【明慧日本2024年8月25日】夫と私には2人の娘がいます。次女は飛天大学を卒業したあと、現在神韻芸術団のツアーに参加しています。娘が飛天大学に通うことを選んだ理由と、私たちが娘の選択に同意した理由をお話ししたいと思います。
起因
20年ほど前から次女は聡明な子供でした。学校で楽々とAを取るだけでなく、両親や年長者から叱られるのを避ける方法もいろいろと分かっていました。次女は優しいのですが、いたずらをすると家族全員がイライラしました。一度、次女は長女を激怒させて私に文句を言ったことがありました。長女は、「妹が悪いことをしていることはわかっているけど、証拠がないの」と言いました。
私の母が私たちと一緒に暮らすためにカナダに引っ越した後、母と次女の間の争いが激化しました。
母は中国では優秀な教師で、周りの人に尊敬されていました。母は伝統文化を伝承することを非常に重視していました。母はこれまで身をもって私達に手本を示してくれていました。そのため、私と兄弟は母と口論したことがありせんでした。
しかし、次女はカナダで育ち、学校では誰もが平等であると教えられます。母は私に、「妹の愛ちゃん(仮名)は私によく口答えをしています」と言いました。
ある時、母は以前さくらんぼを食べていたとき、次女と口論になりました。母は怒りのあまり、さくらんぼの種を誤って嚙んでしまって歯を折ってしまいました。
このような出来事が数え切れないほどあり、私は無力感を覚えました。母が次女に腹を立てているのを見たくはありませんでしたが、伝統的な中国文化における親孝行の意味を次女に理解させる方法がわかりませんでした。
学校の選択
母と次女の不仲の状況は数年間続いたのですが、ついに次女は大学に通える年齢になり、ようやく母と次女の対立が一時的に解消されることになりました。
アメリカには比較的良い音楽学校が数多くあります。しかし、学費は5万ドルほどで、それに加えて、年間数万ドルの生活費がかかります。私たちのような家族には、この負担が大きかったのです。ヨーロッパの音楽大学の多くは授業料を無料にしていますが、生活費は法外な額で、娘は別の言語を学ばなければなりませんでした。
私が最も心配していたのは、一人暮らしをしてから家族からの注意も受けず、今日の複雑な社会に直面した次女が、誘惑に抗い、善悪を区別できるかどうかということでした。私は大学に通う子供を持つ友人たちと話しました。私が得たフィードバックは、自分の心配は根拠のないものではないということでした。また、中には悪い経験をしたという友人もいました。それらのことが、私をさらに不安にさせてしまいました。
最終的に選択肢をカナダの2つの大学と米国の飛天大学に絞りました。飛天大学は宿泊施設と授業料は無料です。学生は神韻で実践的な経験を積むことができます。また、世界中のトップクラスの劇場でツアーや公演を行っています。舞台芸術を学ぶ学生にとって、このような機会はなかなか得られません。学生には手当も支給されます。私の友人の娘は飛天で学んでいました。彼女の娘は私の娘と一緒に育ちました。友人とその娘はこの学校を大いに褒めており、私はその話を聞いて安心しました。次女も飛天に通いたいと思っていました。
しかし、飛天大学は比較的新しい学校だったため、娘のヴァイオリンの先生は学校の基準についてあまり知りませんでした。先生は彼女にカナダの大学を選ぶように勧めました。次女はどの大学を選択するか、迷ってしまいました。
飛天大学に入学することを決意した娘
その年の3月、次女の学校の春休みに神韻芸術団が私たちの街で公演をしました。主催者が娘にボランティアをしたいかと尋ねました。娘は喜んで同意しました。私は娘の素早い返事に少し驚きました。そのような仕事は単調で退屈です。娘は新しいことや挑戦が大好きです。私は娘に「本当に神韻の手伝いをしたいのですか?」と尋ねました。すると、娘は「これは私にできることだと思います。やりたいです!」と答えたのでした。
その数日間、寝る以外、娘は神韻のボランティアにすべての時間を費やしました。その年、神韻はバンクーバーで10回のショーを行い、娘はそのうち8回を見ました。
ボランティアの仕事を終えた後、娘は私にこう言いました。「神韻の音楽は一般の音楽と違います。聞けば聞くほど好きになりました。他のことをしているときでも、音楽が頭の中で鳴り続けていたように感じ、頭の中の悪い考えは消えて、楽観的になり、未来が明るく感じられました」
大韶(ショウ)(古代中国の古典歌舞曲の名前)を作曲した舜(しゅん)帝は、三苗の反乱を戦争ではなく音楽で解決しました。孔子はかつて大韶を聞いた後、「肉の味を3か月知らず」(あることに夢中になって、大好きな肉の味を忘れてしまった、という意味です)と言いました。私はこれらの物語を読んでいて信じられないと思いましたが、娘の経験を聞いて、音楽の力は計り知れないものであることに気づきました。
神韻公演の手伝いを終えた後、娘はバイオリンの演奏を録音したり、さまざまな大学に入学するための資料を準備したりと忙しくしていました。彼女が応募した3つの学校はすべて彼女を受け入れ、奨学金を提供しました。しかし、飛天のオーディションを受けた後、彼女は飛天大学を選びました。「私は飛天大学の雰囲気が大好きです。あそこは天国のようです」と彼女は先生に言いました。
