法の力で私はスマホの依存症から脱出した
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年6月24日】私は会社員で、基本的には一人で修煉している状態です。しかし、私はこの時は、スマートフォンに惑わされており、夕食後になると、さまざまなショートビデオを見たくなります。よく夜中まで起きていて、なかなか手放すことができません。

 翌朝になると、頭がぼんやりして気分が悪いのです。この状態から抜け出したいと思っても、どうやら自分の意志ではなく、自分がコントロールされているようでした。私は毎日、師父に助けを求めていました。

 旧正月の十五の日に、私は発熱し、重い風邪の症状が現れました。私は苦痛の中、1時間の第二式の功法を頑張り、そして五つ功法の全てをしました。翌日、熱が下がりました。私は、自分が良くないものを見たことが原因だとわかりました:色、情、名、利などが多すぎて、体を汚してしまったのです。体が辛かったので、一週間もスマホやテレビを見ませんでした。その依存症から形成された私は、その一週間の新陳代謝の中で死んでしまいました。この空間で反映されたのには、もう私をコントロールできなくなり、スマホやテレビを見なくても苦しくならなくなったことです。私は毎日、師父に助けと加持を求め、色欲、情欲、スマホやテレビへの執着心を取り除くために、法をたくさん暗記しました。

 今、修煉が本当に厳粛であることを知っています。念が正しくない時は、必ず正す必要があります。例えば、色欲や情への執着は、私たちが人間社会に存在している限り、完全に取り除くことはできません。特に一人で修煉している状態の普通の会社員が職場で真相を伝える時、人々は聞きたがらず、避けたがります。徐々に真相を伝えることをしたくない心が生まれ、法を学んだり、功を煉功したりしても、孤独や無力感を感じ、スマホやテレビで気晴らしをしたくなります。しかし、"中毒になれば、止められず "(『洪吟三』「腸を穿つ」)なのです。幸いにも、私は常に法を暗記しており、常に師父に助けを求めており、ついに立ち直ることができました。

 今は、毎日スケジュールがぎっしり詰まっています。家に帰ると、すぐにスマホをトイレの引き出しにしまい、トイレに行くと外に置いて、スマホを見る可能性を完全に排除し、それをただ電話として使っています。

 この教訓を生かし、安逸な生活を求める執着に誘惑されないようにしています。体が健康で環境が快適なとき、安逸な生活を求める心が生じます。正念を発することもあまりやる気が起きなくなり、目標が見つからなくなります。真相を伝えることも不本意になります…。安逸な生活を求めることが私にとってより大きな執着心であることに気づきました。これらが色欲、情欲、食欲、怠惰などを引き起こします。

 スマホやテレビの依存症から抜け出し、本当に毎日法を暗記し、師父の助けを求めて歩み出しました。

 私がこの経験を書いたのは、自分が安逸な生活を求める心に振り回されないように自己警告するためであり、同様の状態にある同修の方々にも、この執着を取り除く信念を高める手助けになればと願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/13/475140.html)
 
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