難儀の中で私が悟ったこと
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文/中国の大法弟子 出塵

 【明慧日本2024年2月25日】ある日、仕事中に警備部から電話がかかってきました。それは、省政法委の要請で省政府の指導担当が地元警備部の部署に来るので、私に授業を受けるようにと言うものでした。私の最初の反応は、「20年以上も修煉しているのに、どうしてこのような艱難に遭遇するのだろうか」と思いました。心の中で不安と違和感があり疑問が渦巻いていましたが事態を速やかに解明することができませんでした。考え続けても、すぐには答えが見つからなかったので、仕方なく警備部に「わかりました」と答えました。

 その授業の教室 は、党建設課の事務室に設けられ、50代くらいの女性2人が来ていました。最初の2、3日は何気なくおしゃべりをし、私の状況についていくつか質問しました。3日目から、この2人は1999年以降の法輪功を中傷するビデオを流し始めました。私は、ビデオの捏造を一つ一つ説明し、分析しました。彼女たちは熱心に耳を傾けましたが、2人は変わることはなく、執拗に私を転向させようとしました。このいわゆる授業は、本質的には中国共産悪党が仕組んだ洗脳クラスだったのです。

 4日目になっても私に変化がないのを見て、2人は私を脅し、別の場所に移動させて学習させると言いました。その時、私の心は動じなかったのですが、家に帰ると「どうしよう」と不安になり、心の中では恐れていました。 

 その夜、同修と交流しました。同修が「彼女ら2人の身分証とスタッフ証は、見ましたか?」と聞きました。私は「いいえ」と答えました。同修は、「もし2人がそれを見せないなら、通報すればいいのです 」と言いました。この一言で、私は迫害を否定する必要があると目を覚ましました。「生死はさておき、洗脳クラスを解体せよ。彼女たち2人に犯罪を続けさせてはいけない」と私は覚悟を決めました。

 翌日、2人が教室に入って席に着くと、私は彼女たちにスタッフ証と身分証明書を見せるよう丁寧にお願いすると、そのうちの1人がとても驚いて、何のために必要なのかと聞いてきました。私は、「あなたちの行動は違法なので私は通報します。まず、授業が始まってから今日まで、あなたたちはスタッフ証も身分証も見せてくれていません。あちらから来たと言っただけで、いったいあなたの身元は何なのですか? これは国民の知る権利ですが、あなたたちは隠しています。これは違法の一つです。第二に、あなたが言ったこと、私に示した内容は、事実を完全に歪曲しており、明らかに憲法と法律に違反しています。中華人民共和国憲法第41条第1項によれば、国民は国家機関および個人による違法行為について、不服を申し立て、通報し、告発する権利を有する...」

 私はもう一度、彼女たちに身分証明書の提示を求めましたが、2人は拒否しました。私は110番に通報しました。女性の1人が「大騒ぎしても、私は怖くない!」と大声で叫びました。そして彼女は県政法委に電話しました。激しい対立になることは避けられないと思いました。

 私は二度110番に通報しましたが、誰も出ませんでした。他方では、女性の1人が県政法委員の2人を呼び出すことに成功しました。県政法委員の2人は忙しいと言いながら駆けつけましたが、何かぶつぶつ呟いて去っていきました。その女性はあきらめず、私と妻の職場に電話をして、双方の上司を呼び出しました。2人の上司の前で、私は冷静に法輪功についての真実を伝え、彼女らの違法行為を指摘しました。女性は大声で私を非難し続けましたが、双方の上司は私に対して何の処罰案も提案しませんでした。女性はまた省の政法委に電話しました。私は何の恐れも感じませんでした。

 翌日の正午、政法委の幹部たちがやってきましたが、私との面談はせず、代わりに彼女たち2人が状況を報告に行き、ほどなくして幹部たちは去っていきました。彼女たちは、「わたしたちは明日帰ります。家族と子供たちのことを考えてください」と、私に最後の警告をしました。翌日、私がまだ固い決意でいるのを見て、2人は急いで帰っていきました。

 迫害に抗議する中、9日間の試練はあっという間に過ぎました。この試練を通して、私は長い間隠されていた人心と観念、つまり、すべての不快なことを悪いこととして分類し、ポジティブな考え方で対処できていない傾向に気づきました。私は何年もの間、この狭い視野に固執し、精進できませんでした。

 例えば、コロナが発生したとき、高熱と頭痛に見舞われたことがあります。すぐ超えることができましたが心の中で思っていたことは、「十数年修煉してきたのに、なぜ今更こんなことが私の身に起きたのか?」ということでした。また、何カ月も続くかゆみなどの体の不調に直面したときも、いつもネガティブな出来事として受け止め、「20年以上も修煉してきたのに、こんなことに遭遇するなんて、なぜだ?」と落胆していました。自分の修煉の道はますます順調であるべきだと信じていたし、その期待から少しでも外れると失望してしまいました。「今更、洗脳クラスに遭遇するとは......」。私の思考を支配していたのは、ネガティブなものをすべて悪いものとして扱う頑固な人心だったのです。今日、私はようやくこの汚い人心の根源を突き止めました。

 師父のおっしゃったことがやっとわかりました。「特に迫害に遭ってからのこの数年間、皆さんが行なった法を実証することの中で、どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです。あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです」『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」

 師父にご感謝いたします。同修に感謝します。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/21/473155.html)
 
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