修煉の中で小さいことはない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年9月18日】先日、私は『轉法輪』を写している間、息子がリビングで歩き回っていて、私はイライラしていました。私は息子に別の部屋に行くように言うところでした。その時、何かがおかしいことに気が付きました。

 私は「なぜ息子が私の都合に合わせなければならないのか? なぜその逆ではいけないのか? これは私心ではないか」と思いました。

 息子は従順な子なので、息子はいつも私と妻のいいなりになっています。

 私はとても自分勝手で、息子が従順だからといって何でも自分のしたいことをしてはいけないことに気づきました。彼はリビングを歩き回っていて楽しそうだったので、追い出してしまうのはあまりにも身勝手すぎると思いました。

 そこで私は自分のわがままをやめるように自分に言い聞かせました。落ち着くと、彼が歩き回ってももう気にならなくなりました。正念が浮かんだとき、内側からエネルギーが湧き上がってくるのを感じました。

 ここ数日、私は微熱があり、ぼんやりしているような不快感を感じていました。私の心性が改善すると、修煉のエネルギーが熱を上回りました。私は熱っぽく感じず、頭がすっきりしました。とても良かったのです!

 これは小さな問題のようで、このようなことはほぼ毎日起こりますが、小さな問題はすべて重要で、修正する必要があることに気づきました。執着心はたくさん残っていますが、慣れすぎてほとんど感じないため、気づかないことがよくあります。

 これは些細なことではないと思います。利己的な心を捨てることは大きなことです! それは新しい宇宙の基準です。

 師父はこうおっしゃいました。

 「…今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。…」『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 私は今日から、人生で間違っていることを正そうと決心しました。私は何かを悟ったら、すぐに行動に移し、心性を改善し、徹底的に自分を変えなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/30/480160.html)
 
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