文/河北省の大法弟子
【明慧日本2024年4月30日】私は長距離トラックの運転手で、今年60歳です。2013年からよくチベットのラサやシガツェ方面に行っています。当時は50歳過ぎで、チベット方面へ行く運転手の中では高齢でした。修煉前には心臓の脈が速く、便秘などの慢性病があり、便秘は漢方薬を服用しても効かず、下剤を服用してようやく正常に排泄できました。薬局に一回行ったら600~700元(12000~14000円相当)の薬を買っていたので、経済的に窮屈していました。しかし息子の結婚費用を稼ぐために、ラサやシガツェなど海抜の高いチベット地域に頻繁に行きました。
1、初めてチベットに行って、高山病に苦しんだ
2013年、初めてラサに行った時、私はまだ修煉していませんでした。心臓病の薬、下剤、高山病を防ぐ薬、酸素ボンベなどたくさん持っていきました。青海省西寧市から出発し、ゴルムド市を経てチベットの県庁所在地・ラサに至るまで、平均標高4500メートルもある青蔵公路(G109国道)を走って、山も越え大河も越えました。
チベット高原は通称「世界の屋根」、平均海抜は4、5千メートルに達しています。気温が低く、空気が薄く、太陽放射が非常に強くて、昼夜の温度差が大きくて、風や雪が多いのです。道路の損害が多い場所はよく渋滞します。初めて来る人は高山病になりやすく、軽い場合は不整脈、一過性失神、頭痛、めまい、動悸、息切れなどになって、ひどい場合は肺水腫、脳水腫にもなります。仕事をしている最中に突然倒れる現象もよく見られます。よくチベットに行く運転手は酸素ボンベ、デキサメタゾン、アセタゾラミド、紅景天など高山病予防の薬を常備します。
私のトラックは、私ともう一人の運転手が交代で運転しています。青蔵公路を走る運転手は30~40歳の若い人が多く、私のような50代の人は少ないです。初回行った時、私の高山病の症状が凄まじくて、薬も服用して酸素を吸っても頭痛がひどかったのです。眠れなくてトラックの後ろの寝台にただ座って、お腹が空いても食べ物がのどを通らず、非常に苦しかったです。腹痛、お腹の張りがひどくて、頭がぼんやりし、毎日薬を服用して酸素を吸って維持していました。大便をする時でも力を使うのを控えなければならず、力強くすると頭部の虚血で急死する恐れがあるからです。初めてのチベットへの仕事は、まるで一度死んだかのように辛いものでした。
2、師父の説法を聞いてから、体調が良くなった
2014年、トラックの元所有者が私に李洪志先生の説法が入っているメモリーをくれて、法輪功を学ぶように勧めてくれました。それで、チベットに行く途中はずっと車内で李洪志先生の説法を聞きながら運転していたのです。青海省のゴルムド市で酸素ボンベと高山病予防の薬を用意しましたが、師父の説法を聞きながら運転すると頭が全然痛くなくて、薬も飲みませんでした。標高の一番高くて道がでこぼこする場所を通った時でも、食欲には影響せず通常にご飯を食べました。
標高5000メートルもある場所に1軒の店があり、そこで休憩し食事をしていた時、薬を飲んで酸素を吸っても高山病がひどく発症する運転手をたくさん見ました。自分が無事でいられたのは、運転中に李洪志師父の説法を聞いたおかげでしょうか? 法輪功を修煉して病気を取り除き健康を保てると聞きましたが「世界の屋根」=チベット高原で高山病まで防ぐことができるなんて、すごいと思いました。
もう一つ不思議なことがあって、私に大法を修煉する決心をいっそう強くさせてくれました。高原では歩く時にゆっくり歩くこと、排便する時に力をあまり入れないことを念頭に入れないといけません。さもなければ脳出血にまで発展する恐れがあります。修煉してから奇跡が起きました。タンクラから出発して小雪の中シガツェに到着し、食後、トイレに行った時、大便は非常にスムーズに出てきました。以前下剤を飲んでかろうじて排泄を維持していた私は、師父の説法を聞いた後、高山病が発症しないだけではなく、新陳代謝も正常になりました。とても嬉しくて、自分は世の中で最も幸せな人間だと思いました。法輪功の健康保持の力はこんなにすごいもので、こんなに不思議なんだと感嘆しました。それから、大きな溝を飛び跨ぐなど、チベット高原で他の若い運転手が控えた行動を私は何も恐れずに平原地区と同じように健脚で飛び越えます。
それからチベットに行く運転手に出会ったら「法輪大法を修煉すれば高山病にならない」と勧めています。そのように、私は法を得て大法弟子になりました。
3、事故から命拾い
2015年から、私のトラックは広州から天津まで宅配貨物を運んでいます。宅配は時間が命なので、運転手はよく85~100キロの時速を出しています。ある年の冬、広州から天津へ走る途中、私以外のもう一人の運転手Aさんが運転した時、私は後ろの寝台で寝ていました。ぼんやりの中、Aさんが「霧が出ている」と言うのを聞いただけで、他のことは何も分かりません。
目が覚めると、とても寒く感じました。目を開けると、事故に遭ったと初めて分かりました。その時は深夜で、私が「Aさん、Aさん」と声をかけても、彼は運転席に座ったままで動かず(彼はその場ですでに死亡していたと後になって分かった)、運転席のフロントガラスが壊れていました。
通行人が通報電話をかけている声を聞いて、一安心しました。気がつくと師父に助けを求め「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え続けていました。以前の経験では、高速道路に警察と救急車が短時間では来られないのですが、その日に奇跡が現れて、短時間で救急車が到着して、私を病院に運んで、頭部と耳を多く縫いました。
3日後、私たちを雇ったトラックのオーナーは金を節約するために、私を地元の病院に移しました。頭頸部固定器を付けられて、とても辛いのです。ある日の夜、就寝しましたが、外ががやがやしていたので、私は深く眠れていません。誰かが間違って私の病室に入って電気をつけました。その時、私はすぐ目が覚めて、そして頭から大量の血が流れているのを発見しました。もし外の雑音に起こされていなかったら、また誰かが私の部屋に入らなかったら、私はきっと一晩で大量出血して死んでいたかもしれません。これは師父が救ってくださったのだと思います。毛細血管が破裂して出血したと医師が診察して、すぐに応急処置をしてやっと命の危険を回避できました。
トラックのオーナーに迷惑をかけないために、私は翌日に退院することにしました。師父は私たちに真・善・忍の原則に基づいて良い人になるように教えました。オーナーがこんなに大きな一死一傷の事故に遭って、焦らないはずがありません。オーナーの負担を減らすために明日退院して、慰謝料などを請求しないように決めました。家に帰った後、師父の説法を聞いて、日に日に良くなり、3日後に煉功もできるようになり、次第にすべてが正常になりました。
師父に感謝いたします、法輪大法に感謝します。師父のご加護がなければ、今日はもうこの世にいないかもしれません。全世界の人が法輪大法の真実を知って、福を得ますようにと祈ります。