咲いていて、花の色は私の大好きな紫色でした。夢の中で私は疑問に思いました。「冬なのに、なぜ木が緑になるのだろうか?」
朝、私は周りの同修たちに夢の話をしましたが、彼らもその意味が分かりませんでした。午後4時すぎになり、突然、警察官が私の名前を呼びました。そして、「○○、早く、法廷に行くぞ、君の子供が君の弁護をするらしいぞ!」と言いました。私は手を横に振って言いました。「いいえ、結構です! 私は自分で弁護します!」。彼は私に委任状を3通渡し、署名して、同様に書き写すよう言いました。
見ると、その中には私の子供の名前ではなく、人権弁護士の○○○と書かれていました。彼は友人として私のために弁護するとのことでした。同修は言いました。「見て、外の同修が素晴らしいことをやっている!」
私は同修に感謝し、夢の中の緑の木とアサガオの花が何を意味するかが分かりました。緑色は希望、アサガオの花は情報です。私は常に外の同修や家族に見捨てられた気持ちがありましたが、今や外の情報が手に入り、それは私にとって大きな励みでした!
他の同修の訴状はすでに届いていますが、私のはまだでした。私は、これは師父が私に与えた修煉の時間だと考えました。時折不安になり、「いつ家に帰れるのか?」と同修に尋ねると、同修は言いました。「修煉がよくできていると帰れるよ」
同修の弁護士が会いに来て、同修に保釈の手続きをすると言いました。しかし、私の弁護士は友人としての立場を取っていて、彼が私に会えない理由があると考えました。同修は私を励まし、彼に会うための申込票を記入するように勧めました。私は申込書を記入し、警察官に提出しました。
3日目の昼、私は眠らずに正念を発しました。私は「保釈」を認めず、無条件で釈放することを求めました。午後、拘置所の人々が散歩している最中、警察官が突然、部屋の外で私の名前を呼びました。「○○○、荷物をまとめて、釈放だ!」皆は冗談を言っていると思いましたが、誰かが再確認し、警察官がもう一度言いました。
この時一人の同修が、すぐに自分の上着を脱いで私にくれました。また別の同修が自分のお金がどこにあるか教えてくれ、もう一人の同修は彼女の家族に連絡してほしいと頼んで来ました。離れた場所にいた仲間は、私に会いに来ようとしましたが間に合いませんでした。私はマスクの内側に入れていた同修の家族の電話番号が書かれた紙片を取り出し、握りしめました。私はそこにいる全員に向かって大声で言いました。「あなたたちは『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と覚えておいてください!」
私は拘置所から出て、警察官にも言いました。「法輪大法は素晴らしいと覚えてください」私が不当な取り調べを受けるたびに、連れ出してくれる警察官に「法輪大法は素晴らしい」と伝えるようにしていました。彼らの多くは親切な人で、静かに聞いてくれる人もいれば、自分たちも私たちを理解していると言う人もいました。
当直室では、名前を伝えるとすぐに拘置所の大門に向かいました。初春の午後、陽光が暖かくて、拘置所の大門の外で、私に対して私服の2人の女性検察官が言いました。「起訴しない、無条件で釈放する」不起訴状のコピーを渡され、小さな紙片も渡され、それが私を釈放する証明書でした。
私は注意深く確認すると、彼女たちは急いで言いました。「何もない、ただの受領書です」私は名前を書いてサインしました。そのうちの一人が優しく尋ねました。「外でまた修煉を続けますか?」私は穏やかに言いました。「答えたくありません」、すると彼女は「それでいいわ」と言いました。
釈放は突然のことでしたので、拘置所から急に家族に通知が届き、私は警備室で家族が迎えに来るのを待ちました。約30分後、家族が迎えに来てくれて、家に帰ることができました。
師父の慈悲と、国内外の同修や人権活動家、そして家族の助けで、私は堂々と拘置所を出ることができました。
(完)