「通報」を読んで思ったこと
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年3月29日】私は明慧編集部の「通報」(2025年2月6日)を読んだとき、私の衝撃と悲しみは言葉にできないほどでした。この記事の人物は、自分が偉大だ​​と思い込み、他人から褒められることを望んでいるという虚栄心にとらわれているようです。

 彼の行動は非常に非合理的であり、法輪功学習者のそれとは似ても似つかなかったのです。彼は不正な手段で学習者たちの称賛を得ようとしました。彼を崇拝する人たちは、なぜ盲目的に彼を崇拝するのかを振り返って自問するべきです。

 師父はこう説かれました。

 「一部の学習者はどうしても法の勉強を重視せず、大法学習者の中に現れたことを常人の心から認識しています。盲目に他の学習者を崇拝しているという現象だけではありません。実はこのような人心の表れは、修煉者と常人の本当の現れです」(『精進要旨三』「人心を取り除く」)

 中国では、自分の考えを話す自由や、精神的な信仰を持つ自由はありません。私は中国に住んでいるので、中国以外の修煉者が法輪功迫害の事実をこのようにオープンに明らかにできることに非常に羨ましいです。

 『通報』の中にこう書かれていました。

 「…修煉は厳粛なものです。常人の策略は人を欺けても、神を欺くことはできません」

 「影響を受けた海外の学習者も心を静め、今一度考えてみてください。なぜ自分がこんなにも簡単に騙されるのでしょうか? 何かを聞いたらすぐに心が揺れ動き、追随してしまうのでしょうか? 修煉するには、法を師とすべきではありませんか? すべての罠に飛び込んでしまえば、成就できるのでしょうか?」

 法輪大法を修煉し、法を読むことは、人間として生きる目的を理解するのに役立ちます。この混沌とし​​た世界の下降スパイラルに漂っていた私たちを、大法が救ってくださいました。

 私たちは大法弟子です。師父は「いくら困難な情況であっても三つのことをしっかり行うべきです。衆生を救い済度するのは大法弟子の責任です!」(『各地での説法十二』「二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法」)と説かれました。師父と大法は私たちにすべてを与えてくださいました。私たちは他人を崇拝したり称賛したりするためにここにいるわけではありません。

 私たちは全体の状況に焦点を当て、法に基づいて自分の責任を果たし、共に向上しなければなりません。このようにしてのみ、私たちは誓いを守り、師父の慈悲深い救済に値します。

 個人的な理解ですが、次元に限られています。適当でないところがあれば、慈悲なる指摘をお願いします。

 【修煉者同士の理性的な交流は、一般的に、その修煉者がその時点で修煉を通して得た認識に基づいたものであり、善意を持って交流し、互いに向上することを目指すものです。】

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/12/490651.html
 
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