迫害を終わらせる方法についての私の理解
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年7月25日】私は法輪大法を学ぶことを通して、中国共産党による弾圧を終わらせる方法についての理解が深まりました。私は自分なりの考えをまとめ、同修の皆さんと交流できるようになるまで4年以上かかりました。

 迫害が始まって以来、私たち修煉者は迫害を終わらせるためにさまざまな方法を試してきました。

 師父はこう説かれました。「多くの人が何かを行なう時人間の考えで方法を考えています。皆さんはあらゆる方法を講じてこの迫害を終わらせようとしており、常人によってこのことを終わらせようと思っています」(『各地での説法三』「二〇〇三年米国中部法会での説法」)

 ここで師父は、私たちは人間の思考で、常人に迫害を終わらせてほしいと頼ってきたとおっしゃいました。では、これを修煉者の心構えでどう見ればよいのでしょうか?

 師父は、『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」の中でこうおっしゃいました。「今回の迫害は旧勢力が押し付けてきたもので、法を正すことにとって必要なことではありません」 

 「なぜならば、大法は法を正す中で、旧勢力の按排を認めず、師父である私もそれを認めていません」(『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」)

 「先ほど話しましたが、この迫害を私は認めておらず、私なりの按排があります。しかし、何と言っても迫害は起きました。私も逆手に取ってこの間に衆生を救い済度し、大法弟子を円満成就させています」「ですから、他の角度から言えば、旧勢力も皆さんに修煉の機会を按排したことになります」(『各地での説法十三』「二〇一五年米国西部法会での説法」)と説かれました。師父が私たちに説いてくださったように、これは私たちが修煉し、人々を救う機会なのです。

 また、師父は「このような環境は、非常に邪悪ではありますが、それは得難い環境でもあるのではありませんか? 本当に得難いのです。この時期が過ぎてしまえば、二度とこのような機会は現れません。皆さんは大法弟子であるからこそ、このような機会とめぐり合えましたが、過去における一般的な修煉、或いは個人の修煉にはこのようなことはありませんでした」(『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」)

 「邪悪の現れについては、それは解体する前の理性を失った狂気の沙汰であり、大法弟子の圓満成就に条件を提供しているのです」(『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」)

 「皆さんは修煉者であり、全ての変化は皆さんの修煉と法を正すことの中に生まれます」『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」と説かれました。

 師父は、これは私たちの修煉と関係があるとはっきりとおっしゃっています。私たちは様々な執着心を取り除き、修煉がよくできているとき、迫害は続く理由がなくなり、終わります。そうでなければ、私たちはやはり人間の思考で迫害を考えていれば、迫害は終わらないでしょう。

 したがって、私たちは修煉に集中しましょう。どうすればより真相を伝え、人々を救うことができるかに焦点を合わせましょう。私たちが円満成就の基準を満たし、人々が救われるとき、迫害は終わります。

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/21/477746.html)
 
関連文章