焼け焦げた大法のチラシから始まった修煉への道
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 【明慧日本2024年9月5日】アレクサンダーさんは20年が過ぎた今でも、最初に法を得た証として、焼け焦げた法輪大法の紹介チラシを、今でもずっと手元に残しています。

 彼は、旧ソ連で生まれ、17歳の時に家族と共にロシアを離れ、イスラエルに移住しました。19歳になったとき、軍隊に入隊し、国境警備の任務を担当することになりました。ある日、偶然地面に焼け焦げた法輪大法の紹介チラシを見つけました。チラシは、連絡先がまだはっきりと読み取れる状態でした。

 彼は当時を振り返ってこう語ります。「チラシを読み始めた瞬間、全身に温かいものが流れ、自然に涙がこぼれ落ちました。長年探し求めていたものをついに見つけたと感じました。その後、チラシに書かれた電話番号に連絡を取り、週末の休暇にエルサレムの法輪功学習者(以下、学習者)を訪ねました」

 初めて功法の動作を学んだ時、それがとても馴染み深く、まるで以前から知っていたように感じたそうです。2004年から、法輪大法を修煉しはじめ、少年から中年へとその道を歩み続けています。

图1:亚历山大和妻子以及两个女儿

アレクサンダーさんと妻、そして2人の娘

图2:从二零零四年就开始修炼的亚历山大参加法轮大法活动 。 。

2004年からアレクサンダーさんは法輪大法の活動に参加 

幼少期の恐怖を乗り越え、大法の素晴らしさを伝える

 アレクサンダーさんは旧ソ連で生まれました。彼の父親はユダヤ系の商人で、一生懸命働いて家族のために財産を築きました。しかし、警察はアレクサンダーさんの父親の財産を狙っており、彼が9歳の時、突然家に押し入り、銃を突きつけて彼に父親の居場所を尋ねました。幸いなことに、父親は家の中に隠れており、警察は彼を見つけられなかったため、他の場所を捜索しに行きました。

 当時は、ちょうど旧ソ連が崩壊した直後の混乱期でした。後に、生活のために一家は2000キロ以上の距離を越えて逃げました。「その時、全身が震えていました。幼少期に強烈な衝撃を受けた後、見えない恐怖に支配されていると常に感じていました」と振り返ります。

 旧ソ連での幼少期の経験から、彼は常に監視されているような感覚を抱き、まるで見えない目がどこからか見張っているように感じていました。この恐怖のため、彼は黙っていることが多く、自分の意見や考えを表明することを避けていました。しかし、修煉を始めた後、少しずつこの恐怖を克服し、自分を解放することができました。

 軍隊にいる間、アレクサンダーさんは指揮官を務め、若く活気あふれる兵士たちを率いていました。ある日、パトロール中に果樹園を通りかかると、兵士たちはオレンジを摘み始めました。もし修煉をしていなかったら、アレクサンダーさんは黙って見過ごしていたでしょう。しかし、修煉をしている彼は、果樹は人々が手間をかけて育てた木々であり、オレンジを盗むのは不道徳だと感じました。そこで、兵士たちの嘲笑や面目を失う恐怖に直面しながらも、「たとえそれがただのオレンジであっても、自分のものでないなら取るべきではない」と彼らに伝えました。兵役が終わるまで、兵士たちはアレクサンダーさんが彼らのようにルールを破ったり、限界を試すことをしなかったと話題にしていました。

 アレクサンダーさんの軍隊生活が終わる前に、彼には短い休暇がありました。当時、エルサレム市政府が大規模なパレードを開催し、その中に学習者も参加していました。彼は黄色の法輪大法のTシャツを着て、風船を持ってパレードに参加しました。

 パレード中、彼は自分が率いていた兵士たちが警備を担当しているのを見つけてこう回想します。「自分の信じる真・善・忍の原則は、軍隊の任務と矛盾しないと自分に言い聞かせました。パレードが終わった後、兵士たちは私に挨拶し、『数日前にはデモの人たちに石を投げられていたのに、今日は風船を持ってパレードに参加しているんですね』と笑顔で話しかけてくれました。軍隊での日常は厳しいものでしたが、彼らが私に見せてくれた明るい笑顔から、私の修煉に対する理解と認識を感じました」

修煉者の善意が紛争を解決

 法輪大法を修煉してから、アレクサンダーさんの心境は大きく変わりました。彼は「本当に悪い人はいない。すべての人の心の中には善良がある」と感じるようになりました。「修煉する前は、ロシアの警察は悪い人だと思っていましたが、後になって彼らもまた、共産主義の病んだ教育や悪環境の被害者であることに気付きました」と。

 その頃、アレクサンダー一家はすでにイスラエルに移住していました。初めのうち、彼の両親は誰も信頼できないと感じていました。彼はこう言います。「この心境は両親の生活全体に影響を与えていました。イスラエルは自由な国で、人々は率直に話し合うことができます。しかし、私の両親は共産主義の国から来ており、現地の言語もわからないため、人々とコミュニケーションを取ることが非常に難しかったのです。例えば、私が両親のために賃貸契約を結ぶ際、彼らは常に家主を疑っていました。これは共産主義的な思考が原因です」

 両親が家主を信頼しなかったため、家主もまた両親を理解できず、その結果、アレクサンダーさんは双方から不満をぶつけられる存在となりました。

 「私は彼らの間でバランスを取り、すべての対立を解決し、その過程で心性を修煉し続けました。私は平静を保つよう努め、どちらに対しても怒りを抱かず、ただ良い人であろうとし、相手の立場を考えました。家主が必要とするものを提供し、両親が満足できるように努め、争いが起こらないようにしました。結果的に、小さな争いさえもなくなりました」とアレクサンダーさんは話しました。

 彼は感慨深くこう語ります。「私の一挙一動、一言一言は、純粋で善良、そして他者のためでなければなりませんでした。間違ったことを一言でも言えば、両親と家主はすぐに法廷で争うことになるでしょう。しかし、彼らが私の善意を感じたとき、双方は私を信頼するようになり、最終的には和解に至りました。私は両者に対して慈悲の心を持つ必要がありました。学習者として、私は彼らの間をつなぐ存在となり、私を通じて互いに信頼を築くことができたのです」

 最後に、彼はこう述べました。「恐怖とは、共産主義が私たちの中に埋め込んだ一種の物質です。もし法輪大法を修煉していなかったら、これらの経験を恐怖を克服するための機会と捉えることはできず、むしろ恐怖を増幅させていたでしょう。大法は私に一つの扉を開いてくれ、その扉を通じて、初めて自分の内なる善良さを見ることができました」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/31/481411.html)
 
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