【明慧日本2024年7月30日】米国「フロリダ法輪大法修煉体験交流会」(以下、法会)が7月20日、オーランドで開催された。フロリダ全域から法輪功学習者(以下、学習者)が参加し、会場は厳かで神聖なる雰囲気に包まれた。中国人と西洋人の学習者15人が修煉後の心身の変化や、修煉の中でどのように「真・善・忍」に基づいて自分を向上させ、真相を伝えたかについての修煉体験を発表した。
法会で修煉体験を発表する学習者 |
忍を修める重要性についての体験
タンパから法会に参加した学習者ジェレミーさんは、「忍び難きは忍びうる」というテーマで、法輪大法を修煉する中で感じたこと、特に忍の重要性について強調した。ジェレミーさんによると、忍耐することは常人にとって難しいだけでなく、修煉者にとっても難しいことだという。彼は自分が遭遇した二度の忍に関する修煉体験を語った。
最初の体験では、ある男に嫉妬から暴力を振るわれたが、ジェレミーさんは反撃しないことを選び、最終的には周囲の尊敬と加害者の友情を勝ち得た。二度目の体験はもっと複雑で、養子と家族との対立と感情の困惑である。関係がこじれたために家族は崩壊した。苦痛と孤独を経験した彼は、許すことを選び、やがて家族との関係を再構築する。
マイアミから法会に参加した艶玲(ヤン・リン)さんは、修煉の過程において、あらゆる妨害や否定的な状況に直面したとき、途方に暮れ為すすべがないという負の状態にしばしば遭遇した。迫害を受けている期間中、この情緒が特に顕著だった。彼女は内に向けて探すことを通して、こうした感情の根本的な原因は、世の中の不公平と常人としての感情に対する執着からきていることに認識できたという。
艶玲さんは『道法』の暗唱と、師父の説法を学ぶことを通じて、負の情緒の本質、法に基づいて法を認識し、心の中の執着を取り除く必要性を認識した。彼女は、修煉の過程で法を学ぶことの重要性を強調し、法を継続的に学ぶことによってのみ、あらゆる執着と悪を打ち破り、確固とした正念を保つことができると悟った。
艶玲さんは、真の慈悲の心を修めるためには、情緒的な影響を取り除き、常人社会に対する不公平や正義への執着を放下する必要があると悟った。彼女は師父の説法を引用し、常人社会は単なる演劇のワンシーンであり、修煉者は修煉の目標に集中し、世の中の争いに振り回されるべきではないと気づいた。
艶玲さんは最後に、学習者がお互いを大切にし、切磋琢磨していくことを願っていると話した。
茫茫とした法を探す路
台湾で生まれた宝蓮(ポーリーン)さんは、幼い頃に洗礼を受け教徒になったが、成長するにつれて教会の意味に疑問を抱くようになった。 大学時代や渡米後、彼女はある宗教に触れ、敬虔に実践してきたが、やがて疑問と形式的な感覚から離れ、再び精神的な放浪者となった。
2001年、姉から送られた書籍がきっかけで法輪大法を修煉し始め、生命の大転換を感じた。中国共産党による法輪功への迫害を知り、中国本土の公安警察に積極的に法輪功迫害の実態を伝える電話をかけたが、仕事のプレッシャーと高額な電話料金のために中断された。2022年に彼女は再び電話をかけ始め、その過程で多くの挑戦に直面したが、しかし彼女は法をよく学び、自分をより良く修めれば、初めて法輪功迫害の実態を伝えることができると固く信じていた。
この間、彼女は身内の死と病気の苦しみを経験したが、法を学び煉功を通じて正念を保ち続け、最終的には健康を取り戻した。彼女は、修煉の過程で内に向けて探し、師と法を信じ、そして試練を乗り越えることができると悟った。
大法を見つけ 内に向けて探すことを学ぶ
西洋人の学習者ジョーさんは大学で音楽を専攻していたが、大学生のとき神韻の公演を観賞し、その芸術の美しさと迫害の啓示に衝撃を受けた。
