真の弟子となり、衆生を救う(二)
■ 印刷版
 

文/オーストラリアの大法弟子 

 【明慧日本2025年2月8日】(前文に続く)

 法を実証する環境を切り開く

 私が居住する区の610弁公室の係員が私の職場の上司に連絡をよこし、強硬な態度で、「私と面談する必要があり、直に会って私について調べなければならない」と言いました。

 多くの同僚が私のところに説得に来て、いつも私が彼らに言っている「法輪功の修煉を堅持する」ことを絶対に610弁公室の人には言わないようにと強調しました。

「あなたは『もう修煉しない』と言わなければ、本当に連行されてしまう」と言うのです。

 私は、逃げることが解決策ではないと感じました。自分が向き合うべきことを常人に押し付けるわけにはいかないと思いましたが、正直なところ、どう対処すべきか分かりませんでした。

 そのころ、多くの同修洗脳班に閉じ込められたり、労働教養所に送られたりしていました。私の周りには相談できる同修もおらず、私はずっと師父に助けを求めていました。

 610弁公室から4人がやって来ました。4人と会った時、私は一言も言わず、ずっと心の中で師父に助けを求めていました。しばらくの間、私と4人は膠着状態が続きましたが、4人が帰る時「これではダメだ、これからは何度も来なければならない」と言いました。4人が帰った後、同僚たちは私のやり方に不満でしたが、私は、これは師父が私の問題を解決してくださったのだと分かっていました。

 その後、610弁公室から本当に頻繁に人が来るようになりました。時には1人、時には2人、人数は決まっておらず、新しい顔ぶれもよく見られました。彼らは私が仕事をしている間オフィスに居座っているのですから、迷惑な話しです。

 ある時、私はオフィスのドアに鍵をかけました。すると彼らは他の部署にまで私を探しに行きました。同僚たちに迷惑をかけ、事務所にも影響が及び、主任や局長(訳者注:部門長)まで怒らせてしまいした。

 彼らが来た時、私は可能な限り真相を伝え、同僚たちも彼らに人としての道理を説きました。彼らは自分たちが本当に歓迎されていないことを見抜き、その後、私を市の610弁公室に任せました。

 この状況は1年以上にわたって続きました。仕事中に頻繁に誰かに妨害され、いつでも連行される可能性がありました。

 私は常に恐れを感じていました。職場で誰かが私を呼ぶと、連行されるのではないと分かっていても心の中で恐れを感じ、しばしば「修煉はこんなにも苦しいものなのか」と、心の中で愚痴をこぼしていました。

 私は師父の法を読みました。「宇宙の生命は皆位置を配置し直されています。人にこの大法を試す資格はありません。神にもありません。あえて試した人がいたら、それはその人の罪です。このことも彼らには分かっています」。また、「生命は表面まで突破しつつ、徐々に神になるという過程に、自分が支払った代価、絶え間ない向上、威徳の樹立がなければいけません」(『導航』「北米五大湖地区法会での説法」)

 師父の法は心に染み渡る醍醐(だいご 訳者注:牛乳を加工した飲料で最も美味しいもの。師父の「最上の教え」を最上の美味と喩えている)のようで、たった一言で迷いの中にいる私を目覚めさせました。

 私を監視していた何人かが「あなたの仕事はとても良いですね、非常に羨ましいです」と言いました。それまでの私は、彼らが私を迫害するために来ているのだから、彼らに対して嫌悪感を持ち、少し恨んでもいました。

 今、改めて彼らを見てみれば、なんと哀れなことでしょう。失業している者もいれば、生きて行くために自分を害している者もいます。旧勢力のすることは本当にひどいです。

 私たちはどんなに苦しくても、私たちを守ってくださる師父がいますが、彼らは誰が守ってくれるのでしょうか? 彼らを目覚めさせるのは私たちの役目です。

 その瞬間、「私たちの使命は師父を手伝い、衆生を救い済度することだ」と私は悟りました。それは私たちが師父のためにやることでも、師父に見せるためのことでもなく、師父が私たちにそうさせてくださっているのです。