飛天に行った後、娘はよく私に電話をかけてきて、新しい友達のことを話してくれました。家族を離れ、新しい環境に入り、職業上の課題に直面している娘が受けている大きなプレッシャーを感じました。同時に、飛天大学の先生、クラスメイトに対する彼女の深い情も感じました。
私は彼女が家庭で抱えていた問題が、新しい人間関係に表面化するだろうと考えました。彼女は時々、友人と衝突したと私に話しましたが、最終的には円満に解決しました。私は、彼女が他人の欠点を探すのではなく、自分の欠点に目を向けることを学び始めていることに気づきました。
3か月後、私は母に同行して米国の親戚を訪ねました。ついでに娘に会いに行きました。その短い期間に、私たちは彼女がわがままで甘やかされた少女から、礼儀を知り、他人を思いやる成熟した人に変わったことに気づきました。母と私は彼女の変化に感銘を受けました。母は感動して泣き続けました。娘も自分の変化について話すとき、涙をこらえられませんでした。
娘は私にこう言いました。「お母さん、家にいるときに真・善・忍の原則を学ぶように思い出させてくれてありがとう。以前、あなたは私に師父の大法を暗記させましたが、なぜ暗記する必要があるか理解できませんでした。今は、もしあの時あなたが私に厳しく接してくれていなかったら、今の私はどうなっていたか分からないと分かっています」
娘は、自分がどのようにしてこれほど大きな変化を経験したかを分析してこう語りました。「私はかつては真善忍の原理を学んでいたにもかかわらず、具体的な事柄になると、やはり大法に基づいて自分を律していないと感じていました」
「常人の友人たちにも『あなたは悪くないのに…』とよく言われ、私も自分が悪くないと感じていました。常人社会では、私は他人の気持ちを考えることはほとんどありませんでした」
「しかし、飛天大学では誰もが法輪大法の教えを学んでおり、誰もが大法の書籍に書かれている真・善・忍の原理を知っています。ここでは、友人たちが私に相手の立場から物事を見るように思い出させてくれます。そう考えると、私はもう動揺しなくなりました。私は徐々に、法輪功の修煉において自分の性格を改善することがいかに重要かを理解し、自分の改善に喜んでいました」
娘の変化を見て、私の心の重荷が軽くなりました。
立派に成長
数年後、娘の毎日のスケジュールは今やいっぱいいっぱいです。娘は大学の通常の授業に加えて、何カ月もツアーに出ていて、時間は限られています。同時に、視野が広がり、もうわがままな少女ではありません。
毎年短い休暇の間、娘は必ず昔のバイオリンの先生を訪ねていきます。彼らは実際、評判の良い音楽家です。ある先生は私の娘に、「最近、あなたの演奏の録音を聞いた後、こんなに上達するとは思っていなかったです」と言いました。
私は娘に、なぜ飛天に行くことを選んだのかと聞かれると、娘は心から神韻のアーティストになりたかったと答えました。娘はバイオリンの先生に、似たようなことを言ったことがあります。娘はこう言いました。「中国には、迫害によって家族がバラバラになった法輪大法の学習者が数え切れないほどいます。彼らの臓器は強制的に摘出されました。私の家族もかつて中国で迫害されました。私はバイオリンを弾くのが大好きですが、神韻のアーティストになりたいです。なぜなら、私達は神韻公演を通して、中国共産党による法輪功への迫害の事実を人々に伝えられるからです。人々が真実に気付いたときのみ、法輪大法の学習者への迫害は軽減され、終わるでしょう。これはアーティストがすべきことです」
娘が飛天学院をとても愛し、神韻のボランティアに熱心だった理由が本当に分かりました。
法輪大法の迫害、そして私たち家族が経験した苦しみが、娘の幼い心に深く刻み込まれていたのです。しかし、飛天への娘の愛にはもっと深い意味がありました。私たちが中国に住んでいた頃、娘はまだ幼かったので、自分の気持ちを十分に表現することができませんでした。娘はただ「神韻のボランティアになりたいです」と言うことしかできませんでした。
忙しい生活を送りながらも、娘がスキルを磨いているのを見て、私は嬉しく思いました。同時に、彼女は今、自分のスキルを使って神韻が真善忍のメッセージを世界中に広め、法輪大法の学習者が受けた迫害の真実を人々に伝えています。彼女たちの努力が、中国での非人道的な迫害を終わらせるのに役立つことを願っています。
時が経ち、娘が飛天を卒業する日が来ました。家族全員が卒業式に出席しました。私たちは遠くまで旅をしてきたので、娘のために花を用意する時間はありませんでしたが、娘は気にしませんでした。
娘は私たちが来てくれたことを喜んでくれました。おいしい食べ物を買ってきて、私たちに友達を紹介してくれました。娘はある女の子を呼んで、誇らしげに「この子は私の妹です」と言いました。女の子は少し恥ずかしそうだったので、私はすぐに「私はとてもラッキーですね。私たちの家族の3番目の子供として歓迎します」と答えました。みんなが笑いました。娘は人生の喜びを私たちと分かち合いたいと思っているのだと分かりました。