法輪大法を修煉し始めた後、彼の人生は劇的に変わった。しかし、最初の試練と苦難が彼を迷わせ、煉功することさえ忘れていた。彼はあるとき疲労状態で高速道路で運転中に追突されたことがあったが、大法に守られたおかげで、それほど大きな事故にならなかった。大学卒業後、ジョーさんは母親と同居するようになったが、一時は関係が緊張状態に陥った。彼は内に向けて探すようになり、この緊張が自分の心性を向上させるチャンスであることに気づいた。
現在、ジョーさんと母親との関係は正常に戻った。 彼はより誠実で、寛容で、責任感があり、よりよい人間になった。 ジョーさんは師父の慈悲に感謝し、三つのことをしっかり行うことを決意しているという。
時間を大切にし、インターネット中毒から抜け出す
マイアミから法会に参加した呉衛(ウー・ウェイ)さん携帯電話によるインターネット接続の悪影響について自身の体験を語った。ウーさんによれば、携帯電話によるインターネットアクセスは、多くの貴重な時間を浪費し、執着を助長しているという。例えば、彼自身は1日に4時間半を携帯電話に費やしている。 携帯電話のインターネットアクセスによって、彼は修煉や日々の仕事に集中することが難しくなり、ニュース、戦争、選挙などに対する好奇心に満ち、気づかないうちに時間が失われているという。
呉さんは師父の説法を引用し、携帯電話によるネット中毒が修煉者に与える深刻な危害を指摘し、時間を大切にし、魔にコントロールされないように注意喚起をした。彼は携帯電話の使用時間をコントロールし、重要なことに集中し、ネット中毒をやめるために常に正念を保つことを決意した。彼は最後に、法を正す修煉の厳粛さと時間の緊迫さを強調し、浪費した時間を補い、修煉の一歩一歩をより良く歩むことを決意した。
どんな魔難も自分を向上させるチャンス
アリスさんは夫とともに経験した大きな魔難を分かち合った。2020年にレストランを購入したが、疫病が発生したため長期にわたり営業を始めることができず、設備トラブルや水漏れ、詰まりなどの困難にも見舞われた。特に2021年、夫が仕事中に負傷したことでストランは営業停止を余儀なくされ、家賃の圧迫は甚大だった。彼女は、魔難とは業を返す過程であり、天に上る梯子である認識している。
彼女はまた、修煉におけるいくつかの魔難に触れた。特にソーシャルメディアでの学法は、法を深く学んでいない人々には大きな迷いを生じさせる。次は自己の心より魔が生じさせ、名利を求める心が、褒められた後に迷うことを引き起こす。闘争心が夫との口論を長引かせた。しかし彼女は内に向けて探し、執着を放下することで、前世の因縁関係を理解するようになった。情の試練も大きな関であり、彼女は家庭が修煉のための重要な環境であることに気づいた。最後に利益の心であるが、彼女は贅沢な生活が茹でガエル(変化に気づかず致命傷を負う)のようになると注意喚起をした。
法を継続的に学び、心性を高めることで、アリスさんと夫はついに難関を乗り越え、そして修煉の道においてどんな魔難も、自分たちを向上させるチャンスだと悟った。
悟るのかそれとも悟らないのか
オーランドから法会に参加した青年学習者・暁凡(シャオ・ファン)さんは交流の中で、家電製品の故障、交通事故、駐車違反、家族の諍いなど、生活の中で起きたトラブルについて語った。彼女は、もし、なぜこのような「偶然のトラブル」が起きたのか心を静めて考えなければ、試練を乗り越えることはできないと気づいた。師父の説法は彼女に啓示を与え、修煉には小さなことはなく、あらゆる困難が試練なのである。 彼女は、かつて惑わされ、悟ろうとしないこと選び、煩わしいことがすべて偶然だと思ったと率直に言った。
最近、彼女の家の目覚ましが早朝に鳴り、彼女はそれが早起きをして法を学ぶようにという啓示だと悟った。早起きして法を学ぶことで、彼女は自分の生活が充実するようになったことに気づいた。暁凡さんは、眠気と怠惰を克服することが彼女の修煉の関門になっており、それを打ち破るために努力する決意をしたという。