 師父、ありがとうございます。

 私はまた悟りました。真相を伝える過程は、さまざまな執着心、特に恐怖心を取り除く過程だということです。人を救わないことは私たちの罪であり、人を救うことを妨げる者も罪を犯すのです。

 師父は私たちに神通力も与えてくださっています。それが発正念です。私たちがうまくできないときにのみ、魔難がやって来るのです。だから師父は私たちに法を学んで学んで、しっかりと学ぶように、とおっしゃっています。

 2人目の局長が赴任して来た後、書記(職場にある中共組織の書記)が私を呼び出したので、主任に連れられて一緒に行きました。

 私がなぜ法輪功を修煉するのかを説明しおわると、主任は「国が禁止しているのには理由があり、国家はその責任を負っているのだ」と言いました。私は「国ではなく、江沢民です。理由もなく、責任も取っていません。劉少奇国家主席は、裏切り者、内通者、労働者の敵だと言われ、動かぬ証拠が山ほどあったにもかかわらず、今はその名誉は回復されています。たった何年か後にです」と言いました。

 主任は「あなたたちは天に上るというが、今すぐ飛び上がって見せてください」と言いました。私は「もし今すぐ飛び上がれば、あなたたちに私を迫害する度胸があるでしょうか?」と答えました。

 なぜこんなにうまく言えたのでしょう。これは、考える間もなく、すぐに口をついて出た言葉です。師父は本当に私たちにこのように適切な対応をさせてくださっているのです。師父に感謝いたします。

 局長も私を呼び、主任も一緒に行きました。私が経緯の報告を終えた後、局長は少し考え込んだ様子でした。

 主任は「君は気功をやって頭がおかしくなったんじゃないか。君の同僚の〇〇さんは自分のバイクが盗まれてずっと探しているのに、君は自分のバイクが盗まれても探しもしないというじゃないか」と言いました。

 私と同僚はそれぞれ新しいバイクを盗まれました。同僚のバイクは2万元で、私のバイクは1万8000元でした。当時、その金額は一般的な家庭にとってはかなりの額でした。

 私は「バイクが盗まれた後、私は警察に通報しましたし、警察も来て写真を撮っていきました。〇〇さんは探していた自分のバイクと似たものを見て追いかけていったんです。もし私が〇〇さんのように追いかけて行って交通事故を起こしていたら、皆さんは会社のお金である公費でお見舞い品を買って病院に形式的な見舞いに来て、オフィスではそれについて話し、形ばかりの同情のため息をつく、というのは正しいことでしょうか? そんなことになったら、私が痛みを受けることであなたたちは徳を失います。私はそんなことをしません。人間万事、塞翁が馬(さいおうがうま。訳者注:一見不幸に見える出来事が、後に思わぬ幸運に繋がることもある)ですよ」と言いました。

 主任はまた、「君は、地面に落ちているお金を拾わないのか?」と聞きました。私は「拾いません」と答えました。主任は「バカだなぁ、バカだよ、なぜ見つけたお金を拾わないのだ?」と質問しました。私は「拾金不昧(しゅうきんふめい)と路不拾遺(みちおちたるをひろわず。訳者注:道に落ちているものを拾わないこと)では、どちらが良いでしょうか?」と逆に質問しました。

 主任は「それはどういう意味だ?」と聞きました。私は「拾金不昧※は個人的な道徳行為ですが、路不拾遺は社会全体の道徳的な規範です。法輪功学習者にもしひとつの国があれば、それは聖人の国にほかなりません」と言いました。

 ※訳者注:拾金不昧は拾った金を着服しないこと、つまり個人の道徳心が良いこと。路不拾遺は唐の李世民の治世下で道徳が向上し道に落ちているものを人々が拾わなくなったこと、つまり社会全体の道徳が向上していること。 

 私たちの会話を聞いた局長は声を上げて笑いました。実は主任は、知っていながら局長の前で知らない演技をし、あえて質問をして私に法輪功の実態を答えさせたのです。実際この主任は、警官が私の家に来た時、人に頼んで私を保護してくれたこともあります。

 もうすぐ3人目の局長がやって来るという頃、誰かが私に言いました。「今度の新局長は書記でもあり、1人が二つの役職を兼任するんだ。彼は大変な手腕家で、有言実行型だ。彼の出世に影響を与えるようなことがあれば、本当に解雇されるから気をつけろ」と言いました。私は「そんなことはないと思います。そのように賢い人は愚かなことはしないはずです」と言いました。

 その3人目の新局長が就任したばかりの時、省レベルの会議に行くために高速道路を走っていた最中のことです。まだ職員たちと顔を合わせてもいないうちに、早くも市の610弁公室から電話があり、私の「転向」に協力するように指示されたそうです。

 新局長はすぐに車をUターンさせ、職場に戻って緊急会議を開きました。Sという副部門長とY副局長は私の状況を新局長に説明して、省の会議に早めに出発するように促しました。

 新局長が赴任してから最初のお正月、新年祝賀会はとても盛大に行われ、市のテレビ局の司会者を招いて司会を務めさせました。

 そこで「バトンリレークイズ」のようなゲームが催され、バトンがわりの花が私のもとにまわってきたので、私はその問題に答えて正解しました。しばらくすると、また花が回ってきて右隣の同僚が手にしましたが、彼女は再び私に回しました。私は再度答えて、正解しました。

 司会者は「二つの難問に両方正解しましたね。あなたは広い知識をお持ちです」と私を褒めました。

 後で誰かから聞きました。そのとき、新局長がS副局長に、「あの正解した人は誰ですか?」と尋ね、S副局長は、「この人が某某さん(私のこと)ですよ」と教えると、新局長は「才女じゃないか!」と言ったそうです。

 修煉者は皆、偶然のことなどないと知っています。私は読書が得意ではなく、知識もあまりありません。ですが、私が知っているその少しの知識で二つのクイズに答えることができたのです。これは偶然でしょうか? いえ、それは師父が弟子に新局長の前で才能を発揮させて見せたのであり、衆生を救うために特別に按排なさったことです!

 新局長が海外から帰国したとき、私は積極的に挨拶しました。「局長、海外で何をご覧になったのですか?」と聞いたところ、新局長は「全部見たよ! 全部ね!」と、意味深な感じで答えました。

 私がいる部署に大きな人事異動があり、私一人だけはそのまま同じ部署に残りましたが、人数は倍以上に増えました。大学生や、本部から異動してきた人、他の部署から転勤してきた人などが加わったからです。

 私は新しい同僚に真相を伝えましたが、同僚たちはこのことを部署内で追及されるのではないかと恐れていました。これからどうやって真相を伝えるべきかと私は考えました。

 ある日、新しい副局長が私たちの事務所に来て、「天安門焼身自殺」について話しだしました。私は思わず「それは自殺ではなく偽りなのです」と言いました。その時、部屋にいた4、5人は皆黙りましたが、私は冷静に「自殺」とされている事についての疑問点を説明しました。

 副局長は「テレビでは自殺と言っていた」と言いました。私は「テレビの言っていることを信じるのですか? もっと真実をお知りになりたいなら、詳しくお話しいたします」と言いました。私の発言を、副局長は気にしていない様子だったので、同僚たちも安心して、不安を取り除いたようでした。

 環境が徐々に緩和される中で、私が応対した職場にやってくる客たちに、適切に、そして賢明なやり方で公然と真相を伝え、後に三退も勧めるようになりました。それは非常に効果的でした。

 彼ら一般人の中には労働者、住民、教師、校長、消防士、医者、武装警察部隊員、公安警察官、610弁公室の関係者などが含まれています。彼らが救われた後の喜びに満ちた表情を見て、私は心の底から喜びを感じました。

 海外に来ると、また別の種類の試練があります。自由な環境にいると、容易に怠けてしまうことがあります。よく「安逸は毒酒に勝る」と言われています。

 私は常に自分に言い聞かせています。時間を大切にし、私が世に降りてきた目的は楽しむことではなく、返本帰真することだと。修煉の道においては勇猛邁進し、師父の慈悲なる救い済度に応えて、師父と一緒に天国に帰ります。

 偉大で慈悲深い師父に無限の感謝を捧げます!

  (完)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/22/487528.html
 
関連